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第5回:フランコ万歳! その5 

更新日2021/04/15

 

マドリッドのユースホステル(以下、ユース)はその当時、日本人バックパッカーの間でとても有名だった。スペインにユースホステルは少なかったし、ユースホステルに泊まるのと同じ料金か、それ以下で泊まれるペンションがたくさんあったにも拘わらず、マドリッドのユースが有名だったのは、ロケーションが“カサ・デ・カンポ”(Casa de Campo)という郊外の森の中にあり、広々したコンパウンド(複合施設)を持っていたことと、管理がズボラで、最初にチェックインし、何日分かの料金を払うと、その後のチェックは全くなく、タダでということはモグリなのだが…、公然と3ヵ月でも半年でも滞在できたからだ。

スペインへ南下する途中、イギリスやフランスのユースでマドリッドのユースのウワサをよく耳にした。ドイツ人、北欧人らは日本人が“ノサバッテイル”というような表現をし、日本のバックパッカー、ユースホステリング旅行を健全にコナシテいる若者は、あんなところに長居したら、旅行自体がダメになる、旅行を続ける気があるなら、3日で切り上げるべきだ…と忠告してくれたものだ。何やら、マドリッドにある“カサ・デ・カンポ”のユースは、悪魔的な魅力溢れる、容易にはまり込みそうなところのように語られていた。

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カサ・デ・カンポにあるAlbergue juvenil(ユースホステル)
hirobonさんの写真を拝借(2011年撮影)

地下鉄の最終駅を降りて、照りつける夏の陽差しの下、木陰を選ぶように森を歩き、そのユースに辿り着いたのだった。ユースはコの字型に建てられており、真ん中に広いパティオと呼ぶべきか、幅100メートル、長い方は150~160メートルもある広場があり、男子寮と女子寮が向かい合うように建っていた。コの字の底部に食堂、事務所あるという、豪勢なものだった。

広場は味も素っ気もない赤茶けた土がむき出しで、中ほどに国旗を揚げるための高いポールがあるだけで、涼しげな木陰も、ピクニック用のベンチやテーブルも何もない、ただガランとしたスペースがあるだけだった。おそらく収容人員は総計300~400名になろうかという大規模なもので、軽量レンガの平屋の寮の中に入ると、二段ベッドが果てしなく並んでいた。

それにしても、私が足をこのコンパウンドに踏み入れた時、実に閑散と静まり返っていた。人影が全くなく、一体全体オープンしているのかどうか疑ったほどだった。本館の事務所に行って3日分の支払いをし、受付のセニョリータが片言の英語で、食事はどうするかと訊いてきたのには、少なからず驚いた。ここに食堂があるとは想像していなかったからだ。料金も安く、疲れていたので、そこで昼食を摂ることにしたのだった。

陽光の差し込む広々とした食堂は、本格的なレストランのようだった。そこにいたのは女性軍が圧倒的に多く、イギリス、ドイツ、北欧からのホステリング組ばかりで、ウワサの日本人は一人もいなかった。飢えていた私には、食事がとても美味しく感じられた。

そして強い印象を受けたのは、ワインが、サア~、好きなだけいくらでも飲みなとばかり、デーンとテーブルに置きっ放しになっていたことと、前菜のスープ、サラダ、それにパエリャ(パエリャが前菜とはこの時知った)が食べ放題だったことだ。おまけにデザートとして、フラン(プリン)か果物を選べるという、ほとんどフルコースに近いメニューだった。

私はスコットランドを出てから、イヤ、スコットランドにいた間も、こんな本格的、豪勢な食事をしたことがなかった。アバディーンからロンドンまで“フットパス”を歩いた時も、ポーク&ビーンズの缶詰が主食で、時折、パブや屋台のフィッシュ&チップスを味わうというより、腹に詰め込むだけだったから、このユースの食事にはとても感動した。

ベッドは指定ではなく、どこか空いているところに寝ろ…というやり方だった。
男子寮に一歩足を踏み入れると、そこに大きな日本の国旗が下がっていた。それも、日の丸を中心にサインやら、警句やら、俳句などをマジックインクで寄せ書きのように書き散らしてあった。私は奥の方のベッドで横になり、呑み慣れないワインのせいか、旅の疲れからか、そのまま寝入ってしまったのだった。
それが私のシエスタ事始めだった。このシエスタの習慣は嵌るとナカナカいいもので、スペインにいる間はもちろん、今に至るまで、欠かせない習いになってしまった。

陽が傾いてきたのと同時に、寮の中がザワツイテきた。ベッドから這い出したところ、マア~、いるはいるは、ウワサで耳にした日本人バックパッカー、常駐組、日本を出てから3~5年放浪してきた風の輩が十数人もいたのだ。これほど多くの放浪組が一同に会しているのは異様に見えた。彼ら貧乏旅行の大先輩たちは、炎天下を歩き回る愚を冒さず、それぞれお気に入りの場所でシエスタを決め込んでいたのだ。夕暮れで涼しくなり、ネグラからゾロゾロと這い出してきたのだ。

スウェーデンで皿洗いなどレストランの下働きをし、小銭を貯め(それで物価の激安だったスペインで半年以上暮らせたのだ…)、このユースにたむろしているのが半分くらい、ここから南下してモロッコ、アルジェリアを経て西アフリカに向かう者と、バスを乗り継ぎ中近東経由でバンコックまで行くつもりの者、そして、将来のことなど誰が知る、日々の喜びを味わうだけで十分だという、スペインの太陽と食べ物、ワインだけあれば他に何もいらない組が渾然としていた。彼らは私の先達であり、旅の大ベテラン、指南役だった。

私が初めてマドリッドのユースを訪れた時の番長は石岡と言った。痩せ型で人好きのする好漢で、マドリッド・ユースホステル何代目かの番長を襲名していた。彼の仲間、ゴルド(gordo;太っちょ、デブの意)、コウシロウ、ヨタロウ、ヨサブロー、ガンジャ、お化け、シロチャン、絵描きのタケダさん、ギターの山田さんなど、皆の顔を懐かしく思い出す。マドリッドのユースで出会い、半世紀を経た今でも、彼ら同士で親交を保っている。

私が感動したユースの昼食を、「ありゃ~高すぎる、その3分の1も払えば腹いっぱい食べれるところがたくさんあるぞ…」と、歩いて30~40分もかかる大学の食堂、線路を渡った住宅地にある安レストラン、マドリッド市内の激安ペンションの下にあるレストラン『森の家』などに連れて行ってくれたのだ。

太陽がすっかり落ち、暑さが急激に去り、心地よい森の空気が流れ始める頃、サーテト、今晩もそろそろおっぱじめるとするかといった調子で、広場の真ん中で車座になって酒盛りが始まるのだった。飲み物はワイン(安物のヴァルデペーニャ=Valdepeñas;ミネラルウォーターより安かった)を各自が持ち寄ったアルミやプラスティックのコップに注ぎ、乾杯を繰り返し、歌うのだった。

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ユースのパティオ(現在は椅子&テーブルがあるようです)

-…つづく

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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第2回:フランコ万歳! その2
第3回:フランコ万歳! その3
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