第332回:流行り歌に寄せて No.137 「星影のワルツ」~昭和41年(1966年)
まだ私が20歳代の半ばくらいのことである。10年近く続いていた遠距離恋愛を、決して「永すぎた春」としたくない、一緒になりたいという思いはとても強かったが、もしかしたら、ここらへんが限界ではないかという冷たい予感がよぎり始めていた頃。地方都市にある彼女の家から、隣の県の大きな湖までドライブをしての帰り道。あまり人影のないところで車を停めていた。私は今もって自動車運転免許というものを持ち合わせていないので、彼女の車に乗せてもらっていたのである。
私が東京に帰る時刻も迫ってきていたので、何かを切り出さなければという思いは募っていたが、言葉が口をついて出てこない。その時、流していたカーラジオから『星影のワルツ』が聴こえてきた。私は瞬時にラジオのスイッチを切ろうと腕を動かそうとしたが、あまりにもそれは直接的で拙い行動のように思えて、ためらってしまった。
外からはほぼ音が聞こえてこない車内で、その三拍子の曲は進んでいった。言葉を発したのは私ではなく、彼女の方だった。「やっぱり、いい曲だわね。今までそんな風に感じたことはなかったけど」小さな溜息とともにそう言って、笑顔でこちらを見た。
「星影のワルツ」 白鳥園枝:作詞 遠藤実:作曲 只野通泰・編曲 千昌夫:歌
1.
別れることは つらいけど
仕方がないんだ 君のため
別れに 星影のワルツをうたおう
冷たい心じゃ ないんだよ
冷たい心じゃ ないんだよ
今でも好きだ 死ぬほどに
2.
一緒になれる 幸せを
二人で夢見た ほほえんだ
別れに 星影のワルツをうたおう
あんなに愛した 仲なのに
あんなに愛した 仲なのに
涙がにじむ 夜の窓
3.
さよならなんて どうしても
いえないだろうな 泣くだろうな
別れに 星影のワルツをうたおう
遠くで祈ろう 幸せを
遠くで祈ろう 幸せを
今夜も星が 降るようだ
作詞家の白鳥園枝が、まだ無名時代、昭和40年7月発行の歌謡同人誌『こけし人形』に掲載された彼女の『つらいなあ』という詞がこの曲の原型であるようである。その同人誌に目を通していた作曲家の遠藤実がこの詞を気に入り、メロディーを乗せた。「別れに星影のワルツを歌おう」の部分は、遠藤による補作であると聞く。
白鳥園枝は、この曲のヒットの後、遠藤の他に市川昭介らと組んで多くの曲を作り上げていく。もともとは詩人であり、元日本詩人連盟会長を務めた民衆派詩人、白鳥省吾の二女であった。
編曲を手がけた只野通泰(ただのみちやす)は、現代の歌謡曲の編曲スタイルを確立した中の一人とされている人である。シベリヤ抑留時代に吉田正作曲の『異国の丘』をアコーディオン伴奏し仲間に歌わせて、皆を元気付けていたという。それが内地でも報道され、吉田の耳にも入っていたようだ。
復員後、中学の音楽の教師として身を立てている傍ら、前述の縁で吉田とも出会い、編曲の仕事にも携わってゆく。吉田の作品を編曲したものには『潮来笠』『いつでも夢を』などの橋幸夫の歌がある。
遠藤と組んだ作品には、今回の曲以外には千昌夫では『アケミという名で十八で』、小林旭の『ついてくるかい』『純子』、渥美二郎の『夢追い酒』、森昌子の『せんせい』『同級生』『中学三年生』などがある。ある種、牧歌を感じさせる懐かしい音の編み方で、歌に自然と誘(いざな)われるような親しみやすさを持っている、と私は感じている。
多くのヒット曲がそうであるように、この『星影のワルツ』も発売当初はB面曲だった。A面は遠藤実作詞作曲の『君ひとり』。『星影のワルツ』の方が有線放送などで徐々に知れ渡りヒットしそうになった時、逆転しているようだ。はじめは、無名の作詞家が書き、そっとB面に置かれた曲が、その後の千昌夫の生涯を大きく変えるような大ヒットになるのだから、歌謡曲の世界はスリリングである。
ところで、この曲を最初に聴いてからずっと、これは男女が二人でいる時の情景を歌ったものだと思い込んでいた。しかしよく詞の内容を見てみると、これは男性の方がひとりで、これから別れを告白しなければと決意している夜の思いを歌ったものであることに気づいた。喪失予感と言ったらよいのだろうか、それを感じている最も辛い時間帯の歌だと言えそうである。
-…つづく
第333回:流行り歌に寄せて No.138 「ほんきかしら」~昭和41年(1966年)
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