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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第506回:挨拶の文化~キス、ハグ、おじぎ、握手

更新日2017/03/30



ちょっとした挨拶、とりわけ初対面の時のしぐさはとても大切です。後々までその人との関係に影響してきます。

スペインに住んでいた時、ウチのダンナさんの友人たち、どちらかと言えば風采の上がらないウチのダンナさんと同類項の日本男児が実に気軽にスペイン女性(若いとは限りません)に誰彼なく、気楽にホッペにチュッとやっているのを見て、ウーム、彼らも相当スペイン化されているな…と思ったものです。

挨拶のキスは、キスともいえないもので、両方のホッペタに軽く触れるだけなのですが、かなりの修練を積まないと自然にできる動作ではありません。女性もチョット身をかがめるように頬を軽く差し出します。これには男性たる者キチンと対応しなくてはなりません。それほど親しくない女性は手を差し出し、男性から軽く握手されることを期待しています。これはスペイン、イタリア、フランスなどの地中海族、ラテン系の人たちの習慣です。

アメリカではなんと言っても握手とハグ(抱き合う)が主体で、ホッペにチュはありません。 握手にもイロイロあり、しっかりと相手の目を見て、数回握った手を上下に振るのが、正統的な、いわば小笠原流の握手なのです。その時、若い男性にありがちなように、なにも握力検査ではないのですから、力一杯相手の手を握り潰す必要はなく、しかし相手の手、全体を包み込むように適度の力を込めて握ります。

日本の男性で、ただ手を差し出し、こちら(私も女性です)が握ってくれるのを待っている、しかも私が握っても、まるで握り返さず、ただそのままダラッと手を握られているような握手しか知らない人が多いのですが、あれはなんだか死んだ魚を掴んだような気分にさせられます。異文化の挨拶の習慣は身につくまで、自然に振舞えるようになるまで、とても時間がかかり、修練がいるものです。

もう一つのハグの方ですが、文字通り“抱く”ことですが、地中海風のホッペにチュより相手に上半身を寄せ、両手を相手の背中に回して抱きます。このハグ文化は急速に広がりつつある…と言ってよいと思います。私が子供の頃は、赤ちゃんや年端の行かない子供を抱き上げてハグする程度だったように記憶しているのですが、主に教会のサービスが終わり、それぞれの家に帰る時など、教会の前の駐車場などでは、ほとんど全員が互いにハグし合う光景は珍しくありません。

ハグ文化はそれぞれの家の伝統?にもよるのでしょう、私の母方の家族ではまずほとんどハグしませんが、父方の方は、ベアハグのようにベッタリと力強く、しかも長時間何度も行います。ですから、クリスマスなどの機会に父方の全員集合があると、まず当番の家に入るまでのハグ合戦があり、玄関口からダイニングルームに入れてもらえるまで30分くらいはかかります。そして、それじゃまた、さようならと言って家を出る時まで、玄関先でいかにも愛情がたっぷりこもっているかのようなハグ合戦が長い時で小一時間かかります。ハグをめったにしない母方の方が、父方より愛情が豊かでないというようなことは全くあません。ただ、愛情表現の仕方の問題なのでしょう。

ヨットで暮らしている時、3人のロシア人、ウクライナ人ととても懇意になりました。とりわけウチのダンナさん、何語でどうコミュニケーションを取っていたのか、傍で見ていると奇妙なほど仲良くしていました。ある日、私が仕事から帰ったら、コックピットでそのロシア人、ウクライナ人と酒盛りをしていたのです。お酒に強い彼らは、持参のロシア・ウォッカをウチのダンナさんに味わってもらおう、ウォッカの飲み方を教えようとしたことのようですが、ウチのダンナさん、お酒に弱い上、グラスを口に近づけお酒の匂いをかいだだけで、真っ赤になるタイプなのです。わたしが着いた時、4人とも相当でき上がっていましたが、とりわけウチのダンナさん、本当に茹でタコのようでした。

さて、前置きが長くなりましたが、彼らが引き上げる時、「オオッ、サーシャ!(これ、ウチのダンナさんのロシア名)」と言って、両頬にかなり強力なキス、そして最後は唇にブッチュウと言った感じの本格的なキスをされたのです。ロシアでは男同士がこのような3点キス、両方の頬と唇にキスするのは当たり前のことのようです。これから、ロシアに行くつもりの人、覚悟のほどを…。

私の日本語クラスの生徒さんには、お辞儀をするよう教えています。こんにちは、おはようざいます、さようならと挨拶する時、必ず頭を下げお辞儀をする習慣を身に付けてもらおうと思ってのことです。大学のキャンパスで、ウチのダンナさんに日本語学科の生徒さんが出会ったりする時、彼らはかなりマジメに、お辞儀をして簡単な挨拶をしています。初めは不自然に見えても、日本語を話す時には日本的なシグサ、ジェスチャーも言語生活の重要な一部なのですから、繰り返しているうちに、いつか身に付いてくるでしょう。

ダンナさんと日本に帰った時、ダンナさんがどうでもいいような服装、日本の社会的カテゴリーに振り分けられないようなカッコウをしているせいもあるでしょうけど、マズ日本人に見られないことに気が付きました。原因は彼が頭を下げるお辞儀の習慣を完全に失くしており、話す時にいつも相手の顔、目を見ているからのようです。丁寧な挨拶、お辞儀は傍で見ていても気持ちよく、美しいシグサです。そのお辞儀の仕方一つで、相手への尊敬、自分の謙遜が現われていると思うのです。

挨拶の基本は“郷に入っては郷に従え”ですが、美しく自然にお辞儀ができるようになるには、日本に住んでいてさえ、礼の修練を積まなければならない…と、お辞儀をしないダンナさんが横から口出ししています。

ともかく、挨拶、礼は難しいものです。


 

 

第507回:日本の敬語はミッション・インポッシブルの難しさ

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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