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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第313回:流行り歌に寄せて No.118 「若い涙」 ~昭和39年(1964年)

更新日2016/10/13

今年の始め、私が還暦を迎えてまもなく『東京ブルース』によって昭和39年の曲をご紹介し始めたが、それから9ヵ月間、この『若い涙』まで、歴史に残るオリンピック・イヤーの曲を紹介し続けたことになる。

その間17曲、昭和21年からご紹介してきた中でもっとも多い曲数である。それだけ、この年に対する思い入れが強いのだろうか。私が小学校2年生から3年生の時のことである。

また、その還暦を迎えた頃、世間を賑わせていたのがSMAP解散騒動であった。そして先々月の中頃、ついにSMAPが今年2016年の12月31日を以って解散することが発表された。28年にわたる活動に終止符を打つという。

さて、SMAPを始め、嵐、TOKIO、V6など、まさに爆発的な人気を誇るジャニーズ事務所グループの、初代とも元祖とも称されている「ジャニーズ」のレコード・デビューは、今から52年前、東京オリンピックの興奮の余韻が日本中にしっかりと残っていた12月のことであった。

当時のNHKの人気番組『夢であいましょう』。何回も紹介している『上を向いて歩こう』『遠くへ行きたい』『こんにちは赤ちゃん』など、六輔、八大コンビによる、いまや日本のスタンダードと呼ばれる曲を生み出した番組中の『今月のうた』の中の一曲(昭和39年8月)として、この『若い涙』は生まれた。

私は、あの脈々と続くジャニーズの系譜の最初の曲が、NHKの番組から出たもので、六輔、八大コンビによって作られたこと、そしてそれが東京オリンピックの年まで遡る出来事だったことに、かなりの驚きを覚えている。

 

「若い涙」  永六輔:作詞  中村八大:作曲  ジャニーズ:歌

おーいおい おーいおい
 
おーいおいと呼んでみよう


淋しいときは 声を張り上げ

誰かを呼んで 耳をすまそう

返事はあるさ 聞こえてくるさ


おーいおい おーいおい
 
おーいおいと呼んでみよう


若い仲間と 若い命と

若い笑顔と 若い力と

そしてちょっぴり 若い涙が


おーいおい おーいおい
 
おーいおいと呼んでいる


若い涙は 恥ずかしがり屋

くちびるかむと まつ毛にキラリ

それでもきっと 答えてくれる


おーいおい おーいおい
 
おーいおいと呼んでみよう

おーいおい おーいおい
 
おーいおいと呼んでみよう


ジャニーズのメンバーは、真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、青井輝彦の4名。レコード・デビューは前述通りであるが、結成はそれより早く昭和37年4月。真家、飯野が15歳、中谷、青井が14歳の時である。

もともとはジャニー喜多川が、代々木にある住まいのそばで、近所の少年たちを30人ほど集めて野球を教えていたのがきっかけで、その少年の中から選ばれたメンバーということである。

ジャニーズは、結成年の8月に『夢であいましょう』で田辺靖雄のバックとして芸能界デビューし、翌昭和38年1月、日劇『第19回ウエスタン・カーニバル』に於いて伊東ゆかりの歌のバックを務めるなど、キャリアを積んでいった。

『若い涙』の発表後も、『太陽のあいつ』そして数組の歌手と競演となった『涙くんさよなら』などのヒット曲を飛ばして行く。NHK紅白歌合戦には昭和40年大晦日に出場し、ジャズのスタンダード・ナンバー『マック・ザ・ナイフ』を披露、かなり難しい曲だったが、歌唱力のあるところを見せている。

彼らは途中渡米も果たし5年半ほど活動を続けたが、昭和42年11月20日、渋谷公会堂でのコンサートを最後に解散をした。

今回少し驚いたことは、『ジャニーズ』というグループの存在を知らない人がかなり多くいたことだった。50歳を過ぎた人々の中にもいた。ジャニーズとは、ジャニーズ事務所のタレントの総称であるという認識だけで、最初のグループの名称だとは思ってはいない。

かく言う私も、昭和42年という解散時期もあり、あまり強い印象はない。ただ、不二家LOOKチョコレートのコマーシャルに出ていたことだけは、なぜかよく憶えている。確か、船の甲板の上でだったと思うが「コーヒー、ストロベイリー、バーナナ、キャラメール」と、4人が歌いながら踊るのである。

そして、私の一人ひとりの知っていることと印象。リーダーの真家ひろみは、長沢純にそっくり、その後芸名を変えて時代劇にも出演していた。飯野おさみは、劇団四季に入り、10歳近く年上の雪村いづみと結婚していた。中谷良はかなり歌唱力のある人、大雑把にこんな感じである。

青井輝彦(→あおい輝彦)は、この後のこのコラムでも曲をご紹介することになると思うが、何と言っても『あしたのジョー』の矢吹丈の吹き替えがハマリ役という印象が強い。大人気アニメとなったのは、彼の声によるところが非常に大きい。あの「ヘヘッ」という哀感のある笑い声は絶品だと思う。

最後に、この4人のメンバー、出身高校はみな都内にある別々の高校なのだが、大学は全員が日本大学芸術学部へと進学している。興味深い事実だと思う。

-…つづく

 

 

第314回:流行り歌に寄せて No.119 「網走番外地」~昭和40年(1965年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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