第889回:抜きん出た女性たち その7
ルース・ベネディクト(Ruth Benedict;1887-1948)
ルース・ベネディクトは『菊と刀』(原題:The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture;1946年)でとりわけ日本人に広く知られている文化人類学者です。
大胆な言い切りですが、戦後たくさん出た日本人論の源ではないかしら。
ダンナさんは高校の英語の授業で彼女の原文(英語です)に泣かされたと言っています。もっとも、あの当時の受験英語は、英文解釈と言うらしいですが、バートランド・ラッセル、関係代名詞の使い手サマセット・モームがよく読まれた(極一部でしょうけど…)と言いますから、とんでもない英語を教えていたんですね。現在、アメリカの大学生でバートランド・ラッセルやモームを読む人はいませんよ。
人類学の学生ならルース・ベネディクトの名を知っているでしょうけど、どれだけの学生が彼女の著作、論文を読んでいるかとなると大いに疑問です。
『菊と刀』は、今読んでみると、私が多少日本と日本人を知っているせいでしょうけど、アレっ、チョット違うなという箇所があるにしろ、よくぞここまで洞察し、分析したもんだと感心させられます。しかも、彼女は日本に行ったことも、もちろん住んだこともないのです。
コロンビア大学の文化人類学の教授になったばかりのルース・ベネディクトをアメリカ政府の機関、戦時情報局が招集し、日本という国と日本人はいかなるモノであるかを調査させたのです。
彼女はそれまで特別に日本に関心を持っていたわけではなさそうです。戦時情報機関は、日本語の翻訳者としてのちに日本文学を西欧に知らしめた優れた文学者、エドワード・サイデンステッカーやドナルド・キーンなどを抱えていました。
ルース・ベネディクトは日本人強制収容所を訪れ、また日系アメリカ人の古老を尋ね、『菊と刀』を書いたのでした。よく起こる現象ですが、海外に移住した日本人の方が古い、伝統的な日本文化を肌身に付け、残していることがままあります。また、日本人以外の人に日本とは、日本文化とはと尋ねられると、日本人はツイ誇張して話す傾向があります。もちろんそんなこと、彼女は百も承知だったことでしょう。
彼女がインタヴューしたのは明治生まれのお年寄りが多かったようです。従って彼女が挙げる“義理と人情”は戦時下の日本人の中にたくさん残っていたのでしょうけど、現代の若者の感覚からはズレているかもしれません。
彼女の最初の頃に出版した本のタイトルは『文化の型』(原題:Patterns of Culture;1934年)と題されたもので、文化をアポロ型とディオニソス型の二つに分けています。アポロ型は秩序を好み慎み深い文化でディオニソス型は興奮し、陶酔に陥りやすい文化としています。
もちろん、その中間に無数の多様性があることを記してています。いわば相対的な文化論です。その枠組みで日本人を計ったのだと思います。
彼女の調査対象は北アメリカとメラネシアが主でしたから、いきなり日本というすでに原始性から脱皮して2、3千年を経ている、独自の文化を築いている国を研究対象に与えられ、どれほど戸惑ったことでしょう。
それにしても、日本に行かず、住まず、在米日系人だけを対象にして、よくぞここまで深い洞察を働かせ、ほとんど日本人の芯まで見抜いたものだと感心させられます。
ルース・ベネディクトは1887年生まれですから、第二次大戦の時は50代後半でした。彼女の師はドイツ系のフランツ・ボアズという高名な人類学者でした。彼がニューヨーク生まれのルースに文化人類学という分野への目を開かせたと言って良いでしょう。
一度結婚していますが10年ほどで離婚し、その後、文化人類学に没頭していくのですが、その過程でマーガレット・ミード(アメリカを代表する文化人類学者、南太平洋諸島のフィールドワークで高名)と師弟というより姉妹以上の深い精神的つながりを持つようになりました。
まだこれからという61歳で鬼籍に入っています。
現在、盛んに使われている“レイシズム”という言葉、主に悪い意味で人種差別用語を使い始めたのはルースだと言われています。
また、膨大な数の日本人論の先駆け、源はルース・ベネディクトが書いた一冊の本にあると思います。

ルース・ベネディクト
<Ruth Benedict;1887-1948>
第890回:抜きん出た女性たち その8
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