第411回:流行り歌に寄せて No.211 「人形の家」~昭和44年(1969年)
この曲を歌う弘田三枝子の姿を初めて見た時、やはり驚きを隠せなかった。長い間テレビで見ていなかったが、それより以前はポップス番組の常連で、ぽっちゃりした顔つきと体型、あどけない表情で、パンチの効いた洋楽のカヴァー曲や和製ポップスを歌いまくっていた「ミコ」ちゃんだった。
それが、顔つきもスタイルもほっそりとしてしまって、目元ばっちりの濃いアイシャドウ、ハーフのモデルさんのような雰囲気の女性に変身してしまったのである。そして、歌の内容もすっかり大人の曲になっていた。
私が小学校の3、4年生頃までは、洋楽のカヴァー曲を中心に視聴させるテレビの音楽番組(番組のタイトルは覚えていない。『ザ・ヒットパレード』かとも考えたが、この番組は、フジテレビ系の系列局がなかったその頃の長野県では観ることができなかった)が流行していて、両親も好んで観ていたことから、私にも馴染みがあった。男性では坂本九やジェリー藤尾、長沢純など、女性では森山加代子、九重祐三子、そして弘田三枝子が常連だったような記憶がある。
『子供ぢぁないの』『すてきな16才』『ヴァケーション』『渚のデイト』『悲しきハート』などのパンチのある曲はこの頃聴いていた。ヘレン・シャピロやコニー・フランシス、スーザン・シンガーなどの原曲を私が聴いたのは、そのずっと後のことだった。
そんな弘田三枝子が、数年見なかったけれどまるで別人のようになってテレビで歌っている。声量も歌唱も以前と変わらず素晴らしいし、曲もとても素敵なのだけれど。中学2年生の私にとっては、それが何か哀しいような、うまく言葉では表せないけれど、やはり大人はたいへんなのだろうなと、そんな思いになっていた。
「人形の家」 なかにし礼:作詞 川口真:作・編曲 弘田三枝子:歌
顔もみたくない程
あなたに嫌われるなんて
とても信じられない
愛が消えたいまも
ほこりにまみれた 人形みたい
愛されて 捨てられて
忘れられた 部屋のかたすみ
私はあなたに 命をあずけた
あれはかりそめの恋
心のたわむれだなんて
なぜか思いたくない
胸がいたみすぎて
ほこりにまみれた 人形みたい
待ちわびて 待ちわびて
泣きぬれる 部屋のかたすみ
私はあなたに 命をあずけた
私はあなたに 命をあずけた
歌い方も変わってしまったな。どうして「私は はなたに」なんて母音にHをつけるのだろう。最後は「ひのちをあずけた」とまで歌っている。………当時はそう思っていた。ところが最近になって、その認識が誤りだったことに気づいた。
曲をよく聴き直すと「ひま(今)はもう昨日の私と違う…」『すてきな16才』、「ひつ(いつ)の日か巡り会い…」『渚のデイト』、「ほねがい(お願い)よ、もう一度…」『悲しきハート』と、母音にHをつけるのは、パンチのミコ時代からの、彼女の専売特許だったのである。
『人形の家』から始めたものではなかった。姿形や曲調は変わっても、ミコちゃんは、ちゃんとミコちゃんの歌い方を続けていたのだ。気づくのが遅すぎた気がする。
作・編曲の川口真は、編曲家としての方が早く、いずみたくの事務所のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の編曲で昭和35年にデビューをしている。それからはグループサウンズの曲の編曲などで活躍し、今回の『人形の家』は、本格的に作曲家となったデビュー作である。
その後は作曲家として、私が好きな曲だけをあげても、浅野ゆう子『とびだせ初恋』、岩崎宏美『熱帯魚』、内田あかり『浮世絵の街』、尾崎紀世彦『さよならをもう一度』、金井克子『他人の関係』、ちあきなおみ『円舞曲(わるつ)』『かなしみ模様』、トワ・エ・モア『ともだちならば』、内藤やす子『弟よ』、夏木マリ『おてやわらかに』、布施明『積木の部屋』、槇みちる『片想い』、森進一『東京物語』、由紀さおり『手紙』など、夥しいヒット曲を出している。
並行して、編曲家としても数知れない名曲のアレンジをしているのである。ピアニストとしての腕も素晴らしく、東京芸術大学出身の音楽家の中の音楽家だと言える。
さて、先ほど「気づくのが遅すぎた」と書いたが、弘田三枝子は昨年(2019年)7月21日に亡くなってしまった。作詞したなかにし礼は12月23日。さらに、ご存知の通り、昨年は筒美京平が10月7日、中村泰士が12月20日と、歌謡界の第一人者が次々と世を去っていった。心から、ご冥福を祈りたい。
このコラムで「流行り歌に寄せて」というテーマで書き始めて、この3月でちょうど10年になる。その間、曲のご紹介をした時はまだご存命だったのに、その後にお亡くなりになったり、ご紹介する少し前に亡くなった歌手と作詞、作曲、編曲家の方々が、かなりの数いらっしゃる。
私も、つい先日、前期高齢者の仲間入りをした。少しずつ「昭和の歌」を直接聴いた方々が少なくなり、いつの間にか、昔のこととして風化して行くのかも知れない。寂しいことだと思う。
このコラムは昭和21年の『リンゴの唄』から書き始めたのだが、だいたい昭和61年ぐらいまでの曲をご紹介していこうと考えている。それぐらいまでが、私の中で『流行り歌』と呼べるものだからだ。
今ご紹介しているのが昭和44年の曲、年数的には折り返し点を過ぎたが、昭和40年代後半から50年代前半までが、いわゆる私の青春時代、曲数も増えていくことだろう。
編集者の方が「のらり」を続けてくださり、また「もう書かなくていいよ」とおっしゃらない限り、この流行り歌をご紹介する「悪足掻き」は続けていこうと思う。これからも、どうかよろしくお願い申し上げます。
-…つづく
第412回:流行り歌に寄せて No.212 「池袋の夜」~昭和44年(1969年)
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