■拳銃稼業~西海岸修行編

中井クニヒコ
(なかい・くにひこ)


1966年大阪府生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊中部方面隊第三師団入隊、レインジャー隊員陸士長で'90年除隊、その後米国に渡る。在米12年、射撃・銃器インストラクター。米国法人(株)デザート・シューティング・ツアー代表取締役。



第1回:日本脱出…南無八幡大菩薩
第2回:夢を紡ぎ出すマシーン
第3回:ストリート・ファイトの一夜
第4回:さらば、ロサンジェルス!その1
第5回:さらば、ロサンジェルス!その2
第6回:オーシャン・ハイウエイ
第7回:ビーチ・バレー三国同盟
第8回:沙漠の星空の下で
第9回: マシン・トラブル
第10回: アリゾナの夕焼け
第11回: 墓標の町にて
第12回:真昼の決闘!?
第13回:さらばアリゾナ
第14回:キャラバン・ターミナル
第15回:コンボイ・スピリット その1
第16回:コンボイ・スピリット その2
第17回:砂漠の不夜城
第18回:ギャンブルへのプロローグ
第19回:ラス・ベガス症候群
第20回:ギャンブラーとして
第21回:自由の中の葛藤
第22回:アメリカン・ドリーム
第23回:長距離バス
第24回:霧の街サンフランシスコ その1
第25回:霧の街サンフランシスコ その2
第26回:運命の実弾射撃ツアー
第27回:パシフィック銃砲店
第28回:ラスト・チャンス
第29回:3日で米国人になる方法 その1

■更新予定日:毎週木曜日

第30回:3日で米国人になる方法 その2   

更新日2002/10/03


翌朝、午前8時に再度DMV(デパートメント・オブ・モータービークル)へ行き、運転免許証の学科テストに再チャレンジした。昨晩はあまりに悔しくて、かなり勉強したので、今回は多少自信があった。 

テストといっても、教室があるわけでなく、立ったまま机でテスト用紙にペンを持って向かうのである。時間制限はないので、終わるとドーナツを食べながら仕事している職員にテスト用紙を渡し、採点してもらうのだ。

緊張の一瞬である。しかも、彼はすでに「Fail(不合格)」のスタンプを握りしめて採点をしている。が、採点を終わる時に、「Pass(合格)」のスタンプに持ち替えて、またまた豪快に、私のテスト用紙に押してくれた。1問の差でギリギリセーフだったのだ。

すぐに仮免許書が発行され、明日の朝は車の実技試験だ。米国の場合、学科試験に合格すると、あとは自分で車を運転してDMVまで行って、そこで教官を乗せて実技試験を受けるという、日本では考えられない制度である。みんなどこで練習しているのだろう?

その昼から、今度はダウンタウンにある日本領事館へ向かった。理由がどうであれ3ヶ月以上アメリカに居残る場合は、領事館に「在留届」を出して、住所を登録しておく必要があるのだ。これは強制ではないのだが、事故や災害などの緊急時に在留邦人を支援するためのものだということなので、転ばぬ先の杖的に登録しておいた方が無難らしい。

久し振りの日本の役所は、申請時の対応や業務のスピードも早く、極めて米国の役所とは対象的であった。そんな領事館に感動しつつ、夕方も近くなってきたので、銀行口座を開きにバンク・オブ・アメリカ(通称、BofA)へと向かった。

米国に住む上で次に必要になるのは、銀行口座とパーソナル・チェック(個人用小切手)である。チェックは、カードの支払いや光熱費、電話、家賃などを支払う時に必ず使用される。また街中での買い物にも、チェックに金額とサインを入れ、IDを見せれば問題なく使用できる。口座自動引き落としのシステムは普及していないので、自分で記入して使用したチェックがチェッキング・アカウントと呼ばれる銀行口座から引き落とされる仕組みになっている。

我々には馴染みがない習慣であるが、多額の現金を持ち歩かなくて済むのは、治安上よいことだ。このチェッキング・アカウントとパーソナル・チェックは、米国のSSN(ソシアル・セキュリティー・ナンバー)やID(運転免許)のない人にも自由に開設することが可能で、ドル建てのATMカードも同時に発行される。

驚いたのはCD(定期預金口座)と呼ばれる口座で、年率5~6%の利子が付く。何のためにお金を預けているのか分からない低迷する日本の銀行とは対照的である。CDの開設には米国SSNが必要だった。

私が米国に住むために必要な物は、IDとクレジットカードの取得を残すだけになった。社長から指令された期限は、明日を残すのみ。すべてを手に入れれば、米国でなに不自由なく生活することができるのだ。

「これを使え」
山下社長が私に貸してくれた車は、トヨタ・クラウンの2倍くらいはあるかと思える恐ろしいほど大きなマーキュリーの7人乗りステーションワゴンだった。しかも、右側のミラーがない…。これも試練なのだろうか?

路上試験は、助手席にDMVの職員を乗せて行われる。道が狭く、坂の多いサンフランシスコの街中を職員の言われるがまま、縦横無尽に走り廻る。バカでかい車で、パワーステアリングをキィーキィーといわせながら、坂道でのパーキングメーターへの縦列駐車に苦労しつつ、約15分も走ったかというところで、
「そろそろ帰るぞ」
と職員の一言。結果は、合格らしい。日本の路上試験に比べて格段に簡単だった。

DMVに帰ると写真撮影が行われて、無事カリフォルニア・ドライバーライセンスを取得した。
「ハイッ! 楽しく笑って!」
と職員が写真を撮る時に見せた情景は、いかにも米国らしい。これで赤いノートブックサイズのバカでかいパスポートを持ち歩かなくてもいいのだ。最後は、クレジットカードを取得するだけとなった。

初めての米国IDを取得した後、ダウンタウンにあるアメリカン・エクスプレスカードのオフィスへ向かう。日本のビザカードは所持していたのだが、これからはドル建ての現地のクレジットカードが、どうしても必要になる。そこで、SSNカードと取りたてのIDと雇用証明を提出して、申請書類に必要事項を記入した。

「ゴールドカードにしますか?」
とカード会社の窓口の女性は尋ねてくる。私は、信用と利用金額やサービスの面を考慮して、ゴールドカードを作ってもらうことにした。米国にクレジットヒストリーもない私に、いきなりAMEXのゴールドカードを発行した理由は、いまだによく理解できない。

ともかく社長から指示のあった書類は、すべてこの3日間で無事揃えることができた。会社に戻り、その旨を社長に伝えた。
「やるじゃないか! これで、仮の米市民になった」
と笑ってくれた。「仮市民」という意味が私にはピンとこなかったが、要するに、これから米国で生活する上で不自由がないという意味なのだろう。

ソシアル・セキュリティー・ナンバー(SSN)、ドライバーズ・ライセンス(ID)、銀行口座、クレジットカードさえあれば、米国人同様に暮らしていける。これは、米国への移民を希望する人たちへの最初の関門でもあったが、半分まだ旅行者のような私でさえ、わずかの3日で簡単に取得することができてしまった。

 

注)上記の体験は、1990年当時の米国の状況です。2002年現在、米国SSNやIDは、長期合法ビザ(F-1, H-1, H-2, J-1など)を日本で取得してからでないと取得できませんのでご注意ください。

 

第31回:実弾射撃を教える訓練!?