ダンゴムシのコロコロ
コロコロは生まれたばかりのダンゴムシの子どもです。ダンゴムシのお母さんは、子どもがたまごからかえって、じぶんの足で子どもたちが歩けるようになるまで、子どもたちをおなかのなかでまもります。ですからお母さんのおなかからでてきたときには、とても小さくて、しんちょうはいちミリくらいしかありませんけれど、でも、ちゃんと、お父さんやお母さんとおなじ、ダンゴムシのかたちをしています。
足だってちゃんとありますから、お母さんのおなかからでてきたばかりのコロコロやきょうだいたちは、ちゃんとじぶんのあしで、あちらこちらにうごきまわることができます。にんげんは、にほんのあしで歩きますけれど、生まれたばかりのダンゴムシには足がじゅうにほんもあります。
そんなにたくさんあったら、どのあしをまえにだせばいいか、こんがらがってわからなくなってしまうのではないか、とおもうかもしれません。でもだいじょうぶです。
カブトムシはろっぽんあしですけれども、しっかりちからづよく歩くことができます。クモははちほんも足がありますけれども、じょうずにすをつくることができます。カニはじゅっぽんの足をつかってよこに歩くことができます。ヘビはなんと足がないのに、それでもすばやくうごきまわることができます。みんなそれぞれ、じぶんにしかできない歩きかたをします。ふしぎです。
ですからコロコロも、じゅうにほんの足をうまくつかって、うごきまわることができます。しかも、なにかきけんなことがおきたときには、お父さんやお母さんとおなじように、からだをまるめて、まあるいボールのようになってじぶんをまもることだってできます。
そのときには足は、まるいからだのなかにいれますから、そとから見ると、小さなボールのようにしか見えません。ふしぎです。どうしてそんなことをするようになったのかは、どうして足がじゅうにほんもあるのか、ということとおなじように、よくわかっていません。
もしかしたらダンゴムシは、そういう虫になりたくてそうなったのかもしれません。そんなことができたら、かっこいいなと、ダンゴムシのせんぞのだれかがおもったからかもしれませんけれども、ほんとうのところはまだわかっていません。
ニンゲンにもわからないことがたくさんあります。ですからしぜんのなかには、ふしぎな、まだよくわかっていないことがたくさんあります。でも、だからおもしろいのです。
ところでダンゴムシは、虫とよばれていますけれども、ほんとうは虫ではなくて、からだがかたいカラでできているカニやエビのなかまです。なのにりくにすんでいるというのもふしぎですね。ほんとうにふしぎなことばかりです。
でも、まるくなったときのダンゴムシをよくみると、イセエビのどうたいのように、せなかがいくつもの、すこしまるくなったかたいこうらのようなものでできていて、それでせなかをまるめられるようになっているのがわかります。もしこうえんとかでダンゴムシをみつけたら、つかんでてのひらにのせてみてください。すぐにまんまるになって、てのひらのうえでコロコロころがります。
そうしてすこしあそんだら、ちゃんとまた、じめんのうえにおいてあげてくださいね。そうすると、しばらくすると、からだをのばして歩きはじめます。
ところで、お母さんはいちどにだいたいひゃっぴきくらいの子どもをうみますから、コロコロにはきょうだいがひゃっぴきくらいいます。たくさんのきょうだいですね。ひゃっぴきのきょうだいがケンカなんかしたら、たいへんなことになってしまうとおもうでしょう。でもコロコロたちはケンカなんかしません。きょうだいげんかというのは、だいたい、おかしをとりあったり、そっちのおにぎりが大きいじゃないか、というようなことからはじまったりしますけれども、ダンゴムシはまわりにたくさんたべるものがありますから、ケンカをするひつようがありません。ダンゴムシのごはんはおもに、おちばだからです。
きのえだからはっぱがおちると、ひらひら風にとばされながらじめんにおちます。木にはたくさんのはっぱがありますから、じめんにはっぱがどんどんたまります。そのままだと、じめんがはっぱでいっぱいになってしまうとおもうでしょう。
おおきな木が冬に、はっぱをみんなおとして、えだだけになっているのをみたことがあるでしょう? おちたはっぱが、きのしたにたくさんたまっているはずですね。木がたくさんある山の木のはっぱがどんどんおちたら、山がはっぱでいっぱいになってしまうとおもうでしょう。
でもだいじょうぶです。おちたはっぱは、まずたいようの光や風で、せんたくものがかわくようにかわいて、カサカサになってわれて小さくなったり、あめがふればあめをすってやわらかくなったりします。コロコロたちにとっては、そんなおちばがごちそうです。
ダンゴムシたちはたくさんいますから、みんなでせっせとおちばを食べます。みなさんとおなじように、食べればウンチがでます。でもダンゴムシはちいさいので、ウンチもとても小さくて、しかも、もとがはっぱですから、ちっともきたなくなんかありません。そしてこんどは、いろんな目にみえない、びせいぶつ、といういきものがそのウンチをえいようのある土にかえてくれますます。
ダンゴムシたちは、せっせせっせとおちばを食べて、せっせせっせとウンチをして、それをびせいぶつたちがせっせせっせと土にしてくれます。土がなければ木もくさも、やさいもおこめもそだちません、花もさきません。ですからコロコロたちは、はっぱのごちそうをたべながら、とてもとてもたいせつなおしごとをしてくれているのです。
ちきゅうにはたくさんのくさきがはえています。くさきたちは、土のなかにねをはやして、土から水やえいようをとって大きくなります。ウシやヒツジたちはそのくさを食べて大きくなります。ですから土がなければ、くさきたちもどうぶつたちもわたしたちにんげんもいきていけません。
土があるのはあたりまえのようにおもうかもしれませんけれども、でもちきゅうには、おおむかしは土はありませんでした。ちきゅうとおなじようなころにできた月には、石や砂しかありません。ちきゅうもなんじゅうおくねんもまえはそうでした。でもちきゅうには水があって、くうきもあって、いろんないのちが生まれて、そしてすこしずつ、いわばかりだったじめんのうえに土ができていきました。
土はたくさんあるようにみえますけれども、土のじめんをほっていくと、すぐにいわになります。土は、ちきゅうという大きなまるい、いわのかたまりのようなほしのひょうめんにほんのすこしあるだけなのです。でもその土があるおかげで、ちきゅうはみどりあふれる、いろんないきものたちがくらす、美しくてステキなほしになりました。
そうなったのは、いろんないきものやびせいぶつやコロコロのなかまたちが、せっせせっせとはたらいてくれたからなのです。おおきなおおきなまあるいちきゅうのうえの、ちいさなちいさなはたらきもののまあるいダンゴムシたち。
ほらほら、いまもせっせせっせとこのはを土にかえてくれているコロコロたちのうたがきこえてきます。
ぼくらはコロコロダンゴムシ
ちっちゃいけれど
おちばのしたでみえないけれど
せっせせっせとおちばを食べて
せっせせっせと土にする
ぼくらはコロコロダンゴムシ
つくる土はすこしだけれど
めにみえないくらいすこしだけれど
せっせせっせとみんなでつくれば
いつかはたくさんの土になる
ぼくらはコロコロダンゴムシ
ゆっくりあるくダンゴムシ
ぼくらはコロコロダンゴムシ
まあるくなればコロコロと
ころがることだってできるんだ
ぼくらはコロコロダンゴムシ
ぼくらはコロコロダンゴムシ
-…つづく
第12回:水の子アクア