「毎日サーフィンをして帰ってくると、することがないので、自分で図面を引いて、セメントまみれになりながら楽しんでコツコツと家を作ったんです。ただ台風の時なんか、屋根が吹っ飛んでしまったりして、一部地元の大工さんに頼んで改修しましたが…。プエルト・エスコンディードはのんびりした街ですが、泥棒が多いのが難点。ただ現地に住んでいると、誰が泥棒かすぐに分かるようになるんですよね。蚊が多いのも、慣れていない日本人にとっては頭の痛い問題で、虫除けスプレーは欠かせません」。
Mさんの家には口コミで日本人サーファーが訪ねてくるようになって、ゲストハウスのようになった。宿泊料を取るようにしてからは、多少の現金収入にもなっている。しかし身分は観光査証のため、何かと不便。法人化して居住用の査証を取得したりするのも、弁護士依頼と高いお金が必要となる。
そこでMさんは、貯金と就労査証の取得を目的に、メキシコシティの日系企業に自身を売り込みすることを決意。結果、無事に日系自動車関連会社に通訳として就職。もちろん、すっかり魅了されてしまった波とは一時お別れして…。
一方、オーストラリアのゴールド・コースト郊外に、吹きガラス工房を開設したTさんも女性サーファー。たまたまバイクで沖縄に旅行した際に、沖縄のガラス工芸家と出会い、そのまま師事して沖縄で修業、数年後には個展を開くまでになっていた。30歳半ばにして、未だに現役サーファー。何よりも波と接するのが一番の幸せとか。
「沖縄の波も素晴らしいのですが、もっと世界の波を見たくて…。そこで世界のサーフィン・ポイントを調べて、結果的にオーストラリアのゴールド・コーストにしました。どこの国がいいかというよりは、どこの波がいいかといった感じですね」。
入国後、長期滞在用の査証を取得するに当たって、良い弁護士とも巡り合い、自営用の査証を無事取得。気に入った家も見つかり、ガラスの制作工房も試行錯誤の上、何とか完成。
日に焼けた笑顔がとてもチャーミングなTさん。朝はサーフィン三昧、それからリサイクルを活用したガラス制作に没頭するという毎日。かわいい犬も飼って、自然と調和した充実した生活を実現した。
「4年間はオーストラリアで活動できますが、それからのことは未定。オーストラリアにいるかもしれないし、他の国に移るかもしれません。だって世界は広いし、もっと世界の波を見たい気もしますし……」
波にこだわる、日本人のひとつの生き方がここにあった。
→ 第6回:パキスタン・ギルギット