オレンジ色の近鉄特急は大和西大寺から近鉄京都線に入り、奈良盆地を北上する。私は進行方向左側の席に座っていた。右側に座っていたところ、大和西大寺から乗った女性が私のそばに立った。この席のきっぷを持った人だと思い、失礼と言って左側に移ったわけだ。ところが女性は立ったまま。今度は前列左側のおじさんが女性に気づき、席を立とうとした。すると女性はそのままでいいというしぐさをして、私が譲った席に座った。釈然としないが丸く収まった。普段から指定券を持たない客も多く、譲り合いに慣れているようだ。
大和西大寺駅が近鉄京都線と橿原線の境界だが、なぜわざわざ路線名を変えるのだろう。京都から橿原神宮までを京都線にしてもよいのではないかと思う。わざわざ路線名を区切る理由は、京都線が奈良電気鉄道を前身とし、橿原線が後に近鉄となる大阪電気軌道によって開通したという歴史に由来するらしい。両線とも近鉄に統合されたが、今では生活圏ごとに路線名を設定したほうが乗客への道案内上も都合がいいという見方もできる。統合したほうが都合がよいなら、大阪線と名古屋線もとっくに"近鉄名阪本線"になっていたはずだ。
大和西大寺を出た列車は町並みを眺めつつ緩やかな右カーブを走った。隣の平城駅を過ぎると森とも丘とも言えそうな緑が右と左の車窓を通り過ぎる。右が第13代天皇の成務天皇稜、左が第14代仲哀天皇の妻、神功皇后の稜である。どちらも実在性について異論があるらしいが、なぜか墓は推定されている。
こう書くと私がとても物知りのように思われそうだが、正直に告白すると、ここばかりは後から調べて書いている。事前に計画を立てて調べておき、車窓から見えるものが理解できていたら、ちょっとした歴史探訪の旅になったはずだ。もちろん、今回のように後で調べて旅を思い返すことも楽しいけれど。
森を抜けると団地。
ふたつの古墳と古墳と間違えそうな森が過ぎ去ると、列車は深い森に入る。街中から急に山道に入った気がする。なぜここだけ開発されなかったのか。神聖な森だというなら、なぜ近鉄、いや当時の奈良電気鉄道はここを貫くことを許されたのだろうか。ちょっと不思議な地域である。その森の緑を背景にして手前をオレンジ色の特急電車が通り過ぎた。こちらと同じ4両編成だった。京都線は私が乗っている橿原神宮と京都を結ぶ特急のほかに、京都と奈良、京都と伊勢志摩を結ぶ特急も走る。1時間当たり4本の特急が走る"特急銀座"だ。
そういえば子供の頃に近鉄特急に憧れた。オレンジと紺のツートンカラー、中央に2階建て車両を組み込んだビスタカーである。あの頃は2階建て車両といえばビスタカーだけだった。"とっきゅうれっしゃ"の絵本などを開けば小田急ロマンスカー、名鉄パノラマカー、近鉄ビスタカーの御三家は必ず登場した。
この電車はビスタカーではないけれど、子供の頃から憧れていたオレンジと紺の近鉄特急である。いつかは乗りたいという夢を、ジタバタしながら実現させてしまった。子供の頃の夢なんて、たいていこんな風に簡単に終ってしまう。しかし、大人には大人の夢がある。全線踏破の夢は遠く、そして楽しい。
森を抜ければ団地と住宅街だ。しかし畑や森も見かける。小さな森や丘を見かけると、あれも古墳かと思うようになった。大和路の車窓は他の都市近郊と同じように見えるけれど実は異質だ。いにしえのロマンに満ちている。やはり詳しい地図を持って来ればよかった。右の車窓を見ようとしたら、先刻の女性が編み物を始めていた。編み物をしている女性も久しく見ていない。私にとっては懐かしい風景のひとつに数えてもいい。何を編んでいるのかと手元を見たけれど、ピンク色の毛糸が雑巾のような大きさの四角になっているだけだった。何を作っているか聞いてみたいが、編み目を数えていると邪魔になる。
車窓の建物が減り、田畑が広がっている。平坦な土地のはずだが、ときどき森を見かける。古墳と呼べる大きさではなく、あるとすれば神社か寺か、あるいは民家だろう。このあたりの人々は、何か大切なものを森に包んで大切にする習慣があるのかもしれない。地図によれば、その向こうにJR片町線が通っているはずだが、確認できなかった。列車の本数が少なく、線路も低く地味なつくりなのかもしれなかった。近鉄京都線は南寄りは片町線と並走し、木津川を渡った北寄りは奈良線が沿う。JRは川に沿い、近鉄は川を渡る。乗客にとっては複線電化で京都と奈良を一直線に結ぶの近鉄のほうが人気だという。
宇治川を渡る。
木津川を渡ってから駅を六つ過ぎて、小倉までは市街地。その先は畑がちらほら見えてくる。西宇治公園、宇治茶、うまい米はヒノヒカリという看板が見えた。この付近が宇治茶で知られる地域らしい。しかし車窓は茶畑ではなく、ヒノヒカリのほうらしい。茶畑はもっと遠くの、平地と山の境目くらいのところにあるのかもしれない。宇治川を渡り、京阪宇治線と交差すると伏見・桃山だ。明治天皇稜があり、秀吉の伏見桃山城があり、桃山羽柴長吉中町、などという町名もある。歴史の街、京都に近づいたのだなと思わせる。
歴史に疎い私も、桃山駅、伏見駅などの看板を見れば感じるものがある。しかし、町並みを過ぎて竹田駅の地下鉄車庫を見下ろせば歴史を忘れた。近鉄京都線は竹田から京都市営地下鉄に乗り入れている。京都駅は近いということだ。そうだ。京都でどう時間を過ごすのか。私は宿題を思い出した。路線図や時刻表を見てもアイデアが浮かばない。京都には阪急が来ているし京阪電鉄もある。足を伸ばせば叡山電鉄、鞍馬山のケーブルカーもある。しかし時間は限られている。阪急も京阪もJRの京都駅とは離れている。接続は地下鉄だけだ。ならば地下鉄を踏破するか。いや、この晴天にそれはもったいない。
東寺の五重塔が見えた。
我が近鉄特急は鴨川を渡り、そのまま高架区間を疾走する。高架区間の車窓は現代の建物が密集している。歴史の都に近づくほど歴史を感じられないな、と思ったけれど、よく見れば低い雑居ビルの向こうに五重塔が見え隠れする。それは世界遺産にも登録された東寺の五重塔だ。車窓から見た塔は控えめな姿。しかし存在感はある。電車で上ってきた旅人に「あなたは京都に来たのですよ」と知らせるかのようにゆっくりと車窓を通り過ぎた。
近鉄特急は減速し、ゆるいカーブを右へ曲がる。東海道線の線路が何重にも並び始めて、巨大客船のような大きなビルが姿を現した。それが京都駅であった。
威風堂々の京都駅。
-…つづく
第202回~行程図
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