第521回:枯山水~高原台地の死活問題
散々遊びまくって、我が山の家に帰ってきたところ、井戸水が出てこなくなっていたのです。枯山水が美しく、愛でられるのは、日本の芳醇に湿った環境があればこそで、この乾燥しきったコロラドの土地は元々岩と石ころだらけですから、緑が尊ばれるけど、枯れた岩場は忌み嫌われるのです。
この乾燥した標高2,000メートルの台地でまだ井戸を掘れば水が出ること自体が奇跡に近いとは思っているのですが、いざ我が井戸から水が出てこないとなると大問題で、さてはて、異常気象で地下水が枯れてしまったのか、水位が下がったのか、私たちが使っている西部開拓時代から変わらない十数メートルのタワー上に風車が乗っているスタイルのポンプが壊れただけなのか、何分にも地下40-50メートルのことなので分からないのです。
風車スタイルのポンプは、汲み上げる地下水があるところまでパイプの先にポンプを取り付け、そのポンプをパイプの中に通し、井戸の深さと同じ長さの鉄の棒を風力で上下に動かし、水を下から押し上げるという、まことに浮世離れした悠長な方式で、鉄のシャフトが上がり下がりするたびに、ヨイコラショ、ガッチャンとこれまた鄙びた音を響かせながら、それでいながら、出てくる水の量はチョロチョロで、ダンナさんが量ったところ、1分間にせいぜい1リットル程度なのです。そんな量でも、1日7、8時間、ギイ、ガチョンとやれば結構な量になります。その水を私たちは貯水槽(システルン)に溜め、そこから電動ポンプで圧力をかけ、小屋の台所、お風呂などに配水しています。
この高原台地で水の有る無しは死活問題で、枯れた井戸しかない土地は二束三文に価値が下がってしまいます。たとえ少しづつでも良い水の出る井戸があればこそ、ここで暮らせるのですが、私の脳裏にこの山小屋を捨て去ることになるのかな~~というイメージがチラツキ始めました。
何事も実証的に物事を考え、一つひとつチェックしていくタイプのうちダンナさん、40、50メートルの地下にぶら下がっているポンプを引き上げることから始めたのです。長い鉄の棒は個々20フィート(7メートルほど)の長さがあり、それをジョイントで繋ぎ、50メートルの長さにしているのですが、そのジョイントをねじって切り離す時に、いかにポンプがぶら下がっている重い方の鉄の棒を落してしまわないように確保するかが問題で、最悪の事態は途中まで引き上げた鉄棒付のポンプを井戸の中に落してしまうことです。
ダンナさん、この台地に根が生えるほど長く棲んでいる近所の人たちに電話し、お知恵を拝借しようとしたところ、皆が皆、井戸の苦い経験があり、その傾向と対策をシカと知っていたのです。そして、「いつポンプ、パイプを引き上げるのだ、俺がいってやるよ」と助っ人集団が様々な道具を持って、馬鹿デカいピックアップトラックで駆け付けてくれたのです。
ところが、一人の例外を除いて、皆ウチのダンナさんと同年齢のお爺さんで、一人は筋肉ジストロフィーで歩くのがやっと、もう一人は上半身こそシュワルツネッガー並みだけど、腰を痛めていて、杖を突いている状態で、もう一人は朝から十分にキコシメシテいるとみえ、相当酒臭い息をプンプンと漂わせているのです。彼ら曰く、「40、50メートルのポンプを引き上げるなんて簡単なことだ、俺のところは100メール、義理の息子のところは200メートル近いはずだ、地球の向こう側に筒抜けそうだった…」と賑やかなことになってきたのです。
ただ一人、井戸、ポンプには経験がないけど、自動車の技師だったケンとうちのダンナさんが老人グループのご指導ヨロシキを得て、手足になって動き、風車タワーの上に取り付けた滑車にチェーンを回し、その端をトラックで引っ張り、重いポンプと鉄パイプを引き上げたのです。
それから、ロープの先にオモリをつけ、ソロソロ、ユルユルと井戸に落とし、巻き上げたところ、ありました、ありました、水がチャンとある証拠に、先端の4、5メートルはシカと濡れていました。それから1日かけて潜水型の電動ポンプを設置しました。
はじめは濁った水が、それから冷たい透明の水がホースの先から吹き出てきた時には思わず、ヤッタとばかり、ダンナさんと右手をパチンと合わせ、ハイタッチをしたことです。
ところが、ところがなのです。勢いのよい電動ポンプは1分間に20リットル以上の水をくみ上げ、5分も経たずにすぐに井戸が空になってしまったのです。50メートルの地下で静かに、少しずつ染み出てきて、井戸を満たす水は限りがあり、とても電動ポンプでガガッと汲み上げる量ではなかったようなのです。古式豊かな西部劇風車スタイルでガッチョン、ガッチョンと少しずつ汲み上げ、それに見合ったスピードで地下水が井戸に溜まっていたようなのです。
今のところ、2分間電動ポンプを回し、30分ほど休み、また2分と…なんだか偉く忙しい保水作業で間に合わせています。風車はただの飾りになってしまいました。昔のやり方の方が自然に似合っていたのでしょうね。あのポンプのガッチャン、グーイ、ガッチャン、チョロチョロの音すら懐かしく思えてきました。
ダンナさんは、「オメー、井戸が枯れていなかっただけでも最高のプレゼントだし、ともかくこうして良い水が出るだけでも幸運だぞ、それに水のありがたさを知り、貴重な水を大切に使う生活をする良い教訓だったべ」と、まるで自然主義が乗移ってきたようなこと言っています。「サーテト、これからどうやって電動ポンプをコントロールするかを考えるとするか」と、ハゲ頭に冷たい水で濡らした日本手ぬぐいを巻いたスタイルで、次の段階の解決策を試行錯誤しています。
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