第164回:私の蘇格蘭紀行(25)
■マル島、アイオナ島へ
4月21日(水)、昨夜から小雨が降り続いている。昨日のリズモア島への一人旅に較べれば、今日のマル島、アイオナ島(Isle
of Mull, Isle of Iona)旅行は、まさに殿様旅行の趣がある。
何でもアイオナ島とは、スコットランドに最初にキリスト教を伝えた聖コロンバが修道院を建て、布教の拠点にしたということから、この島はいわば聖地なのである。
そのアイオナ島はマル島の先っちょにくっついているようなごく小さな島。そこに行くにはマル島を経由して行かなければならぬらしい。この両島の島巡りは聖地巡礼の意味合いもあり、非常に人気がある。
会社を定年になった初老の夫婦と見受けられる人が圧倒的に多く、彼らはしっかりとした旅支度をしており、島にも宿泊していくつもりだろう。船に乗り込むお客さんの数は、優に100人は超えそうである。
その船も、昨日のような小さなカーフェリーではなく、今まで乗ったことのないような大型フェリーだった。少しも揺れることなく、前へ進んでいるのさえわからない。飛行機のファーストクラスのような、ごくゆったりしたシートに身を沈めてウトウトしていると、いつのまにかマル島に着いていた。
バスによる島内案内。ツアー客だけで2台の大型バスに分乗し、満席の状態である。途中、私が乗っている方のバスがエンコを起こし、代替車に乗り換えるというアクシデントがあったが、運転手兼ガイドさんの軽妙な語り口での解説が、乗客の笑いを何度も誘い(例のごとく、私にはまったくと言っていいほどわからない)、和気あいあいの雰囲気で旅は進んだ。
小さなフェリーに乗りアイオナ島に渡る。件のアイオナ修道院を見学した後、昼食は清潔なレストラン&バーへ(同じ小島なのにリズモア島とは比べものにならないほど洗練された施設が多い)。
この店のターキー&トマト・サンドは、実に旨かった。他の店で買うときもこのタイプのサンドウイッチにしようと小さな決心をする(こういう実に些細なことが、旅では重要な要素だという気がしてきた)。
それにしても、私の一つ前の順番(こちらでは多いのだが、レールの上にトレイを乗せて、途中好きなものを取ったり、温めて調理してもらったりして、最後にレジにたどり着く給食システム)の70歳ははるかに越えているだろうと思われる老婦人の、食欲旺盛なこと。
メインの肉料理に、暖かいサラダとマッシュド・ポテトをかなり大盛りにして乗せていたのに、さらにソーセージまで後から頼んでいた。経済上胃を小さくしている私には羨ましい限り。日頃大食漢を自認しているが、今食べ較べをしたら間違いなく彼女に負けるだろう。
途中何組かの方々に "Where are you from?"と訊ねられる。たいがいの人々はスコットランド訛りで「フェ・アユ・フロム?」とフロムのところを素っ頓狂なほど強調して言うのが面白い。
"From Japan."と答えると、みんな一様に "Ohhhhh?"という感じで、本気で驚かれる。こちらが思わず引いてしまうようなリアクションだ。「何でまたそんな遠くから来たのですか」と好奇心を隠せない表情で再び訊ねられるのも、まるでお決まりのようだった。
この反応は、偏見、差別とは無縁の、彼らにとってはおそらく生まれて初めて日本人に会った驚きだったのだと思う。彼らの頭の中には今まで日本人というものは存在しなくて、この瞬間にインプットされたものの、そんなに遠くない時期に忘却の彼方に行ってしまい、その後一生また存在しなくなるのだ。
私たちにも、意識の中に存在しない国と人々は数多くあるだろう。地球は狭くなったと言われるが、まだまだそうだとばかりは言えないものがあるような気がする。
再びマル島に戻り、バスに乗り込む。今度は私の方が驚いたことがあった。日本人のバス旅行の帰路というものは、少なく見積もっても半数近くの人が眠っている。飲食の後で、日頃の疲れもあり、バスの揺れに気持ちよく眠りに誘われる人が、とても多い。
ところが、こちらの旅行客は眠らないのだ。満席状態の、どの席の人の顔を見ても、誰一人眠っていない。興味深げに車窓に目を向けたり、隣席の人と何やら楽しげに話しをしたり、みんなパッチリと目を開けているのだ。本当に達者な人々だ。これには、心底驚いてしまった。
私もつい感化されてしまい、車窓を見据えていると、小高い丘の上に一頭の牡鹿の姿を見つけることができた。立派な角を生やし凛として立っている。まさに勇壮な立ち姿であった。
私は "cool!" (こちら風に「クーオ」)と口に出ししばらく見とれていたが、そのうち車窓から牡鹿の姿が消えると正しい日本人に戻り、いつの間にか寝入ってしまっていた。
-…つづく
第165回:私の蘇格蘭紀行(26)
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