第6回: ヒマワリの姉御(前編)
更新日2002/05/30
アミーガ・データ
HN: TiTi(ティティ)
1964年、神戸生まれ。
1992年よりスペイン生活、現在11年目。
マドリード在住。
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数年に一度、移住先のスペインから訪れる日本。懐かしい故国へは、「帰る」のか、「行く」のか。彼女、TiTiは明確に「行く」という表現を選ぶ。いつでも帰って来いという親がいる。変わらず温かい友がいる。それなのに日本を訪れるたび、彼女は違和感を感じてしまうという。そうして揺れる心を抱いて帰る先、安らぐことのできる場所が、いまはスペイン。もはやこの地が、彼女の故郷となってしまったのだろうか。
27歳、広告代理店勤務、年収400万円超。まだ世間はバブル景気だった頃、TiTiも狂騒の中にいた。次々と舞い込む仕事を、連日の残業と徹夜でこなす。大企業ではない会社の中堅社員として、制作から営業までが彼女の担当だった。立ち止まることのできない日々に、ろくなアイディアも出なくなる。クリエイティブって、なんだったっけ。自分が枯れていくような気がした。焦りがつのっていた時期、プライベートでも大きな問題が起こった。
「大丈夫?」 心配してくれる友にも、まともな対応ができない。長年の友人ともいつしか疎遠になった。「このままじゃいけない」 心身ともに消耗しきった彼女は、いったん日本を離れることを決意する。行き先はスペイン。貯金をはたいての留学生活。
TiTiの履歴には、某外国語大学スペイン専攻科卒業、の文字が光る。もともと、男女雇用機会均等法施行前の当時では女性の就職には語学習得が有利だろうと思ったから、というよりは、大学が地元にあり学費面で優遇措置があったから選んだ進路であった。とはいえ、ぎっしり詰まったカリキュラムをこなすうち、「クラスでいちばんバカだった」彼女でも、スペイン語の文法力や読解力は身につけた、はずだった。そりゃまぁ、カンニングでもらった単位もあったのだけれど。
それが留学生活の当初、まったく会話についていけない。3ヵ月のプログラム終了後には最上級コースに進んだものの、出身学科を尋ねられると「えっと、国際関係」と偽っていたという。最初に同居したフランス人の女の子に「えっ、あなたスペイン語を専攻してて、そんなに喋れないの?」と心底驚かれたのが、TiTiにとっても心底ショックだったのだ。
それでも、留学生活は楽しかった。誰も知らないところで、ゼロからのスタート。日本でのしがらみに窒息しかかっていた彼女には、最高の環境だった。新しい生活、新しい友達、そこには生まれ変わったTiTiがいた。「ほんまに、楽しかったのよ!」 インタビュー中、当時を振り返っては何度も口にした言葉だ。
留学先のサラマンカにはスペイン最古の国立大学があり、世界中から学生が集まってくる。だからこの街は、とても開放的な雰囲気で有名だ。だが、他の学生より少し年長で、日本での人間関係に疲れきってきた彼女は、男性の友人宅に泊まってもなにも「しなかった」。そのことについて、ある夜、男友達が、真剣な顔で彼女のもとを訪れた。
「な、……君は病気を持っているのか?」 もちろん、性病のことである。びっくりしながらも否定するTiTiに、彼は続けた。「じゃ、病気が怖いのか? もしそうなら、僕に相談してくれ。僕は病気じゃないから。いや、なんなら絶対に病気じゃない男を紹介しようか?」 そうじゃなくって。そういうのはいいの。彼女が必死に説明しても、彼は納得してくれない。「ダメだよ。こんなに長い間エッチしないのって、絶対に健康に悪いってば!」
結局彼女は自分の主張を通したのだが、このように仲間同士で真剣に相談しあい、助け合った数ヶ月の留学生活は、素晴らしく自由で楽しいものだった。Titiはスペインでの宝石のような思い出を胸に、日本へ帰る。だが、そこに待ち受けていたのは、出発前となにも変わらない環境だった。
第7回:
ヒマワリの姉御(後編)