■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から


Grace Joy
(グレース・ジョイ)



中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。




第1回~第50回まで

第51回:スポーツ・イベントの宣伝効果
第52回:国家の品格 その1
第53回:国家の品格 その2
第54回:国家の品格 その3
第55回:国家の品格 その4
第56回:人はいかに死ぬのか
第57回:人はいかに死ぬのか~その2
第58回:ガンをつける
第59回:死んでいく言語
第60回:アメリカの貧富の差
第61回:アメリカの母の日
第62回:アメリカの卒業式
第63回:ミャンマーと日本は同類項?
第64回:ミャンマーと民主主義の輸入


■更新予定日:毎週木曜日

第65回:日本赤毛布旅行

更新日2008/06/19


またまた日本語を学ぶ生徒さんを連れて日本へ行ってきました。

たった2週間の駆け足旅行ですから、日本語を磨くとか、生きた日本語を現地の日本人から学ぶようなことはできませんが、旅行に出かける前に少しは実用的な日本語を習得するモーティベーションになっているようですし、たとえ短い期間の観光旅行でも、実際の日本を覗くことができるのではないかと期待して日本への修学旅行を行っています。連れて行く私の方はといえば、とても疲れる大変な仕事なのですが。

今回はお決まりの京都、奈良、箱根、東京に、広島で原爆ドームと記念館を加えました。原爆と戦争の恐ろしさを少しでも若いアメリカ人に知ってもらおうというわです。ところがこれが大変な観光になってしまいました。ゴールデンウィーク明けの日本は、まさに修学旅行ラッシュで、どこへ行っても"超"の付く満員状態で、制服を着た中学生、高校生で埋まっていたのです。私と同じ魂胆なのでしょうか、先生たちも是非自分の生徒さんに原爆ドームと記念館を見せたい一心で広島をコースに入れているのでしょう。東京、大阪にラッシュアワーの地下鉄並みの混みようだったのです。

日本の中高校生より肩から上がにょっきり突き出た私の生徒さんたちがもまれるようにヨチヨチ歩きで(とても大股では歩けませんので)押されるように進んでいく様子はなかなかユーモラスな光景でした。もちろん、記念館でゆっくりパネルを見ることなど不可能な相談で、ただ押し流されるように通り過ぎただけです。なにせ少しでも立ち止まろうとすると、後ろから来る人間の圧力に抵抗しなければならず、監視係の恐ろしいおじさんが、「これこれ、そこの外人、早く進んで」と叱るのです。

私の生徒さんたちが少し日本語が話せると分かった日本の修学旅行の学生たちは、所かまわずアメリカのノッポたちを囲み会話しようとしたり、サインの交換、ハテマタ一緒に記念撮影などを始めたので、ますます原爆ドームや記念館を見るどころではなくなってしまいました。大きな人の輪の渋滞をあちらこちらに作るものですから、監視係のおじさんますますカッカきて、悪の根源はこの外人、鬼畜英米に違いないとばかり、声を荒げるのでした。

でも監視係のおじさん、私たちははるばるアメリカの田舎町から広島の悲劇を見に(見せに)来たのです。たとえ私たちが原爆を落とした張本人だとしても、あまりガミガミ言わずに、もう少し丁寧に、「そこの外人さん、立ち止まらずにお進みください。できるだけ多くの人に見ていただきたいと思っておりますので…」と、平和的な物言いをしてもバチはあたらないと思うのですが…。第一、」施設は『広島原爆平和記念館』というのですから、なにぶんにも平和的にお願いします。

こんなに大勢の人にもまれたことがない田舎者の私の生徒さんは、原爆のインパクトよりも、人ごみの印象が強すぎて、バスに戻るとグッタリと疲れきってしまいました。それでも、生涯こんなにたくさん写真を撮られ、サインをしたことはないと、まんざらでもなさそうでした。どう見てもアメリカでは全くもてそうもないジョン(演劇専攻)は、「日本に住もうかな」とポツリと言ったほどでした。

かくして、わたしの意図とはかけ離れ、私の生徒さんたちは"広島"といえば、制服を着た大勢の修学旅行生にもまれ、囲まれ、一緒に写真を撮り、サインを交換したトコロとしての印象が焼き付いてしまったのです。

 

 

第66回:日本赤毛布旅行 その2