サラセンとキリスト教徒軍騎士たちが入り乱れ
絶世の美女、麗しのアンジェリーカを巡って繰り広げる
イタリアルネサンス文学を代表する大冒険ロマンを
ギュスターヴ・ドレの絵と共に楽しむ
谷口 江里也 文
ルドヴィコ・アリオスト 原作
ギュスターヴ・ドレ 絵
第 2 歌 騎士たちの大冒険
第 3 話: 天馬を操る騎士
さて、前回は、何やら覇気のないうら若き騎士の話にうんざりしながらも、話の中に、ルッジェロという名前が出てきたので、たちまち目が輝いたところまでお話ししたのでした。そこでブラダマンテが話の続きをと急かすと、続けてうら若き騎士がこう言った。
二人の騎士は、城を正面に臨む崖の上に立つと、鋭い目で城を睨みつけ、やがて無敵の豪傑グラダッソが角笛を取り出すと、天馬の騎士に挑戦状を叩きつけるかのように、あたり一帯に鳴り響くよう角笛を吹き鳴らしました。
すると、たちまち槍を手にした天馬の騎士が現れ、二人めがけて急降下。剣をかざして待ち構えるルッジェロ、機を見て飛び上がって剣で翼を断とうとするグラダッソ。

奇怪な騎士の槍がルッジェロの胸を貫くのが早いか、グラダッソの剣が槍もろとも翼を切り落とすのが早いか、と思いきや、天馬の騎士は、ルッジェロとグラダッソの剣をひらりとかわし、大きな羽音を立てて空に舞い上がった。その翼が巻き起こした凄まじい風に、千里を駆けてなお有り余る力を持つグラダッソの駿馬がどうと倒れた。
天馬は再び空高くへと舞い上がり、そして急降下を繰り返す。槍を払う剣の音が岩の谷間にこだまし、あるいは剣と槍とが音を立てて空を切り、互いに相手に傷を負わせる事ができないままに時が過ぎました。
勝負はどうやら引き分けかと見えたその時、天馬の騎士が鞍上から、絹の布に包まれた盾を取り出しました。そして盾から布を外したその瞬間、その盾の面《おもて》が真夏の太陽よりも強く凄まじい光を放ったのです。その眩しさに目を射られ、二人の騎士は同時に馬から転げ落ち岩の大地に横たわってしまいました。どうやらその盾は、ひとたびその閃光を浴びれば誰もがたちまち気を失って倒れるという、噂に聞いた魔法の盾。直接光を受けたわけではないけれど、岩に反射した光が目に入っただけで、私もたちまち失神し、気が付いた時には二人の騎士の姿も従者の姿もありませんでした。
おそらくは私の想い姫と同じようにあの騎士たちも、囚われの身となったに違いありません。
ルッジェロの名前を聞いて、いったんは輝いたブラダマンテの目がたちまちかき曇った。しかしそこは類稀な女傑、かくなる上は私がルッジェロを救い出すと一瞬にして心を決めた。しかし普通なら、豪傑二人を負かした魔法の盾を持つ天馬の騎士がいる城に向かうというのは無謀の極み。ましてや、いくら剛勇リナルドの妹とはいっても鎧の中は女性の体。しかし美貌の騎士アグラマンテの心を操るのは愛の女神のみ。それが前後の見境さえなくしてしまう愛というもの不思議な力か、はやる心でブラダマンテは、うら若き騎士にルッジェロと天馬の騎士とが戦った場所への案内を請うた。

そうして城を見晴らす場所に向かった二人だったが、うら若き騎士はマガンツェゼ家のアンセルモの息子リナベル。マガンツェゼ家は陰謀や裏切りなどの数々の悪行で知られた一家で、実はリナルドやブラダマンテの一家が唾棄すべき存在として最も嫌悪する一家。ブラダマンテは息子のリナベルのことは知らなかったが、馬を進ませながら話をするうちにリナベルの方が、この騎士が高名な剛勇リナルドの一族だということを察してしまった。
どこまでも弱気なリナベルは、もし自分がマガンツェゼ家の人間だという事がわかってしまった途端、すぐに成敗されてしまうのではないかと思い、隙を見てこの騎士をなんとかしようと、陰謀一家ならではの企みを胸に秘めた。
その算段というのは、そこらじゅうが切り立った崖だらけのこの山の中の、とりわけ木々が生い茂って足元がよく見えないあたりに誘い込んで、道に迷わせ、足を踏み外した騎士を崖から落とそうというものだった。
そんなこととはつゆ知らず、ブラダマンテはリナベルの後をついていった。案の定、ブラダマンテが深い森の中に入り込んだところで、リナベルはさっと姿をくらました。
そして別の道を進むうち、たまたま岩肌の裂け目の奥にポッカリと穴が空き、そこから深い井戸のように洞が下へと落ち込んでいる場所を見つけた。さてそこで、女傑が谷に落ちるのを見学しようと思ったリナベルだったが、後ろを振り返れば、撒《ま》いたはずのブラダマンテが愛の力に支えられ、なんと迷わずしっかり後に付いてきていた。最初の企みが不首尾に終わったと見たリナベルは、すぐに第二の謀《はかりごと》を巡らせた。
リナベルはブラダマンテに、あろうことかこんなことを言った。ついさっき何者かが一人の乙女を連れてこの穴の中に降りて行ったのを見ました。助けてという、か弱い乙女の声も聞こえましたが、それも穴の底の闇の中に何者かの姿とともに消えました。もしかしたらこの穴はあの城に続いているのかもしれません。

それを聞いたブラダマンテ、一刻も早くルッジェロのもとに駆けつけたい気持ちと、さらわれた乙女を助けねばという優しくも騎士らしい想いが重なって、向かうべきは穴の底と決意した。見れば長い蔦がそばにあり、それをスパッっと剣で切って穴に垂らし、リナベルに蔦の根元をしっかり持っていてくれと言うが早いか、ブラダマンテは蔦を伝って下へと降りた。それを見たリナベル、しめたとばかりにニタリとし、この深い穴の底に落ちてしまえと、蔦の根元を切り離すべく抜いた剣を振り上げた。それこそが邪悪なリナベルの第二の悪巧み。
さあ絶体絶命の美貌の乙女騎士ブラダマンテの運命やいかに、この続きは、第3歌にて。
-…つづく