第135回:ウチの仙人とスーパーお爺さん
更新日2009/11/12
ウチのダンナさんには、このコラムに何度か登場してもらいましたが、カテゴリーにはめ込むことができない不思議な人です。
動物、とりわけ犬と小さな子供に好かれるのです。好かれるというより、犬ややっとヨチヨチ歩きの赤ちゃんが擦り寄ってくるのです。彼が犬の頭をなでたり、口笛を吹いて呼んだりしないのに、犬の方からまるで仲間を見つけたみたいに喜んで飛んできます。多い時には7匹の犬がゾロゾロ彼に付いてきたこともあります。
赤ちゃんの方も、歩ける年頃なら彼の方に寄ってくるし、お母さん、お父さんにダッコされている赤ちゃんなら、目が釘付けになったように彼をジーッと見つめたり、手足をバタバタさせ笑みを浮かべ喜びを表します。彼自身は、最近特に寂しくなった白髪頭をすっきりと丸坊主していますから、彼をでっかい頭の赤ちゃんだと勘違いしているのではないかと言っていますが、坊主頭や禿げ頭は周りにたくさんいますから、答えになっていません。
昨日、久しぶりに裏の山と森を歩き回りました。いろんな動物の足跡を発見し、野鳥たちを見るのは山歩きの楽しみです。ですが、どこを歩いても八の字に、爪先が10時10分を指す時計の針のように開いたハイキングシューズの足跡があるのです。
それはこの裏山、森を隈なく網羅していると言ってよいくらい、谷底から棘のあるブッシュに覆われた、鹿や熊でも遠慮しそうな藪の中まで踏み歩いているのです。これだけ足跡を残していると、嗅覚が異常に発達した野生の動物たちは、敏感に足跡をつけた動物(ウチのダンナさんですが)を仲間だと思うのではないかしら。
何を考えながら、もしくは何も考えないでそんなところ歩き回っているのか、これも不思議です。
もともと、彼は一人でいるのをなんとも思わないタイプでしたが、山に越してからますますその傾向に拍車がかかり、山を降りて町に、下界(彼曰く)に行かなくなりました。人が来れば喜ぶし、いろんな人とのコミュニケーションも上手なのですが、人に会わずに、テレビ、ラジオ、電話なしで何ヵ月間も一人で居ても大丈夫というのか、結構それで幸せそうなのです。
そんなウチのダンナさんを山から引きずり降ろし、少しは文明の空気に触れさせ、虫干しをさせるための餌(えさ)は、デーンお爺さんです。デーンお爺さんのことは前にも書きましたが、今年91歳になる、活力溢れるスーパーお爺さんで、大学の授業を幾つか取り、学校に来る日は必ず私の研究室に顔を出し、新しく仕入れたジョークを披露していきます。
ポケットに小さなカードを持ち歩き、本や雑誌、テレビから着想を得た諺、訓戒、シャレを書付けているのです。デーンお爺さんの槍玉に上がるのは、保守的な政治家、凝り固まった宗教家、役人根性丸出しの大学や町の人たちです。それでもデーンお爺さんはとても人間が好きで、話し好き、何に対しても好奇心旺盛です。
そんなデーンお爺さんと、どこか安いレストランでお昼を食べるためなら、仙人のようなウチのダンナさんも喜んで山から1時間車を運転して降りてきます。デーンお爺さんの方も、ウチのダンナさんに会うためなら何があっても(もっとも何もない、時間だけがたっぷりある生活をしているでしょうけど)待ち合わせの場所にやってきます。
二人が会っても(私を入れて3人ですが)特別の会話をするわけでなく、馬鹿な冗談披露合戦をするだけなのです。ただ、季節の変わり目に一人暮らしのデーンお爺さんにエアーコンディションにカバーをし、水を抜いたかどうか、ガスの暖房機器の安全チェックを済ませたかなどと、便利屋、修理屋的才能が大いにあるウチの仙人が尋ね、必要があれば、デーンお爺さんの家に行って修理をします。
傍目に見ると全く共通点がなく、歳も20歳以上離れている老人(ウチのダンナさん)と超老人(デーンお爺さん)のつながりは奇妙に見えます。それは理屈でなく、そんな友情があっても良いと指差すだけで充分なのかもしれませんね。
第136回:全体主義とスポーツ