第274回:流行り歌に寄せて No.84 「寒い朝」~昭和37年(1962年)
以前、このコラムに書いた通り、私が生まれて初めて親に買ってもらったSP盤はA面『月光仮面はだれでしょう』、B面『月光仮面の唄』というレコードだった。
それではLP盤は何かと言えば、吉永小百合の2枚組LP『吉永小百合とともに』である。買ってもらった時のうれしさは、今でも覚えている。どこにも傷がつかないように、絹織物に触れるが如く、それはそれは、慎重に扱ったものだった。昭和45年、私が中学3年生の時である。
当時のLPのジャケットは、しっかり見開き仕立てになっていた。全6ページ、表表紙は清楚な薄い水色のワンピースを着た彼女が白百合とともに、見開き天地1ページにはやはり白百合をあしらったピンクのドレス姿、そして裏表紙はさらに白百合とともに、ピンクの和服姿の彼女が静かに微笑んでいる。もう一つ、彼女の近況を撮影した小さな写真集のような冊子も入っていた記憶がある。
昭和42年に発売され「『寒い朝』から『夕陽のマリア』まで」とサブタイトルがついていたこのアルバムの収録曲は、1枚目のA面には、今回ご紹介する彼女のデビュー曲『寒い朝』、そして『伊豆の踊子』など7曲、B面には『キューポラのある街』、そして『いつでも夢を』など7曲が入っていた。
2枚目のA面だけは趣向を変えて歌謡組曲『おばあちゃん』のライブ録音を収め、B面には『勇気あるもの』から始まり『夕陽のマリア』(この曲は、その後にシングルカット)の7曲、全22曲のサユリストには、とても贅沢なプレゼントだった。
「寒い朝」 佐伯孝夫:作詞 吉田正:作曲 吉永小百合/和田弘とマヒナスターズ:歌
1.
北風吹きぬく寒い朝も
心ひとつで暖かくなる
清らかに咲いた可憐な花を
みどりの髪にかざして今日も ああ
北風の中にきこうよ春を
北風の中にきこうよ春を
2.
北風吹きぬく寒い朝も
若い小鳥は飛び立つ空へ
幸福求めて摘みゆくバラの
さす刺今は忘れて強く ああ
北風の中に待とうよ春を
北風の中に待とうよ春を
3.
北風吹きぬく寒い朝も
野越え山越え来る来る春は
いじけていないで手に手をとって
望みに胸を元気に張って ああ
北風の中に呼ぼうよ春を
北風の中に呼ぼうよ春を
この季節には、グッと心に沁みる曲である。前述の通り、吉永小百合のデビュー曲で、吉田正の門下生としては大先輩の、和田弘とマヒナスターズとの共演だった。昭和37年4月20日発売であるから、吉永小百合が高校生、17歳になったばかりの時の録音である。
イントロから、マイナー調の部分で何回も使われる「ヒュルヒュルヒュル」という弦楽器の音が、冷たい風の音を連想させ、メジャー調になると、それが春風のような暖かい音に変わっていく。ここらあたりの編曲の素晴らしさは、聴き始めた当初から感じていた。
緊張を隠しきれないような小百合さんの声。それをマヒナの2トップ、松平直樹と三原さと志が、若く可愛らしい後輩をエスコートするように、それぞれのデュエットを披露し、佐々木敢一のファルセットが優しく絡んでゆく。何回聴き返しても、初々しさが微笑ましい正統な青春歌謡である。
デビューレコード発売の12日前の、4月8日には彼女の初期の代表作である、早船ちよ原作、浦山桐郎監督の日活映画『キューポラのある街』が封切られている。最近多くの批判の声が上がる映画の一つだが、その時代性から考えてみても、当時としては真摯な姿勢で制作された映画であると、私は思っている。
さて、この頃の彼女はなかなかに忙しく3月31日からイタリアのミラノで開催された『ミラノ国際見本市』の中の、4月15日から19日までの5日間行なわれた『ミラノ日本映画見本市』に出席するため、4月10日に日本を出発している。
清水雅東宝社長を団長とし、川喜多長政、奥山融など、当時の日本を代表する映画人とともに、各映画会社から代表女優が選ばれ同行した。東宝からは星由里子(18歳)、東映からは佐久間良子(23歳)、松竹からは岸惠子(29歳;当時パリ在住の岸はフランスから直接ミラノ入り)、大映からは中田康子(29歳)、そして日活からは吉永小百合、大物女優に混じって17歳での代表女優であった。
海外への渡航がまだ自由に行なわれていなかった時代でもあり、その後の彼女にとっても貴重な旅行であったことだろう。2週間あまりの洋行から帰国したのが4月25日ということで、彼女がイタリアにいる間に、記念すべきデビュー曲が発売されていたのである。
その年のNHK紅白歌合戦に初出場してこの曲を披露された小百合さん。あの時から53年の時が流れ、彼女はこの3月、古稀を迎えられる。
-…つづく
第275回:流行り歌に寄せて
No.85 「若いふたり」~昭和37年(1962年)
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