第216回:エチケットとマナー
アメリカを初めて仕事や留学、観光旅行で訪れる日本人が、気を使わなくてはならないアメリカ独自のマナー、エチケットはそう沢山ありません。
もともと、アメリカにはマナーやエチケットなどは存在しないと言う人もいるくらいですし、アメリカ映画やテレビで日本人の間にすでにアメリカ的なものが深く浸透しているようなので、日本でやってきたのと同じように振舞っても、まず問題ないでしょう。
強いて言えば、会食やパーティーのとき、もくもくと食べることだけに専念せず、多くの人と軽い会話をすることかしら。これは案外難しく、専門外の差し障りのない、一般的な軽い話をするのは、才能に恵まれ、かなり場数を踏んでいなければできないことなのです。これは英語圏の人同士でも、なかなか難しいことです。
いきなり真珠湾攻撃の話や広島、長崎の原爆の話、ショーバイの話を持ち出さなければ、それでいいでしょう。その意味で、アメリカはハリウッドが常に話題を提供してくれていますから、若い時のエリザベス・ティラーの美しさとか、ジョン・ウエインの逞しさを持ち出せば、まず間違いなく相手もそれなりの見識を披露してくれます。
インドで決して左手で握手をしたり、子供の頭をなでたりしてはいけないことは広く知られています。ナイフ、フォーク、スプーンを使わずに右手でチャパティなどを丸めて上手に何でも食べますが、左手はトイレで使うためにリザーブしてあるからです。
日本三大スグレモノの一つ「シャワートイレ」の原型がインドにあり、空き缶やブリキのカップに水を満たし、それでアソコを洗うのです。そのとき使うのが左手ですから、右と左の使い分けがはっきりしているのです。右翼、左翼という呼び方はインドの手の使い方から来てはいないでしょうけど…。
日本食は全世界に拡がり、誰にでも馴染みの多い食べ物になりました。一昔前ですと、日本に行ったことのある人、住んだことのある人は圧倒的に軍関係者が多かったのですが、最近、観光や仕事で日本を訪れる人が急激に増え、私のダンナさんが日本人だと知ると、とたんに彼らの持っている日本の知識を総動員して、退屈な日本印象記を聞かされることになります。
2、3週間前になりますが、そんな"日本半可通"の人の家に呼ばれたところ、プラスティックのお椀にご飯を丸くぽっこりと盛り、お箸を2本そのテッペンから突き刺して出してきました。日本人ならマナー以前のことでも、生活習慣に根ざしたタブーは意外と分からないものですね…。
プエルトリコに住んでいた時、私を「ドクトーラ(博士)」、「プロフェソーラ(教授)」を苗字の頭に付けて呼ばれるのに閉口しました。一般にスペイン語圏ではタイトルを大切にし、弁護士、大学の先生、社長、お医者さん、裁判官、警察官を名前よりタイトル、肩書きで呼ぶ傾向があります。
警察署長なら、どんな田舎の駐在さんでも「セニョール・コミサリオ」となりますし、弁護士は「リセンシヤード(女性ならリセンシヤーダ)」と呼びます。公認のライセンスを持っているという意味で、かなり奇妙に聞こえます。これがアメリカなら会って5分も経つと、20歳年上の弁護士でも、「ヘイ、ジョン」とか「メリー」とか呼び捨てにしてしまうところです。
私の甥っ子がエクアドールに1年留学し、驚くほどスペイン語が達者になって帰って来ました。若いときに現地に行くことがいかに語学を学ぶのに有効な手段であるか実証しました。たくさん持ち帰った写真の中に、キトインディアンの90歳くらいの巫女さんが伝統的な民族衣装を着て映っていました。
その写真を観て、うちの仙人が、突然苦々しく「アホなヤンキーどもが!」と怒り出したのです。私の甥っ子が短パン・ティーシャツ姿で老齢の巫女さんと一緒に、しかも彼女の肩に腕を回して記念撮影をしてるのです。
ダンナさんに言われてみればなるほど、ローマ法王に短パン、ノーブラ、ティーシャツで肩を組んで写真を撮るインディオはいないでしょうし、日本のお坊さんに抱きつき、Vサインで写真に納まる女学生もいませんね(案外お坊さん、喜ぶかもしれませんが)。
そんなことは、他の文化を尊敬する気持ちがあるのなら気づくはずだし、チョット観察をすれば分かることだと言うのです。それ以前に、彼らは観光旅行ではなく、1年も留学するのなら、その土地のことを前もって勉強しておくのが礼儀と言うものだ……と厳しいのです。
さしたる歴史もなく、エチケット、マナーが自由勝手なアメリカ人が、古い伝統のある国で、一見意味のない習慣を知り、そのモラルに従うのは、一番苦手なことかもしれません。
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