第365回:ヘンテコ少年とダースベーダー - 富山地方鉄道本線2-
トワイライトエクスプレスを目撃したのち、急行電車はいったん北陸本線から反れた。緩やかな右カーブの後、くいっと左へカーブして北陸本線の築堤を潜った。そして北陸本線の海側に並ぶ。どうせまた山側を行くことになるというのに、なんでこんなルートを通るのかと思う。富山地方鉄道はいくつかの私鉄を合併しているから、魚津あたりで海側の鉄道会社と合併し、無理やりつないだということか。
北陸本線は複線、地鉄は単線
半分は自戒をこめて述べると、鉄道好きはしばしば挙動不審である。列車内で、おとなしく座っていれば目的地につけると言うのに、私たちはアッチへウロウロ、コッチヘウロウロする。目に入るもの何もかもが興味深いから仕方ない。ただ、一線を引くとすれば、そこで一般客を気遣えるか否かである。私も少年の頃を思い出すと恥ずかしい場面が多い。まあ、いまでも後遺症が出ていると言えなくもないけれど。
早月川を渡る
北陸本線をくぐり抜ける
電鉄魚津を発車した頃、そんな挙動をする少年が通路の向こうからやってきて、私のそばで立ち止まった。私が車窓を撮っていたと知って、同類のにおいを嗅ぎとったのだろう。彼はいきなり、「さっきトワイライトエクスプレスが通り過ぎましたよ」と教えてくれた。私が、「そうだね。俺は写真を撮ったよ」と言うと、「僕は取らなかったけど、あんなものはいいんです」と言った。写真が撮れなくて悔しかったのだろうか。私だってとっさのことで、満足に撮れた訳ではない。話しかけておいてなんだよ、と思う。しかし、このやり取りで私はちょっと優越を感じた。やはり私も奇妙な性分である。
その後、少年は何回か2両編成の車内を往復した。どこかから乗ってきた女性グループになにやら話しかけていて、適当にあしらわれている。車窓よりも彼の挙動のほうが面白い。電車に乗っている自分がうれしくて、誰ともなく話しかけてしまう。私にも恥ずかしながらそんな時期があった。
富山地鉄の新魚津はJRの魚津駅に隣接している。その新魚津で高校生が大勢降りた。学生さんたちの会話が漏れ聞こえた。どうやら高校の文化祭のようだ。たしかに10月の体育の日あたりはそんな時期だ。文化祭ではなく、体育祭かもしれない。
電鉄魚津駅の構内は広かった
今度は北陸本線が右へ去っていった。こちらは直線で、ふたつの駅を通過した後、右に曲がって築堤を上り、鉄橋で北陸本線を超えた。地平へ降りると電鉄黒部駅だ。黒部と言うと黒部ダムを連想し、山の中の里という印象だ。しかし、実際の黒部地域は海側で、黒部ダムのあたりは宇奈月町。それが近年に合併して新しい黒部市となった。黒部川沿岸はすべて黒部市で、人口は約4万2,000人。主な産業は工業と観光業。工業には電力関連も含まれるのだろうが、YKKの拠点があり、アルミ加工建材の生産も多いという。アルミの原料となるボーキサイトの精製には電力が必要だ。「アルミは電気の缶詰」ともいうから、黒部の電力と結びついている。
こんどは北陸本線をまたぐ
黒部駅で電車はしばらく停車した。対向列車を待っているのだろう。座席から首を伸ばすと、ここには電車の車庫があるようだ。鉄道少年がホームと列車を行き来している。そしてまた私のところにやってきて、「あそこに留まっている電車は富山地鉄の生え抜きなんだ。珍しいんだ」と得意げに説明してくれた。それから、私が窓辺に置いた空っぽのペットボトルを見て、要らないならくれといった。どうぞと差し出すと、「違う、キャップを集めているんだ」という。キャップをはずして渡すと、満足そうに去っていった。窓辺には口の開いたペットボトルが残された。もともと私が飲んだものだが、なぜかゴミを押し付けられたような気分である。
ヘンテコ鉄道少年が貴重だと言う電車を、私も見てみようかと立ち上がったところで、運転士が立ち上がり後方確認をした。もう発車の時刻のようだ。私は腰を下ろし、鉄道少年はその運転士のそばの扉で、身を乗り出してカメラを構えている。
「君ね、電車を撮りたいのはわかるけど、危ないからやめて」
とうとう怒られてしまった。すると少年はしょんぼりと肩を落とし、後方の車両に引き上げた。大好きな鉄道の、そこで働く人に怒られてしまったら、もう行き場はない。
電車は黒部市を横断するように東へ向かっている。つまり黒部川に沿っている。黒部市の農業従事者は少ないとはいえ、黒部川沿岸は水田が多い。農業の機械化が進んで、人手が少なくても足りるのだろう。あるいは兼業農家が多く、いざというときは勤め人の親類縁者が総出で作業をするのかもしれない。黒部川は恵みの川である。電力と、水と、たぶん魚も多く棲んで、小魚を目当てに鳥や獣も集まる。自然と命の仕組みがわかりやすい地域。国が壊れても、都市が機能しなくなっても、ここだけは生き延びていけそうな気がする。家の庭にはたいてい枇杷が成っていて、この時期はサバイバルもデザート付きだ。
突然、「シュリルルルーーーーーー」という音が聞こえた。はじめは気に留めていなかったけれど、何度も聞こえてくるとさすがに耳ざわりだ。発信源を探すと、初老の鉄道ファンの男性であった。電鉄富山を出てすぐに、「黒部でイベントがあるんですよね」と私に話しかけてきた人である。音の正体は、口腔に溜まった唾をすすり上げ、飲み込んでいるのだった。なぜいきなり始まったのだろう。いままで居眠りをしていたのだろうか。「シュリルルルーーーーーー」、「シュリルルルーーーーーー」とやかましい。
車窓右手に低い山が連なっていて、その尾根に白い建物がある。地図を見ると公園墓地があり、あの建物は納骨堂らしい。あそこからこちらを眺めたらどんな景色だろうと思う。町があって、川が流れ、単線を電車が走っていく。まるで鉄道模型のジオラマだ。鉄道写真家はあんなところや、時には登山の装備で線路を俯瞰する場所を探しに行く。時間と体力を使って、タイミングに賭ける。大変な仕事である。
墓地公園のそばにある仏舎利塔納骨堂管理事務所
夜間はライトアップされるらしい
下立口を過ぎて、いよいよ黒部峡谷へ向けた登坂が始まった。、下立でお坊さんが降りていった。檀家さんを回っているのだろうか。まだ若いと思われるが、穏やかな良いお顔をなさっている。後ろ姿に手を合わせようとしたら、またオッサンが、「シュリルルルーーーーーー」と鳴き出した。やかましい。ダースベーダーのようだ。
短いトンネルを通過すると、車窓左手にも山がそびえて、車窓は谷間の風景に変わる。空は狭くなってしまったけれど、青い。終点まで晴天であってほしい。美女平で見逃した紅葉をこちらで愛でたい。私は稜線と空の境目を見守っていた。「シュリルルルーーーーーー」、だんだん音が大きくなっていく。ダースベーダーがシューシュー言わせたあとで咳をする。見ていたら今度は大きなあくびをした。
唾は一定間隔で溜まっていくから、この音も一定の間隔で続く。ときどき吸い上げた唾が気管に入るらしく、咳払いもする。クワーッと喉を掻き鳴らす。やれやれ、ヘンテコ鉄道少年がおとなしくなったと思ったら、今度はオッサンの奇行であった。きっと癖なんだろう。いままで周りの人たちは注意しなかったのだろうか。気の弱い部下なら言えないだろうな。結婚しているのだろうか。奥さんや子供たちは何年もあの音に耐えてきたのだろうか。そんなことを考えると気になって、景色に集中できない。
後部車両に移ろうかとも思ったけれど、あちらはヘンテコ鉄道少年がいる。いまさら絡みもないと思うけれど、なんとなく移動も億劫になってきた。オッサンのさえずりを聞き流しつつ、車窓左手に注目する。黒部川に沿う景色は、先ほどのトンネルのあたりでは狭くなっていたけれど、その先で谷が開けた。愛本という駅の隣には巨大な電力施設があった。これは関西電力愛本発電所の付帯設備で、変電施設と制御施設があるという。いよいよ黒部の電源地帯に入ったようだ。「シュリルルルーーーーーー」
関西電力愛本発電所
まるで秘密基地のようだ
この辺りから線路は少し高いところを走り、川と川のそばの集落を見下ろすようになった。川幅は広く、野球場がいくつも入りそうだ。遠く対岸を行く国道の落石覆いが、漫画の鯨の歯の様に見える。この川幅が水流に由来するとすれば、黒部川はかなりの暴れ川だったと言える。その暴れるほどの水をダムに溜めて、発電をしようと考えた。そこが先人の凄いところである。「シュリルルルーーーーーー」
音沢駅に止まる。ダースベーダーの鳴き声の間だけ静寂が訪れる。と、今度は選挙の宣伝カーが大声で何かを叫びながら通り過ぎた。市議会選挙か市長選か分からないけれど、眺めていたらなんとなく目が合った。手を降ったら喜んでくれたけれど、私は当地に選挙権がない。期待させてしまって申し訳なかった。
さて、黒部は晴れているだろうか
-…つづく
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