■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”~
第50回:遠くへ行きたい
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第51回:お国言葉について ~
第100回:フラワー・オブ・スコットランドを聴いたことがありますか
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第101回:小田実さんを偲ぶ
第102回:ラグビー・ワールド・カップ、ジャパンは勝てるのか
第103回:ラグビー・ワールド・カップ、優勝の行方
第104回:ラグビー・ジャパン、4年後への挑戦を、今から
第105回:大波乱、ラグビー・ワールド・カップ
第106回:トライこそ、ラグビーの華
第107回:ウイスキーが、お好きでしょ
第108回:国際柔道連盟から脱退しよう
第109回:ビバ、ハマクラ先生!
第110回:苦手な言葉
第111回:楕円球の季節
第112回:フリークとまでは言えないジャズ・ファンとして(1)
第113回:フリークとまでは言えないジャズ・ファンとして(2)
第114回:フリークとまでは言えないジャズ・ファンとして(3)
第115回:サイモンとガーファンクルが聞こえる(1)

■更新予定日:隔週木曜日

第116回:サイモンとガーファンクルが聞こえる(2)

更新日2008/03/27


前回、このコラムを書いているうちに、“もう一度しっかりとサイモンとガーファンクルを聴き直してみたい”という気持ちに駆られ、彼らがリアルタイムにリリースした(ベスト盤を含む)8枚のアルバムすべてのCDをネット通販で衝動買いしてしまった。店のお客さんにお話ししたところ、最近ではそういうことを「大人買い」というそうである。

リリースされた順でいけば、『水曜の朝、午前3時』『ポール・サイモン・ソング・ブック』『サウンド・オブ・サイレンス』『パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム』『卒業-オリジナル・サウンド・トラック』『ブックエンド』『明日に架ける橋』そして『サイモン&ガーファンクル・グレイテスト・ヒット』の8枚である。

デビュー・アルバム『水曜の朝、午前3時』。そもそも今回サイモンとガーファンクルについてボンヤリと考えるきっかけになったのは、店のお客さんに勧められた、蓮見圭一氏の同名の小説を読んだからだった(小説のタイトルの3は漢数字)。

児玉清氏が絶賛したというこの小説、私の中ではいくつか理解できない部分はあったが、オールドファッションな香りを持つ作品には好感は持てた。ただ、私が読み進める途中で何度か頭に浮かべたことは、アルバム『水曜の朝、午前3時」をいったい何年くらい聴いていないだろう、ということだった。

私は30数年前、この『水曜の朝、午前3時』と『ポール・サイモン・ソング・ブック』の2枚のレコードアルバムを、誰からか忘れてしまったが、カセットテープに録音してもらって、何回もくりかえし聴いていた。

今でもそのテープは残っているが、もう完全に伸びきってしまってまともに聴くことは不可能だ。もし聴くことが可能な状態であっても、すでに私はカセットテープのプレーヤーを持っていないのである。

『ポール・サイモン・ソング・ブック』がCDになっていることを今回知ったことは、とてもうれしいことだった。デビュー・アルバム『水曜の朝、午前3時』がまったく売れずに、失意の中でイングランドに渡り細々と音楽活動を続けていたポール・サイモンが、ひとりで、ギター一本の弾き語りをしてレコーディングした作品だ。

英国と日本でのみ発売されたというこのアルバムは、ポール・サイモンの心情が切々と伝わってくるようで、私はまるで友人のように彼の声を聴き、私もこのアルバムの彼に話しかけたものだった。ところが何らかの理由で、しばらくしてこのレコードは発売中止になってしまった。

発売が中止されてから、私はいろいろと探し回ったが、なかなか見つからず、もうあきらめていた。日本で発売された時のポールひとりが厳しい表情で何かを見つめているモノクロのジャケットとは違って、ポールが恋人のキャシーと河のほとりで向き合っているロマンティックなものだ。こちらがオリジナル・ジャケットらしい。

そのキャシーを歌った、「キャシーの歌」(Kathy's Song)は、私が最も好きな曲である。私たちの高校の卒業式の前後、浪人確定組が一つの教室でたむろをしていたとき、ギター・マンドリン・クラブだったM君が、静かにギター演奏していたのがこの曲だった。美しい曲だと思った。

シンプルだが美しいイントロのあと、
"I hear the drizzle of the rain. Like a memory it falls. Soft and warm continuing, Tapping on my roof and walls"
で始まるこの曲のギターを、私は何回練習したことだろう。そして曲中の、
"They lie with you when you're asleep. And kiss you when you start your day."
"I stand alone without beliefs. The only truth I know is you."
"I know that I am like the rain. There but for the grace of you go I."

などの歌詞を、何度口ずさんだことだろう。今でも歌詞を思い浮かべると、鼻の奥あたりが少し痛む感じがする。

この曲は一般的にはあまり知られていないが、サイモンとガーファンクルにひとときでも「はまった」人には、とても印象深い曲である。上記8枚のアルバムのうち、3回収められていて、それぞれが違うバージョンであることも、私などにはとてもうれしい(ただし、この曲はすべてポール・サイモンひとりの弾き語りであるため、サイモンとガーファンクルの曲と言えるかどうかは微妙だけれども)。

彼らは今まで2回、来日公演をしたが、ミーハーな私は2度とも聴きに行った。最初は1982年の5月に後楽園球場で、2度目は1993年の12月に東京ドームでのライブだった。

最初は、有名な1981年の再結成セントラル・パークでのコンサート後の、ワールド・ツアーの一環での来日だった。私は生まれて初めて、生のサイモンとガーファンクルが聴けるということで、かなり舞い上がって後楽園球場の3塁側席に座った。

けれども、プログラム通りの、あまりにシステマティックな進行と、ホーンを多用したバッキング、そして、「キャシーの歌」を披露してくれないことに、少しがっかりする思いだった。ただ、アート・ガーファンクルの透き通った声はとても印象的だった。

2回目の東京ドームでは、ついに生の「キャシーの歌」を聴くことができた。イントロが聞こえてくると、大げさではなく鳥肌が立った。淡々と歌うポール・サイモンの頭髪はかなり薄くなっており、表情も老いを感じさせるものがあった。

目を閉じて曲を聴いている間、懐かしさと言うよりも、いろいろなことを越えて、ともに年齢を重ねてきたのだなあという連帯感のようなものが、私の中に静かに浮かんできたのだった。

 

 

第117回:銭湯エレジー