■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち


杉山淳一
(すぎやま・じゅんいち)


1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。




第1回~第50回まで

第51回~第100回まで

第101回:さらば恋路
-のと鉄道能登線-

第102回:夜明け、雪の彫刻
-高山本線-

第103回:冷めた囲炉裏
-神岡鉄道-

第104回:再出発の前に
-富山港線-

第105回:世界でただひとつの車窓
-JR氷見線-

第106回:真冬のフラワーロード
-JR城端線-

第107回:鉄道は誰のものか
-万葉線-



■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■更新予定日:毎週木曜日

 
第108回:藤の花咲く鉄路 -樽見鉄道-

更新日2005/08/18


大垣に行く用事ができた。ネットワーク対戦ゲームの国際大会『ACON』の日本予選が開催される。日程は5月4日と5日の2日間で、その取材が私の仕事である。せっかく大垣に行くなら、時間を作って付近の鉄道に乗りたい。樽見鉄道が1989年に延長開業した区間が未乗であるし、近鉄養老線にも乗りたい。養老線で桑名に出て、名鉄の尾西線経由で戻ってくる、というルートが良さそうだ。日本予選会場には昼過ぎに入ればいいだろう。臨時夜行快速列車『ムーンライトながら91号』で出発すれば、終点の大垣着は5時55分。これなら樽見鉄道の始発列車に間に合う。

充足した眠りから目覚めて大垣着。ホームに出ると空気がひんやりしている。湿気はなく、5月らしい爽やかな気候だ。背筋を伸ばして階段を上り、樽見鉄道の6番ホームに急ぐ。青いレールバスが朝日に照らされている。太陽が低い位置にあり、寝起きの眼を刺激する。気合いを注入されるような、力強い日差しである。


樽見鉄道の始発列車。

私の記録によると、樽見鉄道の大垣と神海間は1984年4月2日に乗車済みとなっている。当時はまだ国鉄の樽見線だった。21年も前の話で、さっぱり覚えていない。同じ日に東海道線の支線の大垣-美濃赤坂間も乗車しているけれど、これも記憶にない。そのあとで関西方面に足を伸ばしているから、このときも大垣夜行で訪れたと思われる。高校の同級生を伴っていたことを覚えている。おしゃべりしていたか、居眠りしたか、寝ぼけていたか。どれだろう。

レールバスは正面の太陽に向かって走り出した。しばらく東海道本線と併走する。右の車窓から近代的な建物が見える。あれが日本予選会場のソフトピア・ジャパンである。私はカメラを取り出して建物の写真を撮った。まっすぐ取材先に向かわないという引け目があるから、せめて会場の外観写真くらいは押さえておきたい。空気が透き通った朝の光だから、きっときれいな絵になるだろう。

東海道線と併走して東大垣に着く。ここで緩やかな角度で東海道線を離れ、立派なトラス型鉄橋で揖斐川を渡った。地方ローカル線にしては立派すぎるけれど、国鉄として建設されたからお金がかかっている。この鉄橋すら覚えていないのかと寂しい気分になった。

車窓は住宅が多い。新建材を使った新しい家ばかりだ。このあたりは20年前と大きく変わったことだろう。大垣市は人口14万人で、岐阜県ではもっとも工業製品の出荷額が大きい都市である。関ヶ原合戦場の近くというより、産業都市と呼ばれたい。近年はIT産業の誘致に力を入れているらしい。

十九条から先は果樹の畑が目立ってくる。低い木が枝を広く伸ばしている。青森県の津軽鉄道に乗ったとき、リンゴの畑を眺めていたら、相席の老婆から「収穫しやすいようにと、木をこの形に剪定するのだ」と教わった。あれも20年前のことだが、よく覚えている。樽見線の記憶が薄い理由は、そういう会話がなかったせいか。


富有柿の畑。

さて、この果樹畑はリンゴではない。何を育てているのだろう、と思っていると、音声テープによる車内放送が「このあたりは富有柿発祥の地です」と言った。なるほど柿か。いまは青々とした葉が目立っているが、秋から冬にかけて訪れたらすぐにわかるだろう。岐阜県は柿の生産において日本一である。高校時代の私は、そんなことにも興味を持たず、黙々と列車に乗っていたらしい。当時は心に余裕がなかったというべきか、今は不惑に近づいて、列車に乗るだけでは満足できなくなってきたのだろうか。

本巣駅で上り列車とすれ違う。こちらは私の他におじさんがひとりだけだが、市内に向かう列車の乗客はいくらか多い。この駅の構内は広く、レールバスの車庫がある。留置線には国鉄時代の急行用12系客車がいる。トロッコ列車に改造された客車がいる。その付近にはやはり国鉄時代からのディーゼル機関車が6台もある。色褪せているが、少年時代の旅で親しんだ車両たちだ。懐かしい。

本巣からは貨物線が伸びている。住友大阪セメントの工場があるのだ。住友大阪セメントは樽見鉄道の大株主であるが、2005年度末で鉄道輸送を終了し、トラックに切り替えるらしい。貨物輸送がなくなると売り上げが大幅に減ることになるから、樽見鉄道も冬に乗った神岡鉄道と同じ運命になりそうだ。エコロジーの観点から鉄道輸送が見直されている時代だから、鉄道輸送を続けてほしい。国ぐるみで物流を見直し、環境と効率の観点から鉄道と道路の棲み分けを検討すべきだと思うが、鉄道好きのひいき目だろうか。

車窓の右から山が近づくと織部駅。案内板にゲンジボタル生息地があると書かれていた。田舎の風景になってきた。織部を出るとすぐに左から揖斐川の支流、根尾川が寄りそう。さあ山道にかかるぞと気合いを入れたのか、ディーゼル音が大きくなる。ここから先の眺めは楽しい。竹林があり、トンネルがあり、鉄橋で根尾川を何度も渡る。景色の変化のめまぐるしいこと。トロッコ列車の旅も楽しいだろうと思う。木知原駅には鮎料理の広告があった。


車窓の変化が楽しい。

谷汲口の駅前に旧型客車を見つけた。保存車両を置いて公園風に整備しているところを見ると、観光客の利用があるのだろうか。付近の谷汲山には1200年の歴史を持つ華厳寺があり、修行僧が入門している。地図を見ると寺の記号が多い。仏道の修行に適したところなのだろう。かつてはその山門の近くまで名鉄谷汲線が走っていたが、2001年に廃止されてしまった。私が鉄道紀行を再会する少し前のことである。後悔しても仕方ないことだけれど。

神海で上り列車とすれ違う。こちらは私ひとり、向こうの列車に乗客はない。朝早い列車だからだろう、きっと平日は賑わっているに違いない、と思いたい。ここから先は樽見線が第三セクター化された後に延長された区間であり、私の未乗区間の始まりでもある。川は細く、両側に山が迫り、山岳路線になっていた。案内放送がディーゼル音にかき消されて聞こえにくい。しかし、高科駅から先が沿線の車窓のハイライトだ、と言った気がする。

トンネルと鉄橋の連続で、森と川の山裾を行く。ところどころに藤の花が咲いている。緑ばかりの車窓にとって、葡萄のような形をした薄紫の花たちは良いアクセントだ。藤の花は美しいけれど、そのつるは木に巻き付いてしまい、日当たりが悪くなる。だから管理の行き届いた山林では刈られてしまう。言わば"害草"であり、わざわざ山の中に植えることはないらしい。だとすると、この車窓は自然のままの景色だと言えるだろう。私は藤棚以外の天然の藤を初めて見た。巻き付かれた木には迷惑だろうが、藤の花は美しい。


藤の花が咲いていた。

山に手を入れる手間もないほどに人里を離れた線路を走り、樽見に着いた。列車が駅に到着してしばらくすると、なぜか町中に"エーデルワイス"が響き渡る。これが朝7時の時報らしい。駅は高台にあり、駅舎は八角錐の屋根を載せて洒落た造りだ。

樽見は今でこそ本巣市に編入されているが、元々は根尾村の中心地であった。美濃と越前を結ぶ街道の拠点で、菊花石の産地である。菊花石とは複数の鉱物が混ざった石で、その模様を菊の花に見立て、飾り物として珍重されている。特別天然記念物にも指定されている。世の中には石のコレクターもいるだろうから、樽見は石好きにとって高級ブランドかもしれない。

もうひとつの名物は樹齢1500年以上という桜の樹だ。淡墨桜として親しまれ、日本三大桜だという。開花の時期には観光客で賑わうそうだが、駅の静かな佇まいから察するに、開花の時期ではないのだろう。私は折り返し列車の発車時刻まで駅前広場で過ごした。何をしていたかと言えば、朝の散歩に来ていた日本犬と遊んでいた。名前は聞かなかったけれど、人なつっこい奴だった。


樽見駅。

-…つづく

第108回以降の行程図
(GIFファイル) )