野添千納
(のぞい・ちの)

パソコン通信黎明期よりパソコンをコミュニケーションの手段として使い続けるコンピューター&コミュニケーション・ジャーナリスト。33歳。

バックナンバー

第9回:空っぽの器──それでいいじゃない

一時、ウェブブラウザこそが、インターネットブームの立て役者であるような報道が目立ったが、実際にインターネットの普及を押し広げたのは電子メールであることに間違いない。いまさら言うことでもないが、電子メールは、今やその器を携帯電話に乗り換えさらなる勢いで我々の生活に浸透し始めている。カフェでも、駅のホームでも、電車のなかでも、トイレでも、車のなかからでも、そして空港の搭乗ゲートで最終案内の直前に携帯メールを取り交わす人々。一体、なにをそこまで「コミュニケーションする」必要があるのか。

実際、世のなかで行なわれている携帯メールの内容のおそらく95%以上は、どうしようもなく他愛もないものだろうと筆者は予想している。「ごめん遅れます」や「電話下さい」なんていうのは、かなり実用的なほうだ。ほとんどのメッセージは「携帯買いました。メール読めてる?」あたりで始まって、「はろー、元気?」、「暇ダー」、「メールください」といった暇つぶしに近いやりとりのはずだ。

以前、スティーブン・ホーキング博士のこんな講演をテレビで見たことがある(全体の内容はうろ覚えなので勘弁して欲しい)。生命はこれまでDNAの塩基配列という形で情報を伝えあってきたが、人間はこのDNAによる情報交換に加えて、言語によるコミュニケーションを手に入れて新しい進化を始めた。この言語によるコミュニケーションが人類の英知を飛躍的に高めた。いずれ人間は自らのDNAをいじるようになることだろう──といった講演だったが、携帯メールで行なわれているコミュニケーションは、そんな人類の未来への進化を感じさせるコミュニケーションからはおよそかけ離れている気がする。

今、世のなかはコミュニケーションする手段ばかりが発達してしまい、その器を彩る豊かな食材が不足している。これは何もパーソナルなコミュニケーションの世界だけではない。話題のBSデジタル放送にしても、高解像度なカメラが登場しても、それで写す素材がなかなか見つからない。インタラクティブな番組提供ができるようになっても、それをうまく活用した番組をつくるアイデアが枯渇しているし、それだけの制作費を捻出できるところが少ない、などと経済系のメディアは書き立て、なかには、「だからBSデジタル放送は未来がない」といったことを臭わせる記事まで見かける。

たしかに現状のBSデジタル放送は中身が器に追いついてしないかも知れない。でも、これは悪いことなのだろうか。じつは筆者も最近まで「用意された器を埋めなければもったいない」とその活用アイデアばかりを考えていた。しかし、これぞ現代人の悪いところかも知れない。むしろ、最近ではこうした「あたり一面に広がった大地をすべて耕さなければならない」という発想こそ間違いなのではないかと思っている。

フィリピンに革命を引き起こすこともできた携帯メールが、日常の他愛もない会話に費やされるのは無駄に感じるかも知れない。あるいはBSデジタルチューナーのリモコンにせっかく用意されているデータボタンをなかなか押せないのは残念に思うかも知れない。しかし、あまり焦って製作の費用や手間に無理があるような番組を頑張って制作し、視聴者に下手な期待を抱かせ、がっかりさせるのは、いかがなものか。

結局はできる範囲で一歩一歩成長していくのが正しい道ではないかと最近、思い始めている。人間の成長には何年もかかる。進歩には何十年もかかる、種としての進化にいたっては何万年もかかるのだ。必要以上に時計の針を進めようとしてもしかたがない。

とはいいつつも、もう少し生活にゆとりがあって、携帯メールでもっと高尚なコミュニケーションができるように、BSデジタルにももっと高尚な番組を求められるような自分に成長したいと思う今日この頃である。

 

→ 第10回:ご隠居にもお勧め「デジタル近所づきあい


[ eの感覚 ] [ デジタル時事放談 ] [ ダンス・ウィズ・キッズ ] [ 幸福の買い物 ] [ 生き物進化中 ]
[ シリコンバレー ] [ 貿易風の吹く島から ] [ ワイン遊び ] [ よりみち ] [ TOP ]


ご意見・ご感想は postmail@norari.net まで。
NORARI (c)2001