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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第2回:ヴィッキー 1 “ヴィーナスの誕生”

更新日2018/01/11

 

毎朝、カフェテーラ(Cafetera:エクスプレッソ・マシン)のスイッチを入れ、蒸気圧が高まるまで、前夜の後片付けといっても、賄いを手伝ってもらっているカルメンおばさんが洗い物をしてくれているのだが、食器を所定の戸棚に入れ、ワイングラスを逆さに吊るすハンガーに引っ掛け、夜露に濡れたテーブルを拭くくらいのことだが、そうこうしている内にカフェテーラの温度が上がり、エクスプレッソコーヒーを通すに充分な蒸気圧になる。

一杯目のコーヒーはいつものことながら、自分のために淹れる。コーヒー豆はコロンビアのものだが、旧市街のメルカード・ヴィエッホ(Mercado Viejo:旧市場)の外輪に間口3、4メートル、奥行き6、7メートルほどのコーヒー豆をローストしている店と呼ぶべきか、ロースト町工場と呼ぶべきか、看板も商品の展示もなく、通りすがりの人は、そこでコーヒーを売っているとは全く気が付かないだろう、そんな店で買ってくる。

と言っても、特にそのコーヒー焙煎店を選んだわけではなく、そこ一軒しかなかったから、そこで買うより他なかったのだが…。焙煎コーヒー屋は“カフェ・イビサ”と名乗っており、書品名も“カフェ・イビサ”だった。程良く煎ったコーヒー豆のように焦げ茶色の禿げ頭をした、年齢40と80の間、言ってみれば、年齢不詳のオヤジさんが豆を煎っており、そこで週に3回ほどコーヒーを仕入れてくるのだ。

そこのコーヒーが何より香ばしいのは、朝煎ったコーヒー豆をその日のうちに売り切り、翌日に持ち越さないからだ。そこのオヤジさんの能書きによれば、必ず混じっている虫食いビーンズ、未熟なビーンズなどを丁寧に取り除くのが肝心だそうで、そんな豆が1個でも混じると、その回にローストする何キロかが全部ダメになるとゴタクを並べていたものだ。

運良く、そこでコーヒーを買うことができたなら、と言うのは、特に夏場はすぐに売り切れになるからだ。それはその日の朝にローストしたものであることは請合ってもよい。売り切れになることが分かり切っているのだから、もう1回ローストマシンを回し、焙煎コーヒーを倍にすればよさそうなものだが、オヤジさんは夏も冬も決まり切った量しかローストせず、売り切ったら店を閉めるという、何十年も続けてきた遣り方を変えようとしないのだ。私は年季の入ったコーヒー缶(2キロほど入るだろうか)を持参し、まだ暖かい煎りたての豆を2キロ量り売りで買うことにしていた。

店を開ける前、マグカップに入れたコーヒーを片手に、テラスから海を眺めるのが習慣になっていた。セマナ・サンタ(Semana Santa:聖週間=イースター)が過ぎたばかりの、まだ春先のことだったし、夜ふかしの島では当然朝も遅く、朝陽がすっかり海面から顔を出す8時、9時がイビサの一番静かな時間帯だった。

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カサ・デ・バンブー(竹の家)と名付けたカフェテリアの前からちいさな入江を望む。
この湾は握りこぶしほどのゴロタ石の海岸なので、地元の人しか来ない。
避暑客は砂浜の方へ流れていく。[Photo by Koba]

その朝は、いつもと違った。
女性の嬌声が海面に響き渡り、反射して20メートルほどある崖の上のカフェまで届いてきたのだ。

一体、女性はどうして海と戯れるとき、ああまで自然なのだろう。そこには気取りもなければ、恥ずかしさもなく、大海原と朝陽の接点に若さにはちきれんばかりの肉体を晒していた。3人の裸の女性が、まだ冷たい海に飛び込み、「ケ、フリオ! ペロ、アグア・エスタ・ムイビエン!」(ウヒャ、冷たい! でも、海の水は素晴らしい!)とか「さあ、早く一挙に飛び込め!」と叫び、誰もいない小さな入り江を彼女たちだけで占有していた。

ボッティチェリ(Botticelli)のヴィーナスの誕生が大きな貝に乗って海から現れたところを描いたのは正しいな…と思いながら、海と戯れる3人の素っ裸の女性を観るともなく見ていた。水から上がった彼女らは素っ裸のまま、肉体を誇るでも、羞じるでもなく、薄っすらと焼けた肌が海の水をはじくに任せていた。彼女らがディスコの朝帰りなのは明白だった。多分に酔い、家に帰り寝る前にひと泳ぎとしゃれたのだろう。

イビサに住み始めた当初、素っ裸オンパレードに度肝を抜かれたものだが、何事もすぐに慣れてしまうものだ。第一、裸といっても、プレイボーイ誌から抜け出たような女性は極々マレで、孫連れの爺さん、婆さん、中年太りの何段腹を抱え、巨大ではあるが、ヘソまで届く垂れたオッパイのドイツや北欧のオバサンらが大半で、むしろそんな体は見たくない、隠して貰いたいというのが本音に近い。白魚か人魚のようなティーンエージャーにお目にかかるのことなど滅多にないのだ。

そんなことを考えるともなく3人の女性を観ていたのだろう、そのうちの一人が、「タケシ、何を真面目な顔をして観ているの? こっちに来て一緒に泳ごうよ」と、私の名前を呼んだのだ。声の主はヴィッキーという名のカタラン娘で、私のカフェテリアの常連だった。

ヴィッキーはすべて丸というか、球で構成された顔、体の持ち主だ。顔も真ん丸、ほっぺも丸く、両方の乳房は大きなドンブリを伏せたような半球で、お腹もお尻も丸くはちきれそうだ。西欧人の顔にはいつも騙される。顔が小さく、ホッソリとしていても、イザ裸になると、高い位置にあるウエストからグイと横に張り出すような圧倒的な腰の大きさに驚かされるのだ。ヴィッキーも小さな丸顔だけを見たら可憐な乙女と見間違えることだろう。 

彼女たちの自然な美しさは裸の時だけのものだ。一度、街の市場でヴィッキーと出会ったことがある。ソフトトーンの色合いのブラウスにインドものの緩やかなスカート姿だったが、まるで小太りのチンコロ姉ちゃん風だったのにショックを受けたことだ。

ルーベンス(Rubens)が描く存在感のある豊満な体は、現代の感覚でいえば大変なデブだ。『三美神』や『パリスの審判』で描かれた女性たちにどのような衣装を着せたところで、とてつもなく格好が悪く、とてもファッショナブルには見えないだろう。しかし、裸の女性、しかも海辺で戯れる女性には自然な野生動物の美しさがあるのだ。

-…つづく

 

 

第3回:ヴィッキー 2 “カフェの常連とツケ”

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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