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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第664回:黒人奴隷聖書の話

更新日2020/07/02


私のルーツは、アメリカ中西部のとても保守的なお百姓さんです。父、母の両方とも水飲み百姓に近い貧しい自作農でした。そして両方のお爺さん、お婆さんは、聖書がなくては夜が明けないほど信心深い人でした。そこから出てきた私の父、母の元で育った私も、物心ついた時から、日曜日には子供のための日曜学校(受験のためではありません、お兄さん、お姉さんが聖書物語を分かりやすく紐解いてくれるところです)、それからサービス、礼拝があります。そして、日曜日の夜にも礼拝があります。水曜日の晩にはまた教会に集まり、説教を聞き、互いの親睦を深めます。ですから、日曜日には2回、そして水曜日の晩と週3回、教会に行っていた、行かされていたことになります。

子供の時にそこで学んだことは、儀式の間、ジーッと静かにしていなければならないということくらいでしょうか。子供たちに忍耐力をつける良いトレーニングにはなったかもしれません。全く無宗教で、信仰心のカケラも持っておらず、それでいて、そこらの牧師さんより聖書や聖書考古学に詳しい奇妙なダンナさんと一緒になってから、ますます教会とは縁が遠くなりました。

父方のお爺さんが亡くなった時、長女であるという理由からかしら、お爺さんの聖書が形見として私に回ってきました。相当ボロボロで、いかにもお爺さんの手垢が染み込んでいるような聖書でした。今それを開いてみると、後ろの方に索引があり、聖書の舞台になった地図が付いていたりで、編集者の努力の跡が伺えます。印刷されたのは1936年とありますから、それほど古いものではなく、父に訊いたところ、お爺さんは聖書を何冊も持っていたそうですから、そのうちの一冊が私のところに来たことのようです。

母方はメソジスト、父方はモルモン教の教祖、ジョセフ・スミスの子孫が代々教主を勤めてきた宗派です。使っている聖書も、基本的にはキング・ジェイムス謹呈英語訳を種本にしていますから大きな違いはありません。 

それにしてもキング・ジェイムス訳が出る前まで、1611年のことですが、旧約は古代ヘブライ語、新約は古代ギリシャ語、それに4世紀の終わり頃、ジェロニモ(アパッチの酋長ではありません)がラテン語に訳した聖書しかなく、余程マジメに勉強した坊さんしか読むことができなかったというのは驚きです。今では500もの言語に翻訳されています。その全部が全部、古代ヘブライ語、古代ギリシャ語からの翻訳ではなく、ラテン語、スペイン語、フランス語、英語訳からの孫引き訳です。日本には南部方言の聖書もあるくらいです。

ルッターの宗教改革まで、ローマンカソリック、東方ギリシャ正教、ロシア正教では、聖書を読み砕き、説教をするのはもっぱらお坊さんの専門で、90何パーセントの人は文盲でしたから、神様の教えはこちらが分かりやすく話してやるから、お前たちは黙って俺の言うことを聞け…と、文盲を奨励しているようにさえ見えます。勝手に聖書を読み、本山と違う、間違った解釈をされては困る、許されない…と考えていたフシが濃厚です。

それに、グーテンベルグが活字印刷を始める前まで、写経、聖書を写し書きするのが、坊さんたちの仕事で、美しい手書きの聖書を王侯貴族に献上し、大枚の献金を仰ぐ手段にしていました。今そんな写本が好事家の間で高値を呼び、プロの聖書ハンター、アサリ屋がたくさん出現するほどになっています。ワシントンDCにある聖書博物館の創設者、スティーブ・グリーンさんは古い聖典(マニュスクリプト)を集めた時、膨大なニセモノ、類似品が出回っていることに驚いています。 

聖書は当然のことですが、たくさんの聖書ライター、聖書作家が神の啓示を受けて書いた本です。ところが、この神の啓示というのが曲者で、神様が地上の人間に“啓示”を乱発したのでしょうか、何百という聖典が書かれました。こりゃ、多すぎる、厳選、整理しなければと、これぞ決定版というのを長い年月を掛けて議論し、編集したのが、現代の聖書なのです。

当然、その過程でたくさんのバリエーションが生まれ、また削られました。旧約でいえば、ユダヤ教で使う古代ヘブライ語の聖典は24ですが、プロテスタントでは39、ローマカトリックでは46、ギリシャ東方正教では53もあります。その他に星の数ほどある宗派、新興宗教でも独自の聖典を加えますから、とんでもない数の聖書変奏曲が生まれることになります。

一体、宗教に凝り固まった人たちは異常な集中力、持続力をみせて、神学だけでなく聖書考古学、言語学、文化人類学など、広範囲な研究を積み重ねますから、聖書研究に費やされた時間とエネルギーは気が遠くなるほどです。彼らの費やしたエネルギー、年月を何かもっと生産的なことに使っていたら、世の中、より良くなっていたのでは…と思わずにいられません。

もう50年近く聖書を開いたことがないのに、聖書の話を書いてしまったのは、黒人奴隷のための聖書があると知ったからです。前置きばかりが長くなってしまい、やっと本題に入ります。この“NEGURO SLAVES”版聖書は、出エジプト記など、信仰の自由を求めて王権に逆らう部分がゴッソリ抜け落ちています。ひたすら従順であれ、服従せよとばかりが強調されています。旧約聖書で言えば90パーセント、新約聖書でも半分ほど削り取っています。

黒人奴隷の持ち主にとって都合の良い部分だけを残した悪魔の書と呼びたいくらいです。もっとも、聖書自体、相反する解釈がどのようにでも成り立つような書き方をしていますから、時の治世者は上手く国を治める道具として使い、教会も政治と結び付くことで発展してきました。敬虔なクリスチャンだと自他共に思い込んでいる奴隷オーナーがたくさんいたのです。 

“聖書博物館”に残っている『黒人奴隷聖書』は、1807年にイギリス領西インド諸島(カリブ海のイギリス植民地)で印刷されたものです。タイトルは“HOLY BIBLE”となっていますが、下に小さく“SELECTED”(選集)とあり、さらに下に“NEGRO SLAVES”とあります。どうしてカリブの島で発行されていたのかの種明かしは、それらの島々が巨大な奴隷貿易の中継地だったからです。加えて、取り澄ましたイギリス国内では印刷しにくかった事情があったのかもしれません。アメリカ南部で発行しなかったのは、どうせ黒人は皆文盲だ、黒人は知的欠陥があるから、文字なぞ教えるに値しない、ドッチミチ聖書なんか読めやしない…と思っていたからでしょうか、これは私の想像ですが…。

清貧なキリスト教徒の人々がたくさんいることは認めても、聖書が政策の道具として使われてきたことは否めません。

-…つづく

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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