のらり 大好評連載中   
 
■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第332回:母と訪ねる3000キロ -東北新幹線はやて-
更新日2010/05/27


東京発17時44分発の『はやて29号』に乗った。バレンタインデーである。私の隣の席に女性が座っている。私を小さいころからよく知っている人で、独身である。いや、正しくは半年前に夫を亡くして独身になり、身軽になったので私の旅についてきた……などと曰わく有り気に書いても仕方ない。母である。もうすぐ70歳。今回の旅は保護者同伴である。もっとも、息子が中年になると、どちらが保護者か被保護者かわからない。ハッキリさせないほうが、いいかもしれない。


今回は夕方の新幹線で出発。


八戸行き「はやて」初乗り。盛岡 - 八戸が未乗区間。

私は窓際の席を母に譲り、目を閉じている。もう日が暮れて外は夜景。彼女は「鉄道の旅なんて何十年ぶりかしら」とつぶやき、うっとりとして窓を眺めている。自分の顔が映っていて、その向こうに街の灯がある。あんまりいい景色じゃないような気がするけれど、余計なことは言わないほうがいいだろう。

通路を隔てた3人掛けの席には幼い子を連れた夫婦がいた。ミッキーマウスの風船がふわりと頭を出し、こちらを向いている。子供の寝顔が満足げであった。そういえば、私たち家族の旅は25年前。航空会社勤務の父の勤続褒賞の旅だった。レンタカーで移動しつつ、フランスのTGV、ユングフラウの登山鉄道、ドイツ国鉄のルフトハンザエクスプレス、シャモニー登山鉄道を巡った。両親と私と弟がそろった旅はそれだけだった。


隣で家族連れが眠っていた。ミッキーの視線が気になる……。

「駅弁、いつ食べるの」「まだ早いよ。八戸着が21時ごろだから、19時ごろでいいんじゃないか」「ちょっとお腹すかない?」「いや、別に……」「お菓子あるわよ」「まだいいよ……って、お菓子なんか持ってきたの」
ほら、と母が布製の手提げ袋を開けて見せた。せんべい、かりんとう、小袋入りの乾き甘納豆……。遠足に行く子供のようだ。しかし、チョコレートやビスケット、スナック菓子などがひとつもない。齢相応の品揃えである。
「こんなに持ってきたの。楽しそうだねぇ」「そりゃあ楽しいわよ」
母はにっこりと微笑み、甘納豆の小さな袋を寄越した。
「ところであなた、時間を19時とか、20時とか言うのね」
「それは鉄道好きの習性のようなものですから……」

私が旅に出るとき、母はいつも留守番役であった。私の部屋に泊まり込み、犬の面倒を見てくれる。それが私には、母にも犬にも後ろめたい。だから本当は趣味を楽しむ旅であっても「仕事です」「出張です」と誤魔化してきた。最近は旅先で取材した記事も書いているし、この「のらり」も仕事のうちであるから、その言い訳は嘘ではない。しかし、母の世代は「仕事とは耐えて報酬を得るもの」という認識がある。だから当初は母も「大変ね」と言うだけだった。

しかし、母も旅好きである。年に一度は米国の知人宅で過ごし、別の友人たちとアラスカへオーロラを見に行ったという話も聞いた。だから私の行き先も気になるようで、それとなく聞いてくる。私は断片的に答えるけれど、母は私の鉄道好きを知っているから「仕事とはいいつつ、本当はとても楽しい旅行かもしれない」と感づいていたようである。ある日、「札幌にとんぼ返りだったよ」と言ったついでに、うっかり「トワイライトエクスプレスに乗ってきた」と明かしてしまった。あのとき、母の表情に変化があったようなないような……。今思うと、これで疑惑は確信に変わった。


母は幕の内弁当。私はハンバーグ弁当。

昨年の終わり頃だった。母が友人と北海道へ行ってきたという。富良野プリンスホテルに泊まり、ドラマ「北の国から」など倉本聡ゆかりの地を巡った。往復は飛行機、現地はガイド付きバスで移動。オフシーズンのためか2泊で総額3万円とお買い得で、ことのほか楽しかったらしい。私も倉本聡作品のファンであり、行ってみたいと思っていたところだ。だからこれは素直に羨ましく、いいな、俺も行きたかったな……と悔しがって見せた。

これで母は上機嫌になり「あなただってそろそろ出張に行く時期じゃないの。また犬と留守番してあげるわよ」と言った。
「そうだなあ、時期としては来年早々。俺も北海道にしようかな。こないだは札幌駅から出なかったし」
そしてまた余計なことを言ってしまった。
「2月なら流氷を見られるかも」それを母は聞き逃さなかった。
「私も行く」
「えっ」
「私も流氷を見たい。何年か前に行った時は時期が早すぎて見られなかった。行きたい行きたい」
母よ、あなたはいま、留守番するって言ってなかったっけ……と思いつつ、正面から言われてしまうと断れない。
「でも、やっぱりあなたの仕事の邪魔になるわよね」と言いつつ、しっかりこちらを見据えているわけで。
「いえ……そんなことないですよ。切符を取れたら行きましょう」と言うしかなかった。

流氷を見に行くなら、羽田から飛行機で女満別空港へ直行すればいい。しかし私の旅は鉄道が主である。第一の目的は未乗となっている釧網本線の踏破。この時期は「流氷ノロッコ号」と「SL冬の湿原号」が走るから、両方に乗ろう。帰路に石勝線の夕張支線と室蘭本線の東室蘭-室蘭間も立ち寄る。列車としては東北新幹線最速の『はやて』、東北新幹線新青森開通後に消える特急『つがる』と夜行急行『はまなす』に乗りたい。きっぷは道内特急自由席と片道の新幹線、北斗星B寝台に乗れる『ぐるり北海道フリーきっぷ』を使う。帰りに北斗星のB寝台個室をふたつ予約したけれど、これは後に寝台特急『カシオペア』に変更した。カシオペアは二人部屋しかないから、これは私にも好都合だ。

車中泊2回、ビジネスホテル2泊という2泊5日のプランを作った。全行程で3000キロに及ぶ鉄道の旅である。70歳の老婦には、体力的に辛い旅かもしれない。しかしそこが狙いでもある。母に「こんな旅はもうこりごり。もう一緒に行かない」と言ってもらいたい気持ちがある。最後にカシオペアを奮発した理由は、こんな"辛い旅"に付き合ったご褒美のつもりだ。そんな私の思惑も知らずに、母はこの一ヶ月間、上機嫌だった。「私ね、動きやすいように、荷物はリュックにするわ」「今から新しい靴を履いて、慣らしておかなくちゃ」と、会うたびに言っていた。


幕の内は定番のおかずが入っている。


ハンバーグはちょっと固い。駅弁は「冷めても美味い」が至上のはず。
ハンバーグは駅弁に向かないかも。

車窓は暗いけれど、地面はぼんやりと白くなっている。そんな景色を母は静かに眺めていた。私はなんどか居眠りをした。東北新幹線の盛岡までは何度も乗ったから、今は休憩時間である。今日は徹夜仕事から帰り、犬の散歩に出かけ、戻ってから犬をペットホテルに預けに行き、それから荷造りと、慌ただしい一日だった。それは母も知っているから何も言わない。夜の車窓は瞑想に耽るにはちょうどよいし、母親と娘ならともかく、息子では話題も少ない。

新幹線は仙台に到着した。ミッキー風船の親子が降りていく。それをきっかけに私たちは駅弁を開いた。母は幕の内。私は黒毛和牛のハンバーグ弁当。ハンバーグはやや堅かった。母は「駅弁なんて久しぶり」ときれいに平らげた。母はとても楽しそうである。しかし、この後は苦行になるはずだ。今夜の寝床は堅いカーペットである。そして私たちが鉄道の構内から出る時刻は明日の昼。網走に着くまで列車に乗りとおしであった。母よ、あなたは耐えられるか。


八戸駅到着。2月中旬なので空気が冷たい。


-…つづく

このコラムの感想を書く


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
著者にメールを送る

1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■鉄道ニュース(レポーター)
マイナビニュース
ライフ>> 「鉄道」
発行:マイナビ

■著書
新刊好評発売中!(6/23/2009)
『もっと知ればさらに面白い鉄道雑学256』
杉山 淳一 著(リイド文庫)


『知れば知るほど面白い鉄道雑学157』
杉山 淳一 著(リイド文庫)


 

バックナンバー

第1回~第50回まで
第51回~第100回まで
第101回~第150回まで
第151回~第200回まで
第201回~第250回まで
第251回~第300回まで

第301回:旅と日常の舞台
-神戸新交通ポートアイランド線-

第302回:車両を持たない鉄道会社
-神戸高速鉄道-

第303回:街から10分でダムの山
-神戸電鉄有馬線 1-

第304回:スパイラルと複線化工事
-神戸電鉄粟生線-

第305回:大学の先輩の取材顛末
-北条鉄道-

第306回:谷上駅の珍現象
-神戸電鉄有馬線2-

第307回:天狗、コンクリートタウンへ行く
-神戸電鉄三田線・公園都市線-

第308回:雨の温泉街
-神戸電鉄有馬線3・北神急行電鉄-

第309回:夜は地下鉄をぶらり
-阪神電鉄本線・大阪市営地下鉄-

第310回:思い出のメガライナー
-JRバス・青春メガドリーム号-

第311回:阿房新幹線が行く
-トワイライトエクスプレス1-

第312回:まずはロビーカーでのんびり
-トワイライトエクスプレス 2-

第313回:食堂車でランチを
-トワイライトエクスプレス 3-

第314回:寝台列車で眠れ
-トワイライトエクスプレス 4-

第315回:駒ヶ岳を眺めて朝食
-トワイライトエクスプレス 5-

第316回:幹線と閑散線の境界
-江差線1-

第317回:天の川駅の向こう
-江差線2-

第318回:30年ぶりのA寝台
-寝台特急日本海 1-

第319回:夜明けのミニ・ロビー
-寝台特急日本海 2-

第320回:模型にしたい景色
-福井鉄道1-

第321回:懐かしき時代のスクラップブック
-福井鉄道 2-

第322回:九頭竜川と恐竜
-えちぜん鉄道勝山永平寺線-

第323回:出迎えはイグアノドン
-えちぜん鉄道勝山永平寺線2-

第324回:大野城ウォーキング
-京福バス勝山大野線・越前大野駅-

第325回:地産地消で満腹満悦
-越美北線1

第326回:九頭竜湖サイクリング
-越美北線2-

第327回:奥様の親切に感謝
-えちぜん鉄道三国芦原線-

第328回:砂丘と犬と軍事施設
-北陸鉄道浅野川線-

第329回:静謐な駅
-北陸鉄道石川線-

第330回:劇的なリフォーム
-富山ライトレール-

第331回:ゆっくりとワープ
-寝台特急北陸-


■更新予定日:毎週木曜日