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■イビサ物語~ロスモリーノスの夕陽カフェにて
 

第1回:白い島“イビサ”との出会い 新連載スタート

更新日2017/12/21

 

イビサ島(Ibiza)はイベリア半島の東、地中海に浮かぶバレアレス諸島のなかで最も西に位置し、したがってスペイン本土に一番近い島だ。近いと言っても、私が住んでいた当時、バルセローナから船でゆうに8時間はかかる地中海に置き忘れられたような島だった。私自身、そこに移り住むことになるまで、マジョルカ島(Mallorca)、メノルカ島(Menorca)の名は耳にしていたが、イビサという名すら聴いたこともなかった。
 
イビサで二十代後半から三十代にかけての十余年を過ごすことになったのは、島の風土が私に合っていたこともあるが、“イビセンコ(Ibizenco)”と呼ばれるイビサ島民が私を受け入れてくれたからだと思う。いくら島の天候が温暖で、いつも海を眺めることができる崖の上のアパートという条件が整っていたとしても、それだけではお腹も精神も同時に満たされるものではない。私にとっては、イビセンコあってのイビサだった。イビセンコは外からの客は広く受け入れるが、自分自身の生活を変えようとしない、不思議な寛容性を持っている。 

イビサで2週間も過ごした者なら、誰しも一生イビサを忘れることができなくなる。第一次世界大戦前のパリを知った者が、生涯心の中にパリ祭を持ち続けたように、イビサが取り憑くのだ。イビサに辿り着くまで、私はバックパッカーの群れに身を投じ、ヨーロッパだけでなく、中近東、北アフリカ、中南米を渡り歩いてきた。

そのような長旅は常に緊張を強いるものだ。心底から疲れ、そして病むのだ。そして、無感動、無感覚、無責任に陥る。もう何を見ても、どこへ行っても同じことだとなり、自分の懐具合だけが問題になるのだ。それでも、旅先で出会った同族たちから、どこそこは食べ物が安いだけでなく、マリファナも容易に手に入る、そこに溜まっている北ヨーロッパの女性と、至極簡単にイイナカになれるなどと、根も葉もない情報を耳にすると、やおらその地へ足を運ぶのだ。

バックパッカーはそれ自体が一つの中毒で、一度その群れに身を投じたら、一箇所に腰を落ち着け、居座ることができなくなるのだ。ここにしばらく居座ろうと決めても、10日もすると腰が浮いてくるのだ。もちろん、中にはその地に伴侶を見い出し、溺れ、沈没するヤツもいないではない。

イビサだけではないが、当時のスペイン、独裁者フランコがまだ生きていた時代、西欧の歴史の流れから取り残されたような状態が続いていたスペインは、政治的意識さえ持たなければ、天国だった。物価の安さ、食べ物が日本人の口に合う上、激安だったし、ワインときてはミネラルウォーターより安かった。スウェーデンで夏場の3ヵ月だけ働ける臨時労働許可証を発行していたが、そこで皿洗いや皿引きのアルバイトをすれば、そのお金で後の9ヵ月をスペインで暮らすことができた時代だった。

おまけに、セニョリータたちと片言以下の怪しげなスペイン語を操ってオトモダチにたやすくなれた。彼女たちはたいてい好奇心大盛な16、7歳で、針が落ちても大笑いする年頃だった。そして自然の成り行きだが、最初グループでワイワイやっていたのが、じき特定の相手とだけ会うようになり、ノヴィオ、ノヴィア(novio,novia;軽い意味での求婚者)と呼び合うようになり、そのまま結婚に進むのだ。そんな例は珍しくなく、私が個人的に知っているだけでも十指でも足りないほどだから、全体、どれだけ多くのバックパッカーがセニョリータと一緒になったことやら見当もつかない。

私自身、セニョリータたちとの集団デート的なカフェテリア集会に何度か顔を出したこともあり、その中に気を引かれたセニョリータも出てきた。だが、私はかなり重症のバックパッカー中毒になっていたので、スペインを後にして、南米に向かったのだった。1年ほど南米を徘徊しただろうか、マドリッドで旧友たち、バックパックを背から降ろし、セニョリータと結婚し定住した仲間に会い、ヒッピーの島イビサのことを耳にしたのだった。

初めてイビサを訪れたのは観光シーズンが終わった11月ではなかったかと思う。定期船はバルセローナから週2便あるだけだった。しかも乗客は映画館のように並んだ座席にポツリポツリと頭を覗かせているだけで、20人といなかった。半公営のトランスメディタレニアン海運は、政府から離島援助金がなければ、とても定期船を運航できなかっただろう。

ibiza-01
船は朝早く、滑りこむように
古代ローマ時代から 良港として知られたイビサの港に入る。
小高い丘に張り付く白く塗りたくった家、そして城砦が出迎えてくれる。

格安飛行機が飛び交う今となっては適わぬことだが、イビサを訪れるなら定期連絡船で行くことだ。船は夜本土、バルセローナを出航し、明け方にイビサの港に入る。スペイン観光省がイビサ島をイスラ・ブランカ(Isla blanca;白い島)と名付けたように、小高い丘に白い家並みが天辺の城砦へと重なり、積み上げられている光景を左手に見ながら、静かに港にすべり込むのだ。何十回にもなるだろうか、この光景を観ているのだが、このイビサへのアプローチと入港時の風景はその都度感動させられる。

私が開いていたカフェテリアはちょっとした崖の上にあり、東に港を守る中世の城郭を頂く丘があり、南から西は地中海が広がり、フォルメンテーラ島(Formentera)の低い島影を水平線に望むことができた。夕陽はデンボッサ海岸(d'en Bossa)に落ちていく。

この界隈は“ロスモリーノス(Los Mollinos)”と呼ばれ、崖っぷちにある私のカフェテリアへ来るには、短いトンネルを潜らなければならない。イビサの町から私のカフェテリアまで1キロもあるかないかの距離なのだが、このトンネルを越すと世界が一変する。一挙に見晴らしが開け、緩やかな坂道が海岸へとつながり、別世界が広がるのだった。

カフェテリアを『カサ・デ・バンブー』(Casa de Bambu:竹の家)と名付け、ブドウ棚と大きなイチジクの木、白壁にブーゲンビリアを這わせ、数本の椰子の木がつくる木陰に5卓ばかりのテーブルをかなりの間隔を置き、夏場だけの浜の家、カフェテリアをやっていたのだ。眼下に広がる地中海というロケーションが良かったし、俄か庭師としては草花も良く育て、北欧、ドイツ、イギリスの人たちがこれぞ地中海の島とイメージする観光ポスターになってもおかしくないカフェテラスを造り上げたのだった。

-…つづく

 

 

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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