■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)

■更新予定日:毎週木曜日

第7回: ヒマワリの姉御(後編)

更新日2002/06/06 

アミーガ・データ
HN: TiTi(ティティ)
恋しい日本のもの:『ひと。家族や友達』
『温泉』『景色。田舎の風景や地下街など』

TiTiを一言で表すと、「姐御肌」。万事にさっぱりと侠気ある対応を見せる反面、後輩や弱い者には細やかな心遣いを欠かさない。たとえばスペインではよくある、ジプシーの子どもが物乞いに来る場面で。私は目を合わせないようにして過ぎ去るのを待つだけの「山手線タヌキ寝入り作戦」なのだが、彼女は「こういうのは本当は子どもにさせることじゃないのよ」と向かい合って会話をし、必要だと感じたらある程度の喜捨をする。安易な差別も、その裏返しの同情もない。真剣に生きてるなぁ、と、つくづく思う。

関西弁をぶっ放しながら、陽に灼けた小柄な体の全身で生きる、ヒマワリのような彼女。だが10年前は、屈託ある日々を送っていた。数ヶ月のスペイン留学生活で久々に大きく開いた彼女の花は、日本に帰った瞬間、急速にしぼんでしまう。距離をとることであるいは好転するかと思っていた問題は、以前よりも悪化していた。「日本にいちゃ、ダメだ」 今度は移住を決意して、スペインへと渡った。


マドリードで、再びゼロからのスタート。学生時代には自分を生き返らせてくれたこの環境も、いざ仕事となると、とてつもないマイナスとなってしまう。とくにスペインは、何よりコネがものを言う社会。知り合いもいず金もないTiTiは、すっかり落ち込んでしまった、わけではない。「ま、なんとかなるでしょ」 長年の友人が太鼓判を押す「どっか1本、抜けてる」かんじの、根拠ない自信はあった。だいじょうぶ。どんなに苦しくても、スペインには「自分が自分でいられる自由」があるから。

同じくスペインに職を求めてやってきた外国人、多くは南米出身のひとたちとの共同生活。みんな、簡単には仕事が見つからない。1ヶ月をジャガイモとタマネギ、鶏レバーだけでしのいだこともあった。貧しいものどうしで助け合う日々。いや、貧乏同士、というには語弊があるだろうか。「周りはもっと切羽詰まって貧乏してる。頼れる家もない、とか。私はいざとなったら帰る家がある。だから、楽観的になれたのかもしれない」

それでもやっぱり、貧乏は貧乏。仲間とテキ屋をしながら食いつないでいた。そんなとき、商品の仕入れのため身分を偽って入り込んだ展示会で、ある日本人を見かける。どうも言葉がわからず、苦労しているようだ。持ち前の侠気を出して、無償で数日間手伝った。実はその男性、某メーカーの社長。これが縁で、「あんたはちょっとヒッピーみたいやけど、大丈夫かなぁ」と心配されながらも、彼女はスペインに新しく設立する事業所の代表責任者に抜擢されることになった。

 会社の設立登記、会計。専門用語の飛び交う場面でTiTiを救ってくれたのは、貧乏時代の仲間だった。10年経った現在も、彼らはビジネスと生活の両方で、大切なパートナーである。


日本とスペイン、「今日できることを明日に延ばすな」の国と、なんでも「マニャーナ(明日)」にしてしまう国。日本では簡単な情報収集も、スペインでは迅速さ、正確さの両面で想像以上の苦労をする。日本式のやり方や常識は、ここでは通用しない。だからTiTiの仕事の少なからぬ部分を、大きく異なる2つの社会の間に橋を架け続けるという根気のいる作業が占めることになる。さらに、スペインでは友情が仕事と結びつかないというのも、彼女が驚かされたことのひとつだ。

「アミーゴの国」というイメージからすると意外なのだが、実は仲間内であっても、金銭がからむと容赦ない「裏切り」が多いという。支払不能な小切手をつかまされる、取引先にドロンされる、そんなことは日常茶飯事。いや、裏切りという意識はないのだろう。たとえばスーパーで平然と万引きをした友人は、驚く彼女にこう言った。「『いま金はないけど、これは必要やから』やて。利益は分けて当然、って考え方ね。もう、目が点、だったわよ」

こんなこともあった。共通の知人のあまりにひどい裏切りに怒った友人が、その知人をボコボコに殴り倒して刑務所入り。数年後に再会したとき、彼はTiTiにこう言ったという。「おまえたちの分も殴ってやったぜ。あいつはこれから一生、ひとさまに顔向けできんような生活。俺は刑務所に行ったけど、こうやって友人と抱き合える。それでえーやん」

とにかく行動が自分に正直。たまたまそれと社会の規範とが合わなかったら、おとなしく刑に服するだけ。ビジネスでも「お客様は神様」なんてきれいごとは決して言わない、人間同士のぶつかりあい。厳しい側面もあるけれど、そこには「自分が自分でいられる自由」がある。そしてこれこそが、彼女にとってのスペインなのだ。


数年に1度、仕事などで日本に行く。その昔TiTiを苦しめた問題も、いまはもうない。あるのはただ、親や友人の懐かしい顔。でも、現在とつながる情報がない。急速度で変わり続ける日本に数年を経て立つと、自分が異邦人になったようだ。そのかわりに、外国人であるはずのスペインでは、異邦人のような感覚はない、というわけでもないという。10年の間に、家族のような存在の仲間もできた。必要なものも、まぁ過不足なく揃った。貧乏も激務も大病も経て手にした、「自分が自分でいられる」生活がある。それでもTiTiは、日本人だった。年月を経るにつれ、かえって日本人としての自分を意識することは増えてきている。

スペインという異国で、自分が汗水流して耕した土地にすっくと立ち、大きく開いたヒマワリ。明るく、強く、輝く。それが私から見た、現在の彼女の姿である。さんさんと輝くスペインの太陽も、啖呵切る浪花節も、どちらも本当によく似合う。ヒマワリの姐御、今後もどかんと花を咲かせ続けてくだせえよ。姐さんは、あっしらの憧れっすから。

 

 

第8回:素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)