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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第710回:三面鏡と二枚窓 - 近江鉄道本線・多賀線 彦根~多賀大社 -

更新日2020/05/07



彦根駅の掲示板を眺めていたら、
「目的地は本当に京セラ前駅ですか? 京セラ前駅は京セラドーム大阪の最寄り駅ではありません」
というポスターを見つけた。

01
三面鏡顔の電車で乗り鉄を再開

京セラ前駅は近江鉄道本線にある。セラミックや半導体などを製造する京セラという会社の工場の最寄り駅だ。1991年に開業した新しい駅で、従業員の通勤客を獲得する目的で作られたようだ。京セラドーム大阪は大阪にある野球場だ。最寄り駅は大阪メトロ長堀鶴見緑地線のドーム前千代崎駅。そういえば大正駅から夜の街を散歩したなあ。それにしても、ここは滋賀県だ。京都府の向こうの大阪が付く施設があるはずもない。それでも間違う人がいる。乗り換え検索アプリの操作を間違い、結果を疑わないらしい。そういえば東京湾の青海に行くつもりで、奥多摩の青梅に行ってしまう人もいるという。群馬県の富士山下駅は外国人が富士山の最寄り駅だと間違えるという。

02
座面と背もたれの間に化粧板、改造か、元からか

掲示板を見ようとした理由は、路線図と時刻表の確認だ。近江鉄道は本線と多賀線、八日市線の3路線を運行している。本線は米原駅を起点とし、貴生川駅までの約48キロ。貴生川駅でJR草津線と信楽鉄道に連絡する。多賀線は彦根駅の三つ先の高宮駅から分岐して多賀大社駅までの2.5キロ。八日市線は本線の八日市駅と近江八幡駅を結ぶ。近江八幡駅でJR東海道本線に連絡する。どの順番で乗るかといえば、多賀線と八日市線に寄り道しつつ、本線の終点を目ざす。これが順当だ。1日乗車券をかざして改札を通り、近江鉄道のプラットホームに降りた。JRの線路を貨物列車が通過していく。コンテナは福山通運の緑色ばかり。なかなかの編成美である。

03
旧西武鉄道色とすれ違った

三面鏡顔の電車に乗って高宮駅へ向かう。東海道本線にピッタリと寄り添う。こちらは2両編成でフラフラしているけれど、隣の線路でJRの銀色の電車が長編成で走り去る。威風堂々、国鉄時代の威厳を保っていた。ひこね芹川駅発車して芹川を渡り、彦根口駅に着く。京都から見て彦根の入り口という意味だろうか。高校と大きなマンションに挟まれた駅。通勤も通学も便利な駅だ。彦根口を出ると左へゆるく曲がり東海道本線と分かれた。市街地を通り抜けると、左の車窓に西武鉄道の黄色い電車が二つ並んでいた。この姿のまま走るか、三面鏡顔になるか、どっちだろう。

04
現西武鉄道色が留置されている

高宮駅の手前で多賀線と分岐したから、プラットホームは三角の裾広がりである。下りのりば側に多賀線のりばがあるから、階段を上下しないで乗り換えられる。支線へ寄り道という行程は正解だったようだ。多賀線ののりばで電車が待っていた。濃い青にピンクの帯。顔は2枚ガラスで西武鉄道時代のままだった。番号は901だから900形だ。いままで乗ってきた三面鏡顔を見送って、900形に乗る。空席が多いけれども、座ったら居眠りしそうだ。短い路線だし、運転室の後ろに立って前方を眺めよう。2枚ガラスは大きいし、客室との仕切り窓も大きい。ありがたい。

05
多賀線も元西武鉄道の電車

発車後、すぐに新幹線の高架を潜り抜け、工場地区になった。スクリーン駅に到着。2008年にできた新しい駅だ。駅前にスクリーンという会社の工場がある。この会社が近江鉄道に要望して設置されたそうだ。スクリーン社は明治元年創業の印刷機製造会社の研究開発部門が独立した。スクリーンは映画館やプロジェクター用の白幕かと思ったら、Webサイトを見ると、製版用のガラススクリーンという仕組みがあるらしい。現在はプリント基板や半導体製造装置も手がける。身近なところではヒラギノフォントの販売元だ。高速道路の表示板やスマートホンのシステムフォントに採用されている。最先端企業である。儲かっていそうだ。近江鉄道を買い取ってくれないだろうか。

06
2枚ガラスの展望よろし

07
スクリーン駅

電車はゆるいS字カーブを通り抜けて、景色は田園地帯になった。わずか2.5キロで車窓がこれほど変わる路線も珍しい。高速道路の下を通って、多賀大社駅に到着した。スマートホンの時計は11時55分。この電車は30分後の12時25分に発車する。それまで30分か。彦根で時間を取ってしまったから、多賀大社には行かないつもりだった。しかし地図アプリで調べると、多賀大社まで徒歩8分。ということは、10分で行き、10分でお参りして、10分で戻れば間に合う。お参りする時間はなくとも、せめてお社は眺めてこよう。多賀線は多賀大社の参詣鉄道だったはずで、建設由来となった場所を拝んだほうが良かろう。

08
多賀大社駅

天気も良いし、ダウンジャケットを着ているせいで、早足で歩くと2月というのに汗をかいた。多賀大社は古事記にのるほど由緒ある神社で、祭神は国生み神話の伊邪那岐と伊邪那美だ。あれ、神話によると二つの神は夫婦となった後に離縁している。どうして元の鞘に収まったか。神だから、人知を超えたふるまいを示すか。ともあれ、思いを馳せる時間はない。そそくさと参拝を済ませて帰路につく。境内にシャモジ形の絵馬が並んでいて面白い。これは御多賀杓子といって、奈良時代に元正天皇へ飯を献上した時に使った杓子という縁起らしい。お玉杓子の由来でもあるという。多賀線は短いけれど、沿線には、私たちの暮らしに身近なアイテムのルーツがあった。

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多賀大社

参道の店で売られている糸切り餅が気になった。蒙古襲来を撃退した神風に感謝して備えたという。刃物を使わず、三味線の糸で切る。これは平和を願うからだ。とても良い話だけど、買って味わう時間はない。ふたたび早足で汗をかき、後ろ髪も汗ばむ。なんとか12時25分の電車に間に合った。

10
絵馬の代わりに絵杓子

-…つづく

 



杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。「鉄旅オブザイヤー」最終選考委員。

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