■くらり、スペイン~移住を選んだ12人のアミーガたち、の巻

湯川カナ
(ゆかわ・かな)


1973年、長崎生まれ。受験戦争→学生起業→Yahoo! JAPAN第一号サーファーと、お調子者系ベビーブーマー人生まっしぐら。のはずが、ITバブル長者のチャンスもフイにして、「太陽が呼んでいた」とウソぶきながらスペインへ移住。昼からワイン飲んでシエスタする、スロウな生活実践中。ほぼ日刊イトイ新聞の連載もよろしく!
著書『カナ式ラテン生活』。


第1回: はじめまして。
第2回: 愛の人。(前編)
第3回: 愛の人。(後編)
第4回:自らを助くるもの(前編)
第5回:自らを助くるもの(後編)
第6回:ヒマワリの姉御(前編)
第7回:ヒマワリの姉御(後編)

■更新予定日:毎週木曜日

第8回: 素晴らしき哉、芳醇な日々(前編)

更新日2002/06/13

アミーガ・データ
HN: Norie
1968年、福岡生まれ。
1997年よりスペイン生活、現在6年目。
在住地:バリャドリード

ある土曜の午後。抜けるような青空の下の、白壁のパティオ(中庭)。子羊を焼く煙が元気よく上がっている。キッチンから出てきたご主人が手にしているのは、よく冷えた白ワイン、それに喉をなめらかに転がる赤ワイン。どちらも知り尽くした地元の味だ。傍らでは生後8ヶ月のラブラドール・レトリーバーが、素焼きの植木鉢皿を相手にじゃれている。遠くから楽隊の奏でる賑やかな音楽が聴こえるような気がする。そういえば今日は、村のアスパラ祭り。

今回のインタビューは、そんな、夢のようなシチュエーションで行われた。マドリードから北に約200kmの街、バリャドリード。数年前にサッカーの城選手がここのチームに所属して知名度が上がるまで日本ではあまり知られていなかったが、ほんの400年前までは首都だった場所。新大陸を発見したコロンブスや『ドン・キホーテ』の作者セルバンテスゆかりの地でもあり、スペインでは情趣ある古都として知られている。

その日、アスパラ祭りが開かれていたのは、バリャドリードからさらに東へ20kmのところにあるトゥデラ・デ・ドゥエロという村だった。人口6.000人、羊がたくさん。毎日決まった時間になると、家の横を、羊の群れがゆっくりと通り過ぎる。ここが、Norieのスペイン生活の舞台だ。


彼女が留学生として初めてスペインに来たのは、28歳のとき。それまでは故郷の福岡で、システムエンジニアとしてキャリアを積んできた。6年間働くうち、持ち前の責任感の強さや技術が認められ、チーフとしてプロジェクトを任されるようになる。だが、それが次第に重荷となってきていた。

優等生。少女時代を振り返ったとき、Norieの口から静かに出された言葉だ。根がまじめで、なんでも人一倍頑張る。なんのためにだったのだろう? 頑張った結果が、楽しくない。頑張っていることすらあまり見せたくなくて、そうじゃないところを強調したり。……優等生の自分は、好きではなかった。

どうしたらいいかを考えたくて、大学では心理学を専攻。でも自分について思い詰めるあまり「破綻する」学生などを間近に見るうち、人間と対するということ自体に躊躇するようになってきた。ゆっくりと独りで仕事をしようとコンピュータ相手のSEを選んだものの、年を経るごとに対外的な業務が増えてくる。実力がなくても、受注するためにはハッタリをかまさなければならないこともある。それがたまらなく辛かった。人を騙し、欺いてまで仕事をしたくはない。

6年目に、考えた。定年までこのままの生活を続けるの? ちょうど大学の研究室仲間がフランスに留学をしたというのを耳にした。「あぁそっか、そういう手もあるのか」 1年間、ヨーロッパで自由に生活をしてみよう、そう思った。

会社からの慰留もあって1年間だけの休職とするつもりだったが、本社からの許可が下りない。迷ったが、今なら1年の留学生活で貧乏になって帰ってきても、29歳だ。まだやり直しはできるだろう。いや、ひょっとしたら今が最後のチャンスなのかもしれない。彼女は会社を辞めることを決めた。名刺を全部捨てたとき、とてもすがすがしい気分だったのをよく覚えている。


97年4月、Norieはマドリードを出発するバスの中にいた。目的地はサラマンカ、所要時間は2時間半。窓の外には、遠く、広く、かつて阿蘇山に続くハイウェイで見たのと同じような景色が広がる。「来るべくして来たんだな」 なぜかそう感じた。

 

 

第9回:素晴らしき哉、芳醇な日々(後編)