第472回:食人、喫人のこと
『白鯨』を書いたハーマン・メルビルが、漂流し生き残った捕鯨船乗組員にインタヴューするという、捻った設定の映画『The
heart of the sea』を観ました。監督はロン・ハワードです。
ヨットで長いこと生活していましたし、大きな海に触れる経験を少しはしているので、海や山の映画はどうしても観てしまいます。厳しい自然の中にカメラを持ち込み、演技させるのは不可能に近いことだとは分っているのですが、それにしても、特撮、コンピュータグラフィックがいかに発達しても、どうにもウソくさい嵐や猛吹雪の場面には、いつもシラケさせられます。
この映画にもちろん"白鯨"も登場しますが、それは客寄せアトラクションで、本筋は捕鯨船の乗組員が小さな手漕ぎボートで漂流し、飢えた末、死んだ人を食べて生き残った顛末が語られるところです。繰り返された食人、喫人の話です。
極限状態でなくとも、人間が人間を食べることは珍しい出来事ではありませんでした。大昔の戦闘では、殺した相手を食べることは広く行われていたようです。中国の唐の時代には、公然と市場で人肉が売られていた記録があります。私たちが長い間セーリングを楽しんだカリブの島々も、喫人の習慣があったところですし、太平洋のパプア・ニューギニアやソロモン諸島でも喫人していました。
アメリカの西部開拓史上でもドーナー・パーティー(Donner Party)の悲劇はとても有名です。カルフォルニアを目指した幌馬車移民団、ドーナー一行が、1846年に冬のシェラネバダの山中で雪に閉ざされ、87人中48人が生き残った事件です。それだけなら、幌馬車や手押し車の移民は移動の途中で随分脱落して死にましたから、チョット生存率が低いかな…という事件に過ぎないのですが、48人の生存者が死んだ人の肉を食べていたことが分かり、一挙に大事件として取り扱われるようになったのです。
最近では…と言っても1972年のことですが、ウルグアイのラクビー・チームのメンバーら45人を乗せた飛行機がアンデス山中に墜落し、16人生き残り、彼らは人肉を食べていたことがスキャンダラスに報道されたことを覚えている人も多いことでしょう。
この事件は映画にもなり、若いイギリスのジャーナリスト、P.P.リード(Piers Paul Read)が生存者に詳細なインタヴューをして書き上げた『The
Story of the Andes Survivors』 (『生存者』新潮社)がベストセラーになりました。その時、生存者に群がった報道関係者の方が、肉とあれば何でも噛み千切る"ピラニア"のようだったのは有名です。
アウシュヴィッツなどの収容所で、人間の体をあれだけ徹底的に利用しようとした、髪の毛から毛布、体脂肪から石鹸、皮膚はランプシェードを作ったナチスでさえ、人肉ハンバーガーは作りませんでした。
これらの、喫人はいずれも極限状態で生存のために起こった事件で、彼らが置かれた極限状態を知るよりも先に、喫人の方だけ表面に出て、スキャンダラスな事件として取り扱われました。彼らは食べるために殺してはいないのですが…。
幸い、私は今までところ…という条件付きですが、そんな飢餓状態に陥ったことはありません。ヨットで漂う生活をしていた時に、ウチのダンナさん、「オレが死んだら、腐る前に遠慮なく食えや。オレはきっと神戸ビーフ並みに美味しいぞ…」と言っていましたが、まだ味見する機会はありません。
第473回:日本の百歳のお母さん
|