第264回:流行り歌に寄せて No.74 「東京ドドンパ娘」~昭和36年(1961年)
「ドドンパ」とは、都々逸とルンバを足した和製造語だと言われている。あの独特の「ゥン チャ チャララ ラッチャ」(私にはそう聞こえるが)の、四拍子の2拍目にアクセントを置いて、3、4拍目は三連符とした。リズムは、聴いていてとても心地が良いと思う。反面、歌うときには、そのリズムをとるのが難しい気がする。
後に出てくる、松尾和子・和田弘とマヒナスターズの『お座敷小唄』や、北原謙二の『若い二人』もドドンパ・スタイルの代表曲である。
前回登場のアイ・ジョージが、ドドンパという言葉を考えついたとも言われているが、ドドンパという概念を世間に広く知らしめたのは、パンチの効いた歌声の渡辺マリが歌ったこの歌が最初だろう。
彼女は昭和35年、17歳の時にのど自慢に出ているときにスカウトされ、レコード歌手になっている。翌昭和36年に出されたこの『東京ドドンパ娘』は、セールス15万枚を越える大ヒットになり、彼女への周囲の期待も高まった。
大人気にあやかり、彼女は同名のタイトル映画を含め、昭和36年だけで5本の映画に出演している。しかし、その後はドドンパや、それとは曲調を変えたレコードをいくつかリリースしたが、ヒット曲に恵まれず、映画の方も翌年からはまったく声がかからず、そのうちに引退していった。芸能界の浮き沈みの激しさを物語る、無数にあるストーリーの中の一つだろう。
「東京ドドンパ娘」 宮川哲夫:作詞 鈴木庸一:作曲 渡辺マリ:歌
1.
好きになったら はなれられない
それは はじめてのひと
ふるえちゃうけど やっぱり待っている
それは始めてのキッス 甘いキッス
夜をこがして胸をこがして
はじけるリズム ドドンパ ドドンパ
ドドンパがあたしの胸に
消すに消せない火をつけた
2.
好きになったら 忘れられない
それは はじめてのひと
一度燃えたら 消すに消せない
まるでジャングルの火事 恋のほのお
好きよ好きなの とてもしあわせ
燃えちゃいたいの ドドンパ
ドドンパ ドドンパが あたしの胸に
消すに消せない火をつけた
作詞家の宮川哲夫については、鶴田浩二、フランク永井らの曲に詞をつけた人で、このコラム『街のサンドイッチマン』『ガード下の靴磨き』などでご紹介したことがある。
作曲家の鈴木庸一は、法政大学在学中からスマイリー小原とスカイライナーズのピアニストとしてステージに登場していたミュージシャンであり、その後独立して自らの楽団を持ち、またビクターレコードの専属作曲家となった。
彼の作品は、この曲の他には青江三奈の『伊勢佐木町ブルース』が多くの人々の心に強い印象を残している。また、あの失神女優、応蘭芳(私たちの時代では実写版『マグマ大使』のモル役としての方が有名かも知れない)の『火遊びのブルース』『渚の歓喜(エクスタシー)』などの、いわゆるお色気ソングも手掛けた人だった。
さて、私の店に時々顔を見せてくださる40歳代前半の女性のお客さんで、大阪にお住まいの方がいらっしゃる。彼女は日本舞踊を教えていて、東京にも教室を持っており、いつも東京、大阪間を忙しく往復されている。
上方芸能などにも造詣が深く、着付けの先生でもある彼女は、常に和服をはんなりと着こなしている、清楚な色気を身につけた素敵な女性である。その彼女とカラオケをご一緒すると必ず歌ってくださるのが『東京ドドンパ娘』なのである。
「せっかく東京へお邪魔しているんやし、東京の歌を…」と言われてから歌い始めるのが常で、これがめっぽうお上手なのである。私は、彼女の歌を聴いてから、この歌を再認識したと言ってもよい。
私はどちらかと言えば、私が二十歳の頃聴いた、桜たまこの『東京娘』が最初に出会ったドドンパだと言える。昭和51年、当時15歳の桜は、渡辺マリの如くパンチの効いた声でこの歌を歌っていた。
『東京娘』が『東京ドドンパ娘』のリメイク版というか、続編であることはその頃聞いたが、当時はよく15年も前の昔の曲を引き継ぐものだと思っていた。しかし、考えてみればその年からも40年近くが経過し、今ではもう、一体どのくらい前からが昔なのか分からなくなってしまっている。
ドドンパについての、ちょっと変わったエピソードを一つ。王貞治氏が、将来の夫人となる恭子さんに、彼女が巨人軍の多摩川グラウンドに遊びに来ていたときに、最初にかけた言葉が、「ドドンパはお好きですか?」であったという。
-…つづく
第265回:流行り歌に寄せて
No.75 「おひまなら来てね」~昭和36年(1961年)
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