第212回:流行り歌に寄せてNo.24 「リンゴ追分」~昭和27年(1952年)
最近は日々の暮らしに追われ、文化的なものにとんと縁がなかったが、今週の月曜日、国立新美術館で開催されていた、セザンヌ展に行く機会に恵まれた。それも最終日であり、古い言葉で言えば「滑り込みセーフ」というタイミングであった。
私は、美術にはほとんど縁のない質ではあるが、どういうわけかポール・セザンヌはとても好きで、サント・ヴィクトワール山を描いた多くの作品と、りんごの入った静物画にたいへん惹かれるのである。
どの画家が描くりんごよりも、セザンヌの描くりんごが良い。あの赤にひたすら魅入ってしまうのだから、我ながら不思議なものだ。
「リンゴ追分」 小沢不二夫:作詞 米山正夫:作曲 美空ひばり:歌
リンゴの花びらが 風に散ったよな 月夜に月夜に そっと えええ
つがる娘は ないたとさ つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが 風に散ったよな あああ
(セリフ)
お岩木山のてっぺんを、綿みてえな白い雲が、ポッカリポッカリながれてゆき、
桃の花が咲き、桜が咲き、そっから早咲きのリンゴの花ッコが咲く頃が、
おら達の一番たのしい季節だなやー。
だども、じっぱり無情の雨こさ降って、白い花びらを散らす頃、おらあ
あの頃東京さで死んだお母ちゃんのことを想い出すって、おらあ おらあ
つがる娘は ないたとさ つらい別れを ないたとさ
リンゴの花びらが 風に散ったよな あああ
私の生まれた長野県、りんごの出荷量はここで歌われる青森県に次ぎ、常に全国2位である。他のことにはあまりライバル心など起こさなかったが、子どもの頃から、どうも「りんごはいつもナンバー2」というのが気になって仕方がなかった。「青森には負けたくないな」と思っていた。
そんなことにムキになるくせに、恥ずかしいことに、私は今まで実際にりんごの「花」というものを見た記憶がない。写真で見る限り、白く可憐な花のようだ。きっと良い香りがするのだろう。
ここでまた、ひとつ疑問が湧く。あの白い花が果実になると、なぜセザンヌの描くような鮮やかな赤になっていくのか。まだまだ、わからないことが多すぎる。
さて、この『リンゴ追分』、歌詞は至ってシンプルで、セリフの方が歌詞よりも長い、不思議な構成の曲である。実はこのセリフの部分は、最初はなかったらしい。
レコーディングの際、間奏部が長かったため、「ここにセリフがあったらいいわね」と提案したのは、当時まだ14歳だった美空ひばりであった。
「それはいいかも知れないな」と、作詞家の小沢不二夫が、その場でさらさらとセリフを書いたのだという。東京生まれ東京育ちの小沢が、よく即興で津軽弁の少女の言葉を紡いでいけたものだ。
もともとTBSラジオ(当時はラジオ東京)のドラマ『リンゴ園の少女』のために作られ、後に同タイトルで松竹映画になった作品のための曲であったために、プロットはできていたとしてもである。
この歌をセリフなしで、上記の状況を知らずに初めて聴いたとしたら、少女の淡い初恋の歌としか思えない。実際、今まであまりセリフを注意深く聴いていなかった私は、最近まで恋の歌だと思っていた。
美空ひばりは、そのセリフを一時期入れないで歌っていたことがあるという。それは彼女が母を亡くした直後のことで、ファンもそれを理解し、「セリフなしのリンゴ追分」を鑑賞していた。
そのファンの心遣いに応え、晩年のひばりは、再び涙とともにセリフを語っていったとのことだ。
(前述のレコーディングの話とともに、合田道人氏の文章から転用させていただきました)
ここからは少し蛇足になるが、最近、りんごを丸かじりしている人を見かけなくなった。昔は、あの有名な福田豊土のデンターライオンのCM、「りんごをかじると血が出ませんか」のように、皮を?かずに、豪快にガブリとかじったものだ。
なぜか、私の妹はあのかじる音が寒気を感じて嫌だからと、「お兄ちゃん、頼むから私の目の前でりんごの丸かじりはしないで」などと言ってきた。その後、世の中にはあの音が嫌いな人がかなり多いことに気付き、少し驚いたことがある。
もちろん、今でも丸かじりをする人はいるのだろうが、大雑把な括り方をすれば、あれは昭和までの食べ方だったのではないだろうか。何かそんな気がするのである。
-…つづく
第212回:流行り歌に寄せて
No.25 「ゲイシャ・ワルツ」 ~昭和27年(1952年)
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