第113回:イビサ上下水道事情 その4
『カサ・デ・バンブー』のトイレが詰った。どんな“詰り”にも効果があるという触れ込みの市販の薬品を大量に流し込んだり、大枚を叩いてプランジャー(別名:ラバーカップ;ゴムの吸引道具)やハンドルの付いたそれ用のワイヤーを買い、グリグリ回しながら格闘したが、臭い黄色い液体をかき回し、飛び散らしただけだった。
トイレはレストランにとって生命線だ。私の悲惨な戦いを見るに見兼ねてのことだろう、カルメン(イビセンカの方)が彼女の叔父さん、ホアンを呼んでくれたのだった。この朴訥とした叔父さんの本職はタクシーの運転手(スペインではすべて個人タクシー)だが、冬場のオフシーズンに自分で家を建て、郎党一族の家を建て、建築、配管にすべからく詳しいとのことだった。
『カサ・デ・バンブー』だけのことではないが、イビサ市街を一歩離れると、島には下水設備がなかった。人里離れたカンポ(田舎)は昔懐かしき貯ウン式トイレで、トイレというより便所と呼ぶのがぴったりする。海岸線にあるシャレた邸宅、ホテル、果てはゴメス・アパートは水洗で流した汚物、風呂やシャワー、台所の使い終わった水を一旦汚水槽に溜める。
トイレの方からのは黒い水、風呂や台所からのは灰色の水などと呼んでおり、どちらにせよ汚水槽に集まり、そこで浄化装置といえば聞こえはいいが、中間に仕切りのあるコンクリート製の穴に落とす。一番目のセクションに入った汚水は発酵し、上澄みが仕切りを越えて第二槽に溜まる。第二槽から直径10cmばかりの放射状に数本のパイプが伸びていて、そのパイプに直径5mmくらいの穴が無数にあり、上澄みの液体はその穴を通ってまた大地に帰っていくという、ひたすら標高差、万有引力に頼った汚水処理方式で、一見理に適っているように見える。
だが、この装置がうまく作動するには、それなりの落差があり、放射上のパイプを地下に埋め、広げるだけの土地が不可欠なのだ。そんな理想的な条件を備えたところは非常に少ない。第一、浄化槽で発酵させた汚物は堆肥になり、年に1、2度汲み上げ、清掃し、ケナゲなバクテリア(糞を分解してくれる)を補充しなければならない。十分に発酵させた人糞は肥料としてそれなりの需要があったはずだ。しかし、この小さな島で畑に必要な肥料などほとんどゼロに近く、人糞は艀(はしけ)に積み替えられ、沖に曳航され、海に流すことになる。
ゴメス・アパートの浄化槽は、建物を5mほどの坂を下った乾いた谷状の傾斜地にあった。重い鉄の蓋、マンホール風のモノが二つ並んでいて、それが何のためのものか知らなかった。カルメンの叔父さん、ホアンが最初にチェックしたのが、この二つのマンホールだった。
第一槽は表面が黒ずみ、そこからブツブツと泡が立っていた。第二槽も満杯で、外に流すためのパイプも詰っていた。即ゴメスさんに連絡し、バキュームカーを手配して貰った。いつのことか知れないが、ゴメスさん、これをバケツで汲み上げ、馬に引かせたタンクに入れたもんだ…と言っていた。
後ろに見える木が問題のイチジクの木
(写真の人物は助っ人・オカチン)
浄化槽がきれいになったが、依然としてトイレの流れは良くならなかった。ホアン叔父さんは、『カサ・デ・バンブー』の庭を見渡し、「これはイゲイラ(higuera;イチジクの木)の根っ子だなぁ…」と即座に断言したのには驚いた。確かに大ぶりのイチジクの木が『カサ・デ・バンブー』の庭端にあり、夏には涼しげな木陰を作っていた。だが、イチジクの木はトイレから12、13mは離れていて、根がそんなに遠くまで広く張るとは思えなかった。
だが、ホアン叔父さんは確信あり気に、重い便器を取り外し、奈落の底に落ちているようにパイプが垂直に降りているのを覗いたのだった。そこで、長い棒の先に強いワイヤーが渦巻状に縛り付けてある秘密兵器を取り出し、ゆっくりと回しながら、その棒を降ろしていったのだ。
その棒を引き抜いた時にはさらにタマゲタ。棒の先の針金に絡み取られた木の根、イチジクの根っこが2mもの長さで、しかも大束で上がってきたのだ。それは、大きなバケツに入りきらないほどのボリュームだった。
ホアン叔父さんは棒を突っ込み、捻じり、引き上げる作業を飽きれるくらい何度も繰り返し、その後で、棒の先にパイプの内径のカーブに合った刃を付けた原始的な道具で、パイプにこびりついた根を丁寧に削ぎ落としたのだった。その時、トイレのパイプが焼き物、素焼きであることを知った。
ホアン叔父さんは、そのような焼き物のパイプには繋ぎ目があり、下水がスムーズに流れずにそこまで水位が繋ぎ目まで上がってくると、水に飢えたイチジクの根が侵入してくるのだと解説してくれた。
便器を据え直し、セメントで固め、トイレの水が渦を巻いてきれいに流れた時には、何週間かの便秘を終えたような気分になった。こうして1週間に及ぶトイレ、糞詰りは解消したのだった。
ホアン叔父さんに極上のコニャックを勧めたが、一仕事を終えた後にはイエルバス・イビセンカ(Hierbas Ibicencas;アニス類の薬草を漬けたリキュール)が良いと、美味しそうに3杯呑み、「サア、これで象のウンコでもきれいに流れるぞ」と宣言したのだった。
それからは、『カサ・デ・バンブー』も私のアパートにもトイレの問題は起こらなかった。
カサ・デ・バンブーのトイレは手前のドア
第114回:ロビンソー・クルソーの冒険 その1
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