野添千納
(のぞい・ちの)

パソコン通信黎明期よりパソコンをコミュニケーションの手段として使い続けるコンピューター&コミュニケーション・ジャーナリスト。33歳。

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第1回:意思のチカラ

誉めるべきところもある。彼の言動のおかげで国民の関心は一気に政治に向いた。 彼のおかげで、国民がどれだけ騒いでも重要な決定が下されるのはどこぞの料亭という密室政治の伝統も再確認できた。  国民がどんなにNOといっても首相は簡単に辞めなくてよいということも、これだけ評判を落としても次の首相が再び同じ政党から選出されることもわかった。これが「今の日本」なのだ。森さんのおかげでどうやらそういうことがわかった。

友人がこんなジョークを言っていた。「君たちは日本が先進国だと思っているかも知れないが、国民主権がきちんと守られているのはむしろフィリピンの方だ」。彼はアロヨ政権をうち立てたクーデターの話をしていた。かの国では、エストラーダ前大統領が退陣を表明するまでの1週間に携帯電話でやりとりされる文字メッセージが普段の倍以上の約7000万件に増えた。民衆はインターネットや携帯電話で集会参加を呼びかけ合いひとつになったのだ。  インドでは「中国脅威論」や核実験で有名なジョージ・フェルナンデス国防大臣が2人のジャーナリストのワナにはまって辞任した。ジャーナリストたちは武器商人を装って国防省に近づき、賄賂を受け取った瞬間の映像をインターネットで放映した。

日本にもクーデターを!などと物騒な話を切り出すつもりはない。ただ、他国よりも先進的な通信インフラを持ちながら、社会を変えるためにこれを有効利用できるという認識、あるいは活用しようという人々の意思が低すぎるのではないだろうか。インターネットや携帯電話の文字メッセージは「出会い」と「暇つぶし」のためだけにあるわけではない。そろそろ「社会」のしくみとは、ただあきらめて受容するものではなく、我々が能動的に参加して変化するものに変えていきたい。

現在の情報伝播のスピードは、おそらくゴルバチョフ元大統領が発したペレストロイカがベルリンの壁に届き、冷戦時代が終焉を迎えたあの頃よりもはるかに速い。手紙のメッセージが差出人と受取人の間を一往復する間に、電子メールが世界中の人々を巻き込むムーブメントの火種になることも決して夢の話ではない。そこには流儀もプロセスもなければ、場合によっては礼儀作法すらも存在しないこともある。あきらかに見識を誤った意見が飛び出すこともあれば、論旨から逸脱する無意味な話が飛び出たりもする。より多くの人々が関心を示す話題には、さらに枝葉のように伸び広がるチャンスがあり、反対に賛同の得られない意見や主張は自然淘汰されていく。

人の意思は、そこに実践が伴わないかぎり机上の空論で終わってしまう。このことは一斉蜂起を呼びかける民衆の電子メールにも政治家と呼ばれる人々の責任感にもいえることだ。アナログ世代の政治システムは、ものごとの本質や人々の関心よりもプロセスばかりに重点が置かれがちだった。意思決定が行動に及ぶまでの時間がかかりすぎるために、いろいろなことが不完全のまま進んでしまうことが多かった。日本の高度成長時代を支えてきた現在の政治家たちの功績を認めないわけではない。しかし、彼らはそうした功績を築く一方で「閉じたプロセス」を隠れ蓑に自分たちが助かり続ける政治のシステムを構築してしまった。

旧態依然としたシステムへの対峙──人々の新しい意識や意思を、より大きく進化させ増幅するデジタルコミュニケーションが、我々の武器としてこうした状況にも何か大きな変化を与えてくれるものと期待して止まない。

 

→ 第2回:多様性への寛容さ


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