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第452回:流行り歌に寄せて No.252「わたしの城下町」~昭和46年(1971年)04月25日リリース

更新日2023/02/16


昭和46年4月、私は愛知県立春日井高等学校に入学した。最初は、名古屋市内にある、もう少し偏差値の高い高校の受験を志望していたが、通っていた中学校のかなり厳しく堅実な指導方針で「無理をするな」ということでこの高校に決めたのだった。

結果、今までそこそこ勤勉だったのが、ほとんど机に向かわなくなり、両親を嘆かせることになったのだが、私は今でも、この高校に通学して本当に良かったと思っている。小学5年生の3学期に愛知県に転校してきて、その後はほぼ屈託した思いで中学生活までを終えたのだが、高校に入ってからは、それが一気に解放された。良い思い出がたくさんある。

さて、次回のコラムで詳しく触れたいと思うが、高校の進学祝いに父親から新しくトランジスタラジオを購入してもらい、今までの受験生時代には比べものにならないほど大っぴらに、そして高感度で深夜放送などのラジオ番組を聴けるようになった。

この『わたしの城下町』は、文化放送「セイ!ヤング」の土曜日のパーソナリティ、加藤諦三のコーナーで聴いた記憶がある。人生論、青春論などを番組の中で説いていた諦三先生が、しかつめらしく歌謡曲の紹介をするそのミスマッチぶりが、50年以上経った今でも、なぜかはっきりと心に残っているのである。

小柳ルミ子という人は、その前の年の4月から1年間放送されたNHK連続テレビ小説『虹』(いわゆるNHKの朝ドラは、昭和49年度までは1年の尺だった)に出演していたため、私はすでによく知っていた。(南田洋子が演じる、主人公「三谷かな子」の長女「かおる」役)

実は、これは歌手デビューすることが決まっていて、その前に知名度を高めるために女優としてデビューさせるという構想のもとに行なわれたものらしい。

彼女は、昭和43年に中学校を卒業して、宝塚音楽学校に入学する。在学中に渡辺プロダクションに歌手希望を願い出たところ「首席で卒業したら、その願いを叶える」と回答があったため、昭和45年3月に首席で卒業をする。

それにより、渡辺プロから歌手デビューの約束を取り付けたが、舞台を経験するよう要請されたのに応え、宝塚歌劇団に「夏川るみ」の名で入団するが、わずか2ヵ月で退団し、前出のテレビドラマ出演を果たしたのである。より知名度を上げる方向に転換した形だ。

とにかく『やると思えばどこまでやるさ』という男気の世界を地でいくような、大変逞しい生き方をする人だと思う。

そして、満を持して出されたデビュー曲『わたしの城下町』が、12週にわたって週間オリコン1位(ソロの女性歌手としたは未だに破られていない記録)、ついには昭和46年年間オリコン1位の大記録を作ってしまう。

さらに、この年の暮れの『第2回日本歌謡大賞』の放送音楽新人賞、『第13回日本レコード大賞』の最優秀新人賞を獲得し、『第22回NHK紅白歌合戦』への初出場をしてしまう。とんでもないスケールのスター誕生である。


「わたしの城下町」 安井かずみ:作詞  平尾昌晃:作曲  森岡賢一郎:編曲  小柳ルミ子:歌


格子戸を くぐりぬけ

見あげる夕焼けの空に

だれが歌うのか 子守唄

わたしの城下町

 

好きだともいえずに

歩く川のほとり

往きかう人に

なぜか目をふせながら

心は燃えてゆく

 

家並みが とぎれたら

お寺の鐘がきこえる

四季の草花が 咲き乱れ

わたしの城下町

*橋のたもとにともる

灯のように

ゆらゆらゆれる

初恋のもどかしさ

気まずく別れたの*


(*くり返し)

 

安井かずみと言えば、ポップス系のおしゃれな詞を書く人というイメージが強い。だから、この曲の作詞者が彼女であることを知ったとき、不思議な気がしたものである。

また、生きるスタイルもとても洗練されていて、交友関係も華やかな人である。飯倉片町の『キャンティ』の常連で、同じ常連客である加賀まりことは生涯仲が良かった。実は、この『わたしの城下町』の作詞の際に加賀が傍にいたようである。

この時、詞は20分ほどでできあがったそうである。この曲の歌い出しの部分で、加賀が何かを提案したが、それは却下されてしまったという、面白いエピソードも残されている。

さて、今回たいへん意外なことを知った。平尾昌晃がこの曲でイメージした場所は、長野県の諏訪高島城と上諏訪の街であったということだ。私は、今までぼんやりと、小柳ルミ子の出身の福岡のある九州か、あるいは関西あたりの城下町を想像していた。

平尾は、肺結核で1年間、諏訪湖の上諏訪の対岸にある岡谷の塩嶺病院で入院していた経験がある。入院中には、よく諏訪湖畔を散策したようだ。そして、諏訪地方の地元の人々の人情の機微に触れ、その土地のイメージを『わたしの城下町』に反映させたのだという。

私が入学した小学校が、その高島城近くの高島小学校である。その後、父が家を岡谷に建てたため、2学期の終わりに転校してしまうのだが、今でも校歌の一番は誦じている。(日本最古の小学校の一つと言われ140年の歴史を持つ校名が、一昨年の4月に、児童数が少ないために隣にある城北小学校と統合して、上諏訪小学校というありふれた校名に変わってしまったが…)

その平尾の話を知ったために、この曲が今までよりもずっと身近に感じられるようになった。レコードが発売されてから52年経って、今更ながら、なかなかうれしい気がするものである。

 


第453回:流行り歌に寄せて No.253 「ちょっと番外編〜トランジスタラジオ購入」~昭和46年(1971年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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