■拳銃稼業~西海岸修行編

中井クニヒコ
(なかい・くにひこ)


1966年大阪府生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊中部方面隊第三師団入隊、レインジャー隊員陸士長で'90年除隊、その後米国に渡る。在米12年、射撃・銃器インストラクター。米国法人(株)デザート・シューティング・ツアー代表取締役。



第1回:日本脱出…南無八幡大菩薩
第2回:夢を紡ぎ出すマシーン
第3回:ストリート・ファイトの一夜
第4回:さらば、ロサンジェルス!その1
第5回:さらば、ロサンジェルス!その2
第6回:オーシャン・ハイウエイ
第7回:ビーチ・バレー三国同盟
第8回:沙漠の星空の下で
第9回: マシン・トラブル
第10回: アリゾナの夕焼け
第11回: 墓標の町にて
第12回:真昼の決闘!?
第13回:さらばアリゾナ
第14回:キャラバン・ターミナル
第15回:コンボイ・スピリット その1
第16回:コンボイ・スピリット その2
第17回:砂漠の不夜城
第18回:ギャンブルへのプロローグ
第19回:ラス・ベガス症候群
第20回:ギャンブラーとして
第21回:自由の中の葛藤
第22回:アメリカン・ドリーム
第23回:長距離バス
第24回:霧の街サンフランシスコ その1
第25回:霧の街サンフランシスコ その2
第26回:運命の実弾射撃ツアー

■更新予定日:毎週木曜日

第27回:パシフィック銃砲店   

更新日2002/09/12 


私をアメリカで射撃教官の仕事に誘ってくれたスズキさんは、仕事場の紹介を兼ねて、まず射撃ツアーのオフィスのある「パシフィックアームズ(銃砲店)」に連れて帰ってくれた。

サンフランシスコのダウンタウンから、南に車で20分ほど行ったところにそのガンショップはあった。聞けば、オーナーは日本人で自宅もあり、GUNショップとシスコ市内にアパートを2軒経営しているそうで、私と同じく単身渡米して一代でアメリカン・ドリームを成し遂げた、かなりやり手の社長のようだ。社長は、現在日本へ出張中で5日間は不在らしい。

ガンショップは、まだ営業中だった。丈夫な鉄格子とシャッター、そして古い重厚なドアの3重ドアで、セキュリティは万全の門構えだった。

スズキさんのあとについて店に入ると、営業中なのに客の姿も店員の姿も見当たらない。店内には、GUNショップらしく通路の両側のショーケースの中に値札を付けた拳銃、ライフル、ショットガンや各種実弾などがズラリと並んでいた。日本では見ることができない光景に、再びあぜんとしてしまう。

どうやら射撃ツアーのオフィスはこの奥にあるらしい。店内と奥のカウンターを仕切る鎖を持ち上げながら、
「ただいまっ~!」
スズキさんが声をかけると、それを無視したように店の奥から、英語で二人の男が口論する声が聞こえてきた。近づくと一人は中年の白人で、もう一人の方は若い日系人に見えた。スズキさんは「また揉めてるの?」という表情をしながら、
「お客さんを連れてきたよ」
一言いうと、仕事の口論に水を差された二人はこちらを見て、
「ハーイ!」
と軽く挨拶してくれた。

「彼はエキスパートのスナイパー(狙撃手)、ミスター・ナカイです」
とスズキさんは、米国式に私を紹介した。すると、ほ~うっ、という表情で、
「俺はマイク・ヘルダーだ。よろしくな、日本の狙撃手殿」
と、まず白人の店員が右手を差し出してきた。

年齢は30歳代後半、口ひげを蓄え、メガネをかけているので少しインテリっぽく見える。名前からしてオランダ系のアメリカ人だろうか?
骨太な体系の日系人は、
「ア、アレン・ナカミネです。どうぞヨロシク……」
と、小さい声の日本語で自己紹介した。彼は9歳の頃に家族で沖縄から移住してきて、以来20年近く一度も日本に帰っていないそうだ。すると、私と同じ一世の日本人なのだ。

スズキ氏が、私のツアーのあと片づけをしている間、アレンが店内を案内してくれた。オフィスの奥には金属加工をする機械や銃の整備場まであり、GUNオイルの匂いが、鼻をくすぐった。アメリカの本格的なGUNショップに入るのは初めてなので、珍しいものを見つけてはアレンに質問をしてしまうが、その都度彼は、困惑した表情を浮かべながら日本語で説明してくれた。その表情からして、あまり日本語を喋るのが好きではないようだった。

「もしかして、ここで働くかも知れないんです」
とアレンに言うと、彼はさらに困惑した表情になり、米国式になぜ? の意味である両手の手のひらをこちらに向けて、首を振った。それを聞いたマイクも口を合わせたように同感している。一体どういうことなのだ?

話を聞けば、日本からここへ働きにくる人間は多いが、大体半年から1年に満たないうちに、仕事を辞めてしまうらしいのだ。退職すれば、ほとんどが日本に帰ってしまうらしい。私を射撃ツアーに案内してくれたスズキさんも、今回1年間あまりでの退職らしい。

どうやらこれは、この会社の社長がクセ者らしく、社員3人共が社長に対してあまりよいことを言わない。大体、社長というものは社員の敵というのは理解できるので、気にもしなかった。それどころか私自身は、この職場をかなり気に入っていた。

やっとこぎつけたスシ屋の面接が、せっかく3件もあるのに、すでにキャンセルすることに決めていた。会社自体の規模も小さいことが、私のチャンスを大きくしてくれるような気がしたからだ。

自衛隊を辞めてアメリカで就職するなら、射撃インストラクターの方が、どう考えても理にかなっている、と思った。
「詳しいことは、家で話さない?」
とスズキさんが持ちかけてきたので、GUNショップを後にした。

彼の車で家に向かったが、これがまた恐ろしいくらい古いセリカで、さらに事故車のようで、ボンネットからはラジエターが剥き出しになっていた。プスン、プスンといいながら私たちを乗せたセリカは、坂の多いサンフランシスコの街を走った。あまりの急勾配で、たまに車のボディーが地面に擦れる音もする。こんな車に乗っているようでは、給料も大したことがないのかも? と一抹の不安がよぎる。

車の不安とは裏腹に、彼のアパートは結構きれいな、大きい2LDKのアパートだった。リビングにはなんとビリヤード台まであり、日本のアパートとは比べものにならないくらい広かった。それを見たら、アメリカに住めばこんなゆとりのある暮らしができるのか、と思わずやる気も湧いてきた。

「今日はお疲れさまでした、どうぞ、一服」
となにやら紙巻タバコのようなモノを手渡されたので、これは米国式の歓迎かと思い、
「スミマセン」
と一服頂くことにした。
火を付けて、そのタバコをスッと一息吸い込むと、なんとなく気分がリラックスして、ステレオの音楽の音がやたらによく聞こえる。
「これはどこのタバコですか?」
とスズキさんに聞くと、即座に、
「マリファナ」
という返事が返ってきた。その後は体の力が抜け過ぎてしまい、遂に真剣に仕事のことが聞けずに終わってしまった。

夜、私をホテルまで送り届けてくれたスズキさんは、別れ際に、
「今度はコーク(コカイン)でも吸いにきてよ!」
と言った。

シスコは、全米屈指のドラッグ・フリーの街みたいだ……。

 

 

第28回:ラスト・チャンス