のらり 大好評連載中   
 
■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第451回:流行り歌に寄せて No.251 「また逢う日まで」~昭和46年(1971年)3月5日リリース

更新日2023/02/02


歌謡界の歴史に、最大級のフォント・サイズでその名を刻む、阿久悠と筒美京平。
昭和46年(1971年)二人が初めてコンビを組み、いきなりその年の第13回日本レコード大賞と、第2回日本歌謡大賞をダブル受賞し、歌った尾崎紀世彦が同年の第41回NHK紅白歌合戦に初出場、白組のトップバッターとして披露したのが、今回の『また逢う日まで』である。オリコンの週間シングルチャートで、9週連続1位、集計で約100万枚近いセールスと、記録的な大ヒット曲となった。

さすが、後の大作詞家、大作曲家が手がければ、最初からこんな大ヒット曲になってしまうのだと唸ってしまうところだが、実はこの曲ができるまでには、かなりの紆余曲折があったようである。

もともとは、昭和44年(1969年)、三洋電機のエアコンのCMソングの依頼を受け、筒美京平が3曲を書き下ろした。そのうちの1曲(該当曲)に、あの『アンパンマン』の作者である漫画家、詩人のやなせたかしが詞を載せた。それを歌ったのが『若いってすばらしい』『片想い』などの曲で知られる女性ポップスシンガー槇みちるだった。ところが、この曲は三洋側の意向で採用されず、日の目を見ることはなかったのである。

筒美の楽曲の管理会社である日本音楽出版株式会社(日音)の村上司プロデューサー(後の日音社長、会長)は、この曲が表に出ないことを惜しみ、当時『白い珊瑚礁』でヒットを飛ばしていたズー・ニー・ブーの曲として採用したいと考え、『白い珊瑚礁』の作詞者である阿久悠に作詞を依頼する。

阿久は、当時、学生運動の中で、ドロップアウトしていた若者の心情を反映させ、『ひとりの悲しみ』という名のタイトルの詞を、この曲に載せたのである。そしてでき上がった曲は、後の『また逢う日まで』とアレンジがほぼ同じだった。今回聴くことができたが、ヴォーカルの町田義人の声量のある歌声も魅力的で、素敵な曲になっている。しかし、ヒットには至らなかった。後出しジャンケンのような言い方で恐縮だが、やはり詞が弱いような気がする。

ところが、村上はまだ諦めない。どうしてもこのメロディーを世に広めたく、尾崎紀世彦に『ひとりの悲しみ』をテスト録音させたりしながら、阿久に、もう一度詞を書き直してくれるよう説得する。最初は書き直しを渋っていた阿久も、再三の依頼に遂に承諾をし、二人の別れをテーマとして『また逢う日まで』というタイトルの詞を提供したのである。

 

「また逢う日まで」  阿久悠:作詞  筒美京平:作・編曲  尾崎紀世彦:歌


また逢う日まで 逢える時まで

別れのそのわけは 話したくない

なぜか さみしいだけ

なぜか むなしいだけ

たがいに傷つき すべてをなくすから

ふたりでドアをしめて

ふたりで名前消して

その時心は何かを 話すだろう

 

また逢う日まで 逢える時まで

あなたは何処にいて 何をしてるの

それは 知りたくない

それは ききたくない

たがいに気づかい 昨日にもどるから

*ふたりでドアをしめて

ふたりで名前消して

その時心は何かを 話すだろう*

 

(*くりかえし)

 

尾崎紀世彦は、昭和18年(1943年)の元旦に、東京都渋谷区に生まれた。父と兄はクラシックバレエのダンサー・演出家、母は日劇ダンシングチームの一期生という、芸術、芸能系の家族の一員だった。また、父方の祖父はイングランド人である。

子どもの頃から洋楽に親しみ、中学生の時、友人とハワイアンバンドを結成、ヒロ・ハワイアンズのメンバーとして17歳でセミプロのデビューを果たした。その後、ジミー時田とマウンテンプレイボーイズに入り、カントリー&ウエスタンのヴォーカルとなる。

昭和42年にはグループサウンズでもあるコーラスグループ、ザ・ワンダースを栗敏夫、朝紘一とともに結成して、テレビのポップス番組にも出演していた。このグループは筒美京平作曲の曲も歌っていた。

そして、前出の日音の村上司の強い勧めがあってソロとなり、昭和45年8月『別れの夜明け』(山上路夫:作詞 筒美京平:作・編曲)でレコードデビューを果たした。デビューの際、ザ・ワンダースのリーダーであった栗敏夫が歌手を引退し、本名の小栗俊雄として日音に所属、尾崎のディレクターになっている。

見事にソロデビューを果たした尾崎だったが、デビューの翌月の9月、タクシーに乗車中に自動車事故に逢い、約4ヵ月の入院で営業活動ができず、その歌唱は評判にはなったもののヒットには結び付かなかった。

だから、先述の『ひとりの悲しみ』のテスト録音は、退院後間もなくのことだったに違いない。そして、その後時を置かずに、歌詞が変更された曲を歌ったところ、爆発的なヒットになった。もちろん、その歌唱力に裏付けされているとは言え、この人は大変な運を持つ人のようだ。

蛇足だが、当時高校1年生になったばかりの私は、前々回ご紹介したあおい輝彦の『二人の世界』が大好きだったため、ロイ・ジェームスの『不二家歌謡ベストテン』で1位を獲って欲しかった。ところが、2位までは行くものの、常にそのトップの座を『また逢う日まで』に阻まれていたため、当時の私はこの曲をあまり好きにはなれなかったのである。

 


第452回:流行り歌に寄せて No.252 「わたしの城下町」~昭和46年(1971年)4月25日リリース


このコラムの感想を書く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


金井 和宏
(かない・かずひろ)
著者にメールを送る

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice


バックナンバー

第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
までのバックナンバー


第51回:お国言葉について ~
第100回:フラワー・オブ・スコットランドを聴いたことがありますか
までのバックナンバー


第101回:小田実さんを偲ぶ~
第150回:私の蘇格蘭紀行(11)
までのバックナンバー


第151回:私の蘇格蘭紀行(12)~
第200回:流行り歌に寄せてNo.12
までのバックナンバー


第201回:流行り歌に寄せてNo.13~
第250回:流行り歌に寄せて No.60
までのバックナンバー


第251回:流行り歌に寄せて No.61~
第300回:流行り歌に寄せて No.105
までのバックナンバー


第301回:流行り歌に寄せて No.106~
第350回:流行り歌に寄せて No.155
までのバックナンバー

第351回:流行り歌に寄せて No.156~
第400回:流行り歌に寄せて No.200
までのバックナンバー


第401回:流行り歌に寄せて No.201
「白いブランコ」~昭和44年(1969年)

第402回:流行り歌に寄せて No.202
「時には母のない子のように」~昭和44年(1969年)

第403回:流行り歌に寄せて No.203
「長崎は今日も雨だった」~昭和44年(1969年)

第404回:流行り歌に寄せて No.204
「みんな夢の中」~昭和44年(1969年)

第405回:流行り歌に寄せて No.205
「夜明けのスキャット」~昭和44年(1969年)
第406回:流行り歌に寄せて No.206
「港町ブルース」~昭和44年(1969年)
第407回:流行り歌に寄せて No.207
「フランシーヌの場合」~昭和44年(1969年)

第408回:流行り歌に寄せて No.208
「雨に濡れた慕情」~昭和44年(1969年)

第409回:流行り歌に寄せて No.209
「恋の奴隷」~昭和44年(1969年)

第410回:流行り歌に寄せて No.210
「世界は二人のために」~昭和42年(1967年)
「いいじゃないの幸せならば」~昭和44年(1969年)

第411回:流行り歌に寄せて No.211
「人形の家」~昭和44年(1969年)

第412回:流行り歌に寄せて No.212
「池袋の夜」~昭和44年(1969年)

第413回:流行り歌に寄せて No.213
「悲しみは駆け足でやってくる」~昭和44年(1969年)

第414回:流行り歌に寄せて No.214
「別れのサンバ」~昭和44年(1969年)

第415回:流行り歌に寄せて No.215
「真夜中のギター」~昭和44年(1969年)

第416回:流行り歌に寄せて No.216
「あなたの心に」~昭和44年(1969年)

第417回:流行り歌に寄せて No.217
「黒ネコのタンゴ」~昭和44年(1969年)

第418回:流行り歌に寄せて No.218
「昭和ブルース」~昭和44年(1969年)

第419回:流行り歌に寄せて No.219
「新宿の女」~昭和44年(1969年)

第420回:流行り歌に寄せて No.220
「三百六十五歩のマーチ」~昭和43年(1968年)
「真実一路のマーチ」~昭和44年(1969年)

第421回:流行り歌に寄せて No.221
「ひとり寝の子守唄」~昭和44年(1969年)

第422回:流行り歌に寄せて No.222
「白い色は恋人の色」~昭和44年(1969年)

第423回:流行り歌に寄せて No.223
「夜と朝のあいだに」~昭和44年(1969年)

第424回:流行り歌に寄せて No.224
「サインはV」「アタックNo.1」~昭和44年(1969年)

第425回:流行り歌に寄せて No.225
「白い蝶のサンバ」~昭和45年(1970年)

第426回:流行り歌に寄せて No.226
「老人と子供のポルカ」~昭和45年(1970年)

第427回:流行り歌に寄せて No.227
「長崎の夜はむらさき」~昭和45年(1970年)

第428回:流行り歌に寄せて No.228
「しあわせの涙」「幸せってなに?」~昭和45年(1970年)

第429回:流行り歌に寄せて No.229
「圭子の夢は夜ひらく」~昭和45年(1970年)
第431回:流行り歌に寄せて No.231
「経験」~昭和45年(1970年)

第432回:流行り歌に寄せて No.232
「ちっちゃな恋人」~昭和45年(1970年)

第434回:流行り歌に寄せて No.234
「京都の恋」~昭和45年(1970年)

第435回:流行り歌に寄せて No.235
「笑って許して」~昭和45年(1970年)

第436回:流行り歌に寄せて No.236
「四つのお願い」~昭和45年(1970年)

第437回:流行り歌に寄せて No.237
「男と女のお話」~昭和45年(1970年)

第438回:流行り歌に寄せて No.238
「一度だけなら」~昭和45年(1970年)

第439回:流行り歌に寄せて No.239
「手紙」~昭和45年(1970年)7月5日リリース

第440回:流行り歌に寄せて No.240
「噂の女」~昭和45年(1970年)7月5日リリース

第441回:流行り歌に寄せて No.241
「走れコウタロー」~昭和45年(1970年)7月5日リリース

第442回:流行り歌に寄せて No.242
「X+Y=LOVE」~昭和45年(1970年)8月10日リリース

第443回:流行り歌に寄せて No.243
「今日でお別れ」~昭和42年(1967年)リリース
昭和44年(1969年)12月25日再リリース

第444回:流行り歌に寄せて No.244
「雨がやんだら」~昭和45年(1970年)10月21日リリース

第445回:流行り歌に寄せて No.245
「或る日突然」~昭和44年(1969年)5月10日リリース

第446回:流行り歌に寄せて No.246
「誰もいない海」~昭和45年(1970年)11月5日リリース

第447回:流行り歌に寄せて No.247
「知床旅情」~昭和45年(1970年)11月1日リリース

第448回:流行り歌に寄せて No.248
「傷だらけの人生」~昭和45年(1970年)12月25日リリース

第449回:流行り歌に寄せて No.249
「二人の世界」~昭和46年(1971年)2月5日リリース

第450回:流行り歌に寄せて No.250
「戦争を知らない子供たち」~昭和46年(1971年)2月5日リリース


■更新予定日:隔週木曜日