第9回:リメイクとコピー
更新日2007/05/03
欧米人の東洋人に対する偏見はなかなか根づよいものがあります。それは日本人が西洋人一般に対して抱く偏見と違う種類のもので、西欧至上主義の臭いがします。
私が働いている大学の日本人生徒さんが酷い下痢になり、ここの病院で検診を受けたところ、春休みに日本で何を食べたか、犬の肉を食べなかったかどうか、真面目に質問されたそうです。
西欧人、とりわけイギリス人、アメリカ人は、日本で犬の肉が食卓に並ぶと信じている人がまだかなりいるようです。日本では犬の肉を食べる習慣はないし、もしあったとしても鶏や羊、牛を殺して食べるのと、家畜を食べるということにおいては全く同じであることに西欧人は気づこうとしないのです。
健康食ブームに乗って日本食がこれだけアメリカ全土に広がっていても、日本と中国、台湾、フィリピン、ベトナムを地図で正確に指差せるアメリカ人は少ないでしょうし、ましてや文化、食性の違いは、よほどの日本通でない限り知らないのが実情です。
もう一つの偏見は、日本人はすぐにモノマネをし、コピーを作るというものです。実際に先端科学に身を置く人、日本に一定期間以上住んだことのある人、国際的ビジネスに関連している人達は日本がモノマネ文化の国だと思っていませんし、そんなことを口にすることもありませんが、一般のアメリカ人はまだ日本人はモノマネが上手ですぐにコピーすると思っているようです。
モノマネ、コピーというのは、大切な学習過程で、日本でも、写経はお坊さんにとって大切な修行の一つだと聞いています。
映画『幸せの黄色いハンカチ』が、アメリカでリメイクされることになりました。今まで、日本映画からのハリウッドリメイクは『七人の侍』に始まり『シャル・ウイー・ダンス』、果ては恐怖映画の『リング』に至るまで数え切れないほどありますが、アメリカではそれらを“モノマネ”とか“コピー”と呼ばずに“リメイク”と聞き取れないくらいの小さな声で呼び、映画のタイトルの中でもとても小さな字でサッと早く流し、誰も注意を払いません。意図的に虫眼鏡を使わなければ読めないような小さな字で印刷してある、飛行機の切符の裏表紙とか、保険の契約書のようなものです。
アメリカ版の方が本家本元で日本の映画の方がリメイクならぬコピーしていると思い込んでいる一般のアメリカ人のほうが多いことでしょう。
“リメイク”と“コピー”の差を無理して探せば、リメイクの方は原作のオリジナリティーを尊重しながらも、一度原作映画を良く噛み砕いて消化し、製作者(監督)がそこから独自の芸術を創造したもの、と言えますが、普通のアメリカ人にとって自分たちがやるのは“リメイク”で、外国が、特に日本がやるのは“コピー”と言うことになります。
アメリカ人がコピーというとき、どこか見下した、軽蔑の響きがあり、創造性のない人間が手先の器用さだけで行っていること、というニュアンスが漂います。
ここでは、映画のことだけに話しを限りますが、映画好きな私でも、ハリウッド映画を最近ほとんど見なくなっていることに気がつきました。どうもハリウッドには斬新なアイディアが足りなく、一般受けとお金儲けだけを狙った作品が多いからでしょう。だから“リメイク”が盛んで、往年の名画、テレビ番組、ヨーロッパ映画、香港映画、漫画のリメイクが続々と作られています。
そんな中で日本映画がたとえリメイクでも知れ渡ることはいいことだと、私はリメイク大歓迎です。
アメリカ版の『シャル・ウイー・ダンス』を観た同僚や友達に、「実はあれは日本版のコピーでオリジナル日本版の方がズーッと良かった。リチャード・ギアより本家日本版の役所広司さんの方がはるかにリアリティがある」と、ミエミエしく教えてあげたりしているのです。
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