野添千納
(のぞい・ちの)

パソコン通信黎明期よりパソコンをコミュニケーションの手段として使い続けるコンピューター&コミュニケーション・ジャーナリスト。33歳。

バックナンバー

第6回:「使いやすさ」の悲劇

Internet killed the usability star

「インターネットアプリケーションで唯一手放せないものは?」と聞かれたら、おそらく多くの人が「電子メール」と答えるはずだ。だが、インターネットを世界に一気に広めたアプリケーションといえば「Webブラウザ」だ。電子メールは世界中に張り巡らされたWebページの蜘蛛の糸──World Wide Web──が誕生する20年近くも前から存在していたが、パソコン用WebブラウザのMosaicが登場するまで、一般のメディアに「インターネット」という言葉は登場しなかった。

Webブラウザの登場後のインターネット時代到来は、まるで氷河期の前と後のように、IT業界の勢力図を大きく書き換え、多くの人々の夢を凝縮した技術や試み、サービスが過去の遺物として消えていった。なかにはあのときではなく、昨年までのITバブル時代に登場していれば、世の中をあっといわせる大変革をもたらしていたかもしれない企業もあるが、それについてはまた機会をあらためて話をしたい。

この突然のインターネットブームの到来でもっとも大きかった損失は、「使いやすさ」の学問が損なわれてしまったことだと筆者は思う。初期のインターネットの普及を支えてきたのは、今でもたまにみかけるデザインの悪いホームページの数々だ。

当時、ホームページを作ることができたのは、HTMLというちょっとだけ難しいページ記述技術のルールを理解した限られた人々で、彼らにとっては、とにかく自分の伝えたいことを伝えることと、せっかくだからと、習得したHTMLの小技を効かせることに主眼をおいていた(筆者も最新のHTML機能が出るたびに率先してそれを使うようにしていた)。タイトルをどこにおいて、ボタンをどこにおいてといったデザインもすべて我流。奇抜さこそが個性と考えるホームページ作者も少なくなかったはずだ。これにより、当時、ようやく築かれつつあったユーザーインターフェースの文法が急速な勢いで壊されていった。

順を追って説明しよう。パソコンのダイアログボックスに表示される「OK」と「キャンセル」ボタンは、Macでは必ず「OK」ボタンが右、「キャンセル」ボタンが左というルールが決まっている。一方、Windowsは必ずその逆で、「OK」が左、「キャンセル」が右側に表示される。両OSで左右が逆なのは、アップル社とマイクロソフト社での間で、ユーザーインターフェースの知的所有権侵害に関わる裁判が長く続いたことも関係しているのだろう。

'90年代の終わり頃まで、アップル社にはヒューマン・インターフェース・グループという部門があった。ここには世界トップレベルの研究者たちが集まり、パソコンと人との対話──マウスと画面に現れるさざまな要素──を研究していた。 研究内容はもちろん、ボタンだけではない。アイコンのデザインから、配色、メニューの順番や整理の仕方、キーボードショートカットのありかた、さらには老若男女も障害者も使えるユニバーサルデザインの研究、エルゴノミクス、音声認識や文字認識といった未来技術の姿にいたるまで、パソコンと人との関わりを決めるありとあらゆることが研究されていた。

Macは使いやすいといわれる理由には、アップルという会社がこうした研究に力を入れてきたという背景もある。一方、Windowsは、'90年代前半まではとりあえずマウスを使ったグラフィカルユーザーインターフェースをうまく機能させるのが手一杯で、使い勝手などは二の次とされていた。このため、先にあげた「OK」、「キャンセル」ボタンのどちらが右、どちらが左という順番にしても、ソフトによってまちまちだったりもした。 マイクロソフト社が、Windowsの使いやすさを見直しはじめ、インターフェースの大幅な整理見直しをしたのが'95年に登場したWindows 95だった。多くの人々がこのOSを使って、整理され一貫したデザインを持つインターフェースの使いやすさを体得しようとしていた。

ところが、ちょうどこの'95年、インターネットブームはピークを迎えた。技術指向の人々がテキストエディタで作った拙いホームページには、OKボタンの右左は関係ない。むしろ、ホームページの可能性を探るべく、奇抜であることこそが美徳と思われているフシもあった。

その後、誰でも簡単にホームページを作成できるツールがたくさん登場したが、それらのどこにもインターフェースの文法は組み込まれていない。人々はHTMLで組んだときと同じように、ページ上の好きな場所に、好きな順番でボタンを配置できるのである。 アップルの長年の研究はどこへやら。多くの人は試行錯誤やホームページに寄せられる電子メールでの意見を頼りに、試行錯誤で使いやすさの改善に努めている。

本屋に行けば、ホームページ作成のノウハウ本やホームページ作成ソフトの使いかたの本はいくらでも見かけるが、「わかりやすい/使いやすい」ホームページの設計を扱った本は滅多に見かけない。

これが新しいコミュニケーション手段の1つであると考えてみよう。ユーザビリティは、インターネットを生活の道具として取り込みつつある我々にとって、身に付けておくべき新たな学問になるかもしれない。あらゆる人々が表現者となれるインターネットで、ことにホームページ作成におけるユーザビリティに関わる最低限のルールを学ぶことは非常に大切なことに違いない。

これから1人でも多くの人が、こうしたユーザビリティの問題に目を向け、教育の現場などでも課題としてとりあげてくれればと思う。

 

→ 第7回:eSenseなき選挙運動


[ eの感覚 ] [ デジタル時事放談 ] [ ダンス・ウィズ・キッズ ] [ 幸福の買い物 ] [ 生き物進化中 ]
[ シリコンバレー ] [ 貿易風の吹く島から ] [ ワイン遊び ] [ よりみち ] [ TOP ]


ご意見・ご感想は postmail@norari.net まで。
NORARI (c)2001