■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.
第2回: Save the Last Pass for Me.
第3回:Chim chim cherry.
第4回:Smoke Doesn't Get in My Eyes.
第5回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (1)

第6回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (2)

第7回:Blessed are the peacemakers.
-終戦記念日に寄せて-

第8回:Ting Ting Rider
~マイルドで行こう

第9回:One-Eyed Jacks
~石眼さんのこと

第10回:Is liquor tears, or a sigh?
~心の憂さの捨てどころ

第11回:Hip, hip, hurrah!
~もうひとつのフットボールW杯開幕

第12回:Missin’ On The Phone
~私の電話履歴

第13回:Smile Me A River
~傍観的川好きの記

第14回:A seagull is a seagull
~シンガー・ソング・ライターが歌わせたい女

第15回:Good-bye good games!
~もうひとつのフットボールW杯閉幕

第17回:My Country Road
~八ヶ岳讃歌

第18回:Year of the Monkey
~4回目の年男を迎えて

第19回:Round About Midnight
~草木も眠る丑三つ時を過ぎて

第20回:Only "Good-bye" is one's life
~井伏さん宅訪問の記

第21回:時にはウイスキーの話(1)
第22回:時にはウイスキーの話(2)
第23回:桜 サクラ さくら
第24回:七人の侍、三たび
第25回:リズモア島を歩く
第26回:ふるさとの御柱祭のこと
第27回:渋谷ジニアスの頃
第28回:自由が丘一番街界隈
第29回:私がかつて通ったバー
第30回:犬、猫、好き、嫌い
第31回:未練化粧
第32回:オリンピックの顔と顔
第33回:花について
第34回:1974年9月 東京
第35回:Take Me Away To The Rugby Football Game
第36回:メッセージは伝わるのか?
街の看板、貼り紙のこと

第37回:私のハングオーバー人生
第38回:美しく優しい自然の業
第39回:アルバイト・アラカルト
第40回:野毛ダラ会
第41回:ラグビー早明戦の様式美
第42回:鶏と卵

■更新予定日:隔週木曜日

第43回:ミシンを踏む

更新日2005/01/27


ミシンの音を聞かなくなって久しい。昔は、たいがいの家にはミシンが置いてあって、お母さんやら、お姉さんやら、多くの女性がカタカタカタとミシンを踏んでいた。昭和50年代の前半ぐらいまでは、あの音は聞こえていた気がする。

もしかすると、若い方々にはミシンを「踏む」という言い方が、もう理解できないかもしれない。昔のミシンは機械本体の台の下にそれを支える脚が左右に付いていた。その片側には、本体のはずみ車(ミシンを起動するときに回すハンドルのようなもの)から繋がるベルトの輪をかける大きな車があり、そのベルトを回すために、足元には足踏み台があったのだ。脚も車も足踏み台も、コール・タールのような黒に近い茶色をしていた。

私が小学校の時分、学校から帰宅すると、母がよくミシンを踏んでいた。たいていは私の通学ズボンの、膝っ小僧のつぎあてだったり、父の作業服の補修だったりした。最初に本体のはずみ車を回し、足踏み台を踏んでいく。カタカタカタと太い縫い針が、かなりのスピードで上下動する。

ときどき「あの針の下に指を入れてしまったら、たまらなく痛いだろうな。お母さん気をつけて」などと思いながら、私はその作業を飽きもせず眺めていたことがあった。また、母がいないときには、下糸を入れるボビンの形を面白く思って見たり、作業の手元を照らす小さなランプの光の仄明るさを美しいと思って眺めたりした。今よく考えてみると、私はミシンという機械がかなり好きだったのだと思う。

ミシンのもう一つのイメージは内職である。私の母はミシンを使った内職をしていた記憶がないが、小学校の時、友だちの家に遊びにいったときなど、よくその家のお母さんがミシンを使って内職をしていた。

あの当時一着縫い上げるといくらの手間賃が稼げたのかよくわからないが、あまりたいした額にはならなかったのだろう。友だちのお母さんのミシンの左側には完成品が、右側には手をつけていない生地が堆く積まれ、ひっきりなしに踏み続けていたが、その家も我が家と同様、あまり楽な暮らしぶりではなかった。

少し話が横道にそれてしまうが、私の母もしょっちゅう内職をしていた。長野県岡谷市という場所柄からか、オルゴールの部品作りの仕事が多かったように思う。細かい部品の細かい仕事を、気の遠くなるような数量こなしていたが、その手間賃は微々たるものだった気がする。

話を戻す。ミシンを見かけなくなったが、編み機も見かけなくなった。編み機はミシンに比べて少しグレードの高い家庭用品だろう。昔の花嫁道具に、ミシンを持ってくる人は多かったが、編み機は少しいいところのお嬢さんしか持てなかった物だというイメージがある。

私の隣家に、私の母よりはるかに若くて、とてもきれいな、まだ女学生の雰囲気が残っている奥さんがいらした。彼女は編み機を持っていて、いつも優雅にシャーシャーと機械編みをしていた。私は隣屋の縁側に腰掛け、うっとりとその様子を見ていた記憶がある。

ミシンや編み機が少なくなったことの一番大きな理由は、やはり衣料費がかなり安くなったことにあるのだろう。もちろん高級なものは別にして、普段着て歩くようなものは廉価で手に入るようになった。生地や毛糸を買ってきて、手間ひまかけて縫ったり編んだりするよりも、買った方が早い。

また、働く女性が増えたのも大きな要因の一つだろう。専業主婦とは違って、家事にあまり多くの時間をかけられない。やらなくても済むことはできるだけ端折っていかなくてはならないから、裁縫の順位は後方に下がっていく。

機械による縫い物編み物だけでなく、手縫い、手編みも少なくなったのだろうか。「そう言えば以前よく見かけた電車の中で編み針を持って、細かく目の数を数えながら編み物をしている女性の姿を見かけなくなった。車内化粧は大流行だが」という話を店でしたら、「あれは禁止になったからよ」と教えてくださる方がいらした。

混んでいる車内で編み針を使うことは危険なのだという。確かにその通りだが、少し大きめのバッグに「作品」を隠しながら、せっせと編み続ける姿は微笑ましいものだった。

最近は手編みのセーターやマフラーをいただく機会がないので、あまりはっきりしたことは言えないが、やはり手縫い、手編みで拵えるという行為そのものは、一般的には少なくなっているのだろう。(一般的と書いたのは、キルト刺繍や可愛い編みぐるみなどのものはカルチャー・スクールなどで人気を得ているからだ)

今まで書いてきた縫い物、編み物は、女性をイメージしていたのだが、最近は男性の中で編み物などを楽しむ人が増えている。私は知らなかったのだが、男性の有名な編み物の先生もいて、かなりの評判であるとのこと。編み物をする男性にその理由を尋ねると、「和む、落ち着く、癒される、ストレスが解れていく」という意見が多かったようだ。私には、あの細かい目を数えるだけで気が遠くなりそうだから、とても考えられない。

私のカミさんは、料理、洗濯などは手早くこなすが、どうも縫い物、編み物などは大の苦手らしい。そうすると、今年高校生になる我が息子が手編みのマフラーをGETするには、やはりこれからのガール・フレンドからということになるのだろうか。もしかすると、息子が編んでガール・フレンドにプレゼントするということもあり得るかもしれない。そうなったら…、うーん、少し複雑な気持ちだな。

 

 

第44回:冬の悩み