■くらり、スペイン~愛知万博スペイン・パビリオン幕の内、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく! 著書『カナ式ラテン生活』。kanasol.jp



■愛知万博スペイン・パビリオン幕の内、の巻
第1回:スペイン万博公団も私も気合い十分(1)
第2回:スペイン万博公団も私も気合い十分(2)
第3回
日本で有名なスペイン人、アンケート結果(1)
第4回:日本で有名なスペイン人、アンケート結果(2)
■移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻(連載完了分)
■イベリア半島ふらりジカタビ、の巻(連載完了分)

■更新予定日:隔週木曜日


第5回:グルメ界のギャラクシー軍団、日本上陸

更新日2004/12/23


腹が減っては戦ができぬ。というわけではないだろうが、というかそんなわけでは絶対にないのだがともかく、スペインの愛知万博関連イベントのトップは、「食」関連のイベントが飾ることとなった。その内容もすごい。なんと、いまを時めくスペインのトップ・シェフ15人が、揃って日本へやってくるのだ。そのメンバーを見て、私はすぐに「うーん、こいつはスペイン・ガストロノミー界のギャラクシー軍団だぜ!」と膝を打った、ような気がするほど、心底驚いた。

▽ 世界中が憧れるあの若手シェフが

15人を率いる、わけではないのかもしれないが、知名度がいちばん高いため常に名前がトップに挙げられるのが、フェラン・アドリア。実は先日行ったアンケートの最後に「エルブリを知っていますか?」という項目があったのだが、エルブリとは、彼がオーナーシェフを務めるレストランの名前だった。ちなみに回答に占めたYESの割合は、約50%。海外のレストランの知名度としては、非常に高いといえるだろう。

フェランは1962年5月14日生まれというから、現在42歳。ちなみに藤井フミヤより2ヶ月お兄さんになる。もちろん、血の繋がりがあるとかそういうことじゃなくて。フェランは30代半ばにして、シェフを務めるエルブリにミシュランの3ツ星をもたらした。そして、食材の旨みを泡に閉じ込める「エスフェリカシオン」など独創的なスタイルで、瞬く間に時代の寵児に。カタルーニャ地方の辺鄙な場所にあるエルブリは、いまや世界でもっとも予約が取りにくいレストランといわれる。

そんなフェランは、代々、地元の有力な名家の厨房をあずかってきた歴史ある料理人の家系に生まれ……とかいうことはまったくなく、エルブリのオフィシャル・サイトによると、両親はまったく料理の世界と関係ないどころか、自身が学校で専攻していたのもビジネス学だったという。しかも17歳か18歳で「特にこれといった理由もなく」退学、さらには、(ハウスやテクノ系ミュージックの聖地として知られる)「イビサで休暇を!」過ごすために職探しをした結果、ホテルで皿洗いの仕事についたのがキャリアの始まりらしい。へーえ。

その後、イビサのクラブ(やっぱり!)で働き、戻ってきて様々なレストランを経て、当時はまだ義務だった兵役によって「総司令官の料理担当スタッフの一員」となり、やがて厨房の責任者となったのだとか。で、戻ってきてからエルブリでの華々しい活躍が始まる。それが、いま世界中が憧れる若手シェフ、フェラン・アドリアのバイオグラフィーなのだった。へえええ。

▽ スペイン中が憧れるあのベテラン・シェフも

フェラン・アドリアは、2004年5月に盛大に行われたスペイン皇太子結婚式の前夜の晩餐会を担当した。日本の皇太子も列席したこの晩餐会でのメニューを、ソフィア王妃はすっかり気に入り、フェランに「王室のシェフにこのスープのレシピを教えて頂戴」と頼み込んだという。このとき、フェランとともに厨房を指揮していたのが、フアン・マリ・アルサックだ。

1951年に父親が亡くなったときフアン・マリは9歳だったというから、1941年か42年生まれということになる。ちなみにジョン・レノンが1940年、渡哲也が1941年、池乃めだかが1943年生まれさん。ということで現在60代の前半となるフアン・マリは、スペイン・ガストロノミー界の、押しも押されもせぬ重鎮である。

フアン・マリは、こちらはガストロノミー一家に生を享けた。まず1897年、祖父母が美食の土地バスクのサン・セバスティアン近郊にタベルナをオープン。やがて両親がそれを受け継ぎ、レストラン&バンケットの名店として発展させる。これを引き継いだ三代目が、フアン・マリ。彼もまた兵役や外国での修行を経て、レストラン・アルサックの厨房に入った。最初に担当したのは、肉の炭火焼だったという。

フアン・マリは、バスク料理の伝統的な手法をベースにしながら新しい食材にも積極的に取り組み、ヌエバ・コシーナ(スペイン版ヌーベル・キュイジーヌ)を提案、70年代半ばには国内で圧倒的な名声を博すようになった。やがて1989年、レストランはミシュランの三ツ星を獲得。これまで15年間、そのクオリティを維持しつづけている。

現在、レストランでは四代目となる娘のエレナが、父であり名シェフであるフアン・マリと意見をぶつけ合いながら、ともに厨房に立っている。ちなみに、最近行われた全国紙の調査で、アルサックは「スペイン人が一度は行ってみたいと思うレストラン」の第一位に輝いた。スペイン人が憧れる名店なのである。

この、スペインを代表するスーパー・シェフふたりが揃うだけでも大変なことなのに、さらに13人ものシェフがチームを組んで日本へ行くのだ。これはもう、この原稿を書いているだけで胃液が活発に分泌されるのがわかるほどのすごさである。

 

第6回:愛知万博スペインパビリオンを、よろしくね!