■めだかのスイスイあまぞん日記~~ゆったり南米ブラジル暮らし

夏川めだか
(なつかわ・めだか)


仙台市広瀬川にて誕生。その後利根川、井の頭公園の池、ダブリンのギネスビール、多摩の浅川などを転々とし、さらなる新天地を求めて、ついに世界第一の流域を誇るアマゾン川へ流れ着く。



第1回:アマゾンでジャングル暮らし?
第2回:こんなとこに住んでいます。
第3回:ゆるゆるモードにはまる。
第4回:「おんな」を満喫!
ブラジル人女性。

第5回:漢字が流行ってます。
第6回:買い物もひと苦労?
第7回:選挙もお祭りなのね
第8回:アマゾンのサムライたち
第9回:市民の足は爆走バス
第10回:こんなものを食べてます-その1
第11回:音楽と騒音の境界線?
第12回:あやしいポルトガル語講座
第13回:さらにのんびり郊外暮らし
第14回:アマゾンのオタクな人びと
第15回:こんなものを食べてます-その2
第16回:子どもの共和国―その1
そもそもの始まり

第17回:子どもの共和国―その2
大切な居場所

第18回:ブラジル話あらかると
第19回:子どもの共和国―その3
年に1度の大廃品回収

第20回:夜の昼メロ? テレビドラマにはまる日々

■更新予定日:隔週木曜日

第21回:アマゾンの中の日本

更新日2005/10/06


こんにちは、めだかです。

アマゾンに暮らすようになって、戸惑ったり驚いたりしたことはたくさんあったけれど、地球の反対側にあるよその国なのだから当たり前のことで、それが異文化に暮らすおもしろさだろう。でも、言葉も文化も慣習も風土も(常識も)まったく違うこんなに遠い土地に、こんなに「日本」がシッカリと存在しているとはそれほど予想してなかった。もちろんある程度はわかっていたのだけど…。

ブラジルには戦前より日本からの移民が大勢来ていたことや海外でも最大規模の日系人社会が存在していることは知識として知っていたし、パラー州はこの国の中でも3番目に日系人の多いところなので、来伯前からなんとなく安心感をもっていた。たしかに実際来てみると日系人の方はたくさんいて、日本語を話す人も多く、特に初めの頃は何かとお世話になり、ありがたかった。

そうして住み始めてみると、日系人社会の中に日本的なものをちゃんと残していこうという気持ちが強くあることがわかってきた。日系人と言ってもどんどん世代が変わってきて、二世どころか、日本語を話さない三世、四世が生まれてきている。そうした子たちのためにも何とか自分たちのルーツを伝え、残したいという願いの現われなのだろう。


日系人の多く住む町で年に一度開かれる大相撲大会
バスで5時間かかる所からも選手がやって来る

だからある意味では、本国よりずっと日本的なものに対するこだわりが強いような気がする。こちらに来てから見に行ったり、参加したりした催しをあげてみても、七夕祭り、盆踊り、野球大会、相撲大会、運動会、書道教室、太鼓教室etc.と、とても外国にいるとは思えない感じ。

地元の町で毎年行われる相撲大会では、子どもから大人までみんな自前のまわしを締め(パンツははいてるけど)、ゲートボール場に臨時設営された本格的な土俵の上で力強くぶつかり合っていた。いまどき"マイまわし"を持っていて、しかもそれを自分で締められる子なんて日本にはほとんどいないでしょう? 生の相撲も見たことなどなかったのに、まさかアマゾンの地で見られるとは思わなかった。


日本人会婦人部特製のとっても美味しいBentou
パパイヤで作った漬物もかなりいけます

いちばん力が入っている催しはお祭りの類。こちらでも7、8月は祭りの季節で、ベレンを始め、近郊の町々では毎週のように何かしら日本風のお祭りが開かれていた。七夕祭りでは会場を大きな笹や吹流し、くす球などで飾りつけ、みんな短冊に願い事を書いてぶら下げていた。どこのお祭りでも、やきそばの屋台や金魚すくいなどが登場し、ほとんど本場と変わらない光景が見られる。もちろん浴衣姿やはっぴ姿も多い。

個人的にこちらに来てからその良さに目覚めたのは盆踊りだ。日本だと盆踊りというのはちゃんと踊り方を知っている地元のおばさんがやぐらの周りで静かに踊っていて、それを遠巻きに眺めるというイメージだったけど、ここでは何より一番盛り上がるのが盆踊りなのだ。アマゾンでは見る阿呆より踊る阿呆の方が圧倒的に多い。

「炭鉱節」、「東京音頭」はもちろん、現地産の「アマゾン音頭」なんてのもあって、踊り方など知らなくても見よう見まねで、それでもとっても楽しそうに、老いも若きも、日系人もブラジル人も、すごい数の人たちがバームクーヘン状になって踊っている。最初はおずおずと輪に入ってみたのだけど、これがすごく楽しい! 新しい歓びに目覚めてしまった感じで、どんどん踊り方を覚え、さらに楽しくなって、夏は盆踊りのために祭りをハシゴするくらいにまでなった。まさかアマゾンの地で盆踊りにはまるとは思わなかった。


ベレンの大講堂で開かれた盆踊り大会
やぐらの周りに何重にも人の輪ができる

いわゆる「日本」が残っているのはもちろん行事や風習だけではない。ここに暮らす人の中にも色濃く残っていた。こちらに来てから、移民一世のお年寄りと知り合う機会があったのだけど、話を聞いていると、「ああ、昔の日本人というのはこんな感じだったのかなぁ」と思うようなことが度々あった。戦前の教育を受けて移住してきた方と話していると、あまりに価値観や歴史観などが違っていて、タイムスリップでもしたような気分になってしまうほどだ。

海外に出て、母国出身の人と話して"カルチャーショック"を受けるというのもヘンに聞こえるかもしれないけれど、まさにそれはカルチャーショックだった。昔の日本を知りたければブラジルへ行け、と言った人がいたそうだが、たしかにそれは一理あるかもしれない。もう本国にはこういうお年寄りはいないだろうし、すごく貴重な経験になった。

そんなわけで、日本から飛行機で30時間、地球の反対側にあるこの地には、びっくりするくらいたくさんの日本的なものや人が生き続けている。赤道直下のラテンの国で「日本」を再発見しに来ませんか。

 

 

第22回:アマゾンの森を守る農業