第217回:同化と学ぶ姿勢の問題
先日、キャンパスでずいぶん早足で、しかも背筋をまっすぐにして歩いている爺さんがいるな~と思っていたら、なんと私のダンナさん、仙人でした。
彼の制服、ヨレヨレのジーパンに運動靴、野球帽(これはハゲを隠す効力がある)姿なのですが、真っ白なヒゲ面は立派な老人です。ところが、姿勢の良さと歩くスピードが若い20歳前後の学生さんたちと全く違うのです。2倍とまでは言いませんが、そんなに急いでどこに行くのと訊きたくなるほどの速さなのです。彼の早歩きは、全く日本人の通勤、通学のままです。
外国に長い期間住むと、どうしてもその国の人々に同化してしまいます。数年前、日本で1年間過ごした時、ダンナさんは国籍不明の奇妙な外人として日本人の目に映っていたようで、彼の日本人としてのアイデンティティーが消えかかっていました。そうかといって、その分彼がアメリカ人になっている訳でもないのですが…。
どうも、人は何かを失うことなしに得ることができない運命にあるのでしょうか。
スペインに長く住む私たちの友人は、電話で話すと、それを受けたスペイン人が外国人だとは全く信じないほど、流暢に、完璧にスペイン語を話します。彼が電話で話す時のジェスチャー、仕草、表情(彼は典型的なモンゴロイド、日本人的な顔ですが)までが、それはもう全くスペイン人なのです。
これは彼が立派にスペインに同化した証と言ってよいでしょうか。でも、彼が日本語を話す時、古式豊かとまで言いませんが、礼節ある立派な日本語会話をするのです。そのあたり、ウチのダンナよりはるかに自分のアイデンティティーをなくすことなく、多言語生活をしているように見受けられます。
私の専門は言語学(言葉の科学のようなもの)ですが、生徒さんに押し切られる形で初歩の日本語も教えています。今、美しい日本語を話す日本人女性Fさんと、試験の採点や初めてひらがな、カタカナを学んでいる生徒さんを助けるために、もう日本語を学んで3年目になる一人のアメリカ人女学生Dさんにアシスタントとして働いてもらっています。
このDさんの立ち振る舞い、挨拶の仕方、丁寧語、敬語の使い方は、私の方がテレるくらい日本的なのです。逆に、現代の日本の若者でもこんなにヘリクダッタモノイイはしないのではないかと思うくらい、頭を下げ、丁寧語で話すのです。言葉を学ぶということは、その言葉が持つ文化全体を体験することですから、Dさんの日本語に対する姿勢はとても正しいと思います。
毎年、日本から短期留学のような形で私の大学に20~30人の若い日本人学生がやってきます。一緒に英語の授業に参加したり、ほんのお遊びですが、私の日本語の授業にも来て、日本語ネイティブスピーカーの生きた自然な日本語会話をするチャンスを私の生徒さんに与えてくれます。その時、私の日本語クラスで一番優秀なMさんよりも、Dさんの方が日本人の学生と上手に会話をしていることに気が付きました。
Mさんは言葉の天才と呼んでもいいくらい記憶力もよく、発音を真似るのも上手で、反応も打てば響くように早い生徒さんなのですが、どちらかと言えば、のんびりゆっくり型で、とても数ヵ国語を操る通訳にはなれそうもないDさんの方が、日本人と上手にコミュニケーションできているようなのです。
言葉は文化と密着していますから、Dさんのように日本語を言葉としてだけでなく、日本文化の一部として捉える姿勢で学ぶのが、チョット遠回りのようでも一番身に付くのかもしれませんね。
偶然、Dさんがボーイフレンドとテレビゲームで遊んでいるところを見ました。Dさんは100%ヤンキー娘ぶりを発揮していたのを見て、なんとなく安心し、理由が分からないまま、それでいいのだと納得しました。
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