第497回:流行り歌に寄せて No.292「ジョニィへの伝言」~昭和48年(1973年)3月10日リリース
昭和47年(1972年)9月「ペドロ&カプリシャスのヴォーカルの前田曜子が倒れる」の報道があり、それからしばらくして、彼女は渡米をし、日本を離れてしまう。
カプリシャスのリーダーであるペドロ梅村は、二人目のヴォーカルとして福岡県の中洲のナイトクラブで歌っていた高橋まりを連れてきた。高橋は中学生の頃から、学校には当然内緒でナイトクラブで歌っていたのだと言う。そして、その頃からペドロは彼女の歌声を聴いたことがあったそうだ。
彼女は中学を卒業した後、歌手を目指して上京し、高校に通いながら、渡辺プロダクションと契約をし、同プロからレッスンを受けていた。その後、スクールメイツのメンバーになり、さらには4人組コーラス・グループ「スカーレット」の一員にもなっていた。
しかし、歌手としての個性を発揮できないコーラス・グループには飽き足らず、高校卒業と同時に渡辺プロから脱退し、故郷の福岡に帰っていたのであった。
ペドロの勧誘で、再び東京に戻った彼女は、その翌年、この『ジョニィへの伝言』でいきなりレコード・デビューをすることになる。
ペドロ&カプリシャスのデビュー曲である『別れの朝』が、なかにし礼の作詞で大ヒットしたのに刺激を受けたのか、阿久悠は、相当の意気込みを持ってこの曲の作詞に臨んだそうである。
そして、都倉俊一と最強のタッグを組んだ上で、『ジョニィへの伝言』は昭和48年の初春に世に出された。ところが、当初は全く売れなかったそうである。けれども、この年の夏を過ぎたあたりから徐々に売れ始め、累計売り上げは50万枚近い大ヒットになった。
オリコンの週間チャートでは24位が最高という意外な位置にいるが、100位以内には42週間ランク・インしていたという、実に息の長いヒット曲になった。そして、今でもカラオケなどでよく歌われている。
「ジョニィへの伝言」 阿久悠:作詞 都倉俊一:作・編曲 ペドロ&カプリシャス:歌
ジョニィが来たなら伝えてよ
2時間待ってたと
割と元気よく 出て行ったよと
お酒のついでに話してよ
友だちなら そこのところ うまく伝えて
ジョニィが来たなら伝えてよ
わたしは大丈夫
もとの踊り子で また稼げるわ
根っから陽気に出来てるの
友だちなら そこのところ うまく伝えて
今度のバスで行く 西でも東でも
気がつけば さびしげな町ね この町は
友だちなら そこのところ うまく伝えて
今度のバスで行く 西でも東でも
気がつけば さびしげな町ね この町は
ジョニィが来たなら伝えてよ
2時間待ってたと
サイは投げられた もう出かけるわ
私は私の道を行く
友だちなら そこのところ うまく伝えて
うまく伝えて
阿久悠が作詞の際に考えたのは、「新しさ」を感じさせる作品を作りたいと言うことだった。そこで、一編の映画のようなストーリー性のある詞を書き上げた。これは、決して並大抵の才能でできることではない。
主人公の相手を外国名にしたり、当時はまだ日本では一般的でなかった長距離バスを使ったり、職業に「踊り子」を持ち出したり、いったいどこの国の話?と思わせる設定を作った。俗に「無国籍ソング」と呼ばれたものだ。
都倉の才能も際立っていた。今まで接したことのない歌手なのだが、彼女にはこういう表現がきっと可能だろう、と綿密な計算をしてメロディーを作っている、そんな風に思えるのだ。実に良い旋律である。
そして、新人・高橋まりは、この作者たちの意図とバンド・メンバーたちの期待に充分適う、いやそれ以上の歌唱を披露したのだ。
続いて、同年10月25日に発売された『五番街のマリーへ』も、大きなヒットとなった。こちらも、いわゆる「無国籍ソング」と呼ばれたもので、同じく阿久・都倉作品である。
これも、大変ストーリー性のある歌詞と抒情的な旋律、しみじみと名曲だと思う。よく考えてみると、『無国籍ソング』という呼び方は何か揶揄を含む、曲を軽んじた言い方のようで、適切ではないかもしれない。
『五番街のマリーへ』が生まれたのは船の上だと言う。この年の8月に企画された大型客船「さくら丸」での作詞・作曲教室。通称「ろまん船」と呼ばれたこの船には、女性ばかりの生徒700人を乗せ、講師陣は阿久悠、三木たかし、中村泰士、井上大輔、森田公一、そして都倉俊一の布陣。
船は横浜港を出港して西へ向かい、九州の外側を通って門司港入り。その後は日本海を北上して函館港に停泊し、再び横浜に戻ってくる一週間の旅。私など、下世話なことを考える人間にとっては、「なんだか怪しい企画だなぁ」と疑ってしまうが、この船上で阿久・都倉コンビが『五番街のマリーへ』を作り、そして乗客の女性たちみんなと歌ったのである。圧巻のシーンだったろう。
その後、高橋まりを擁するペドロ&カプリシャスは、多くのヒット曲を出していく。それは、昭和53年(1978年)まで続いた。私は、個人的には『手紙』(麻生香太郎:作詞、すぎやまこういち:作曲、あかのたちお:編曲)という曲が好きである。
こちらもストーリー性のある曲だが、上の2曲とは趣が異なり、京浜工業地帯と言ったら良いのか、蒲田か川崎の工場で働く、若い男女の物語なのだろうかと、私は自分なりに解釈している。胸に沁みる曲である。
ところで、私は今回の『ジョニィへの伝言』、そして麻生よう子の『逃避行』(千家和也:作詞、都倉俊一:作曲、馬飼野俊一:編曲)、さらにはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『沖縄ベイ・ブルース』(阿木燿子:作詞、宇崎竜童:作曲、ダウン・タウン・ブギウギ・バンド:編曲)、この3曲を、勝手に「待ちぼうけ3作」と名付けている。
ご興味のある方は、その歌詞を比較していただきたい。よくあるテーマだと言ってしまえばそれまでだが、背景は違っても、ほぼ同じシチュエーションの詞の内容になっていると思えるのである。
第498回:流行り歌に寄せて No.293「他人の関係」~昭和48年(1973年)3月21日リリース
|