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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第369回:流行り歌に寄せて No.174 「小樽のひとよ」~昭和42年(1967年)

更新日2019/03/14


『お笑い頭の体操』という番組があった。昭和43年から50年にかけて放映されていたので、ちょうど私のティーンエイジャーの頃だった。中学、高校時代、土曜日の夜7時30分からTBS系(愛知県ではCBC)で放映されたもので、毎週のように家族で観ていた記憶がある。

司会の大橋巨泉もレギュラー解答者の月の家円鏡も、『替え歌コーナー』のアコーディオン奏者の横森良造も、皆あんなにお元気だったのに、今はもはや故人である。

昭和44、5年の頃だったと思う。鶴岡雅義がゲストで出演した日があった。巨泉さんが「日頃から思ったり、希望していることを替え歌の中で歌ってみよう」と提案したところ、鶴岡が「僕のところは、三條君ばかりが目立ってテレビに映るので、こっちが全く目立たない。僕のアップもぜひ多く映してほしいと思っている」と答えた。

そこで、件の横森良造のアコーディオン伴奏で、『森の小人』の替え歌という形で歌い出したのだが、「森の木陰で アップの鶴岡、シャンシャン手拍子 アップの鶴岡、太鼓たたいて アップの鶴岡」と替え歌らしい何の工夫もなく、ただ朗々と「アップの鶴岡」を連呼するばかりなのである。

今考えると、何がそんなに面白いかと思えるのだが、スタジオ内も大受けしていたし、テレビを観ていた私たち家族4人が、夕食そっちのけで大笑いをしていたことを憶えている。もう50年も前の話なのだが、かなりくっきりとした記憶なのである。鶴岡雅義が36、7歳の頃の話だ。

 

「小樽のひとよ」 池田充男:作詞  鶴岡雅義:作曲・編曲  鶴岡雅義と東京ロマンチカ:歌 


逢いたい気持ちが ままならぬ

北国の街は つめたく遠い

粉雪まいちる 小樽の駅に

ああ一人残して 来たけれど

忘れはしない 愛する人よ

 

二人で歩いた 塩谷の浜辺

偲べば懐かし 古代の文字よ

悲しい別れを 二人で泣いた

ああ白い小指の つめたさが

この手の中に いまでも残る

 

小樽は寒かろ 東京も

こんなにしばれる 星空だから

語り明かした 吹雪の夜を

ああ思い出してる 僕だから 

かならずいくよ 待ってておくれ

待ってておくれ

 

チョビひげで、いつも飄々としていて穏やかな雰囲気の鶴岡さんを、私はその頃から大好きだった。彼はクラシックギターを一回り小さくしたレキントギターの甘く優しい音色を、初めて日本の歌謡界に紹介した人でもあった。

ロマンチカの曲の他に石原裕次郎の『二人の世界』や『青い滑走路』(蛇足ながら、私の愛唱歌)など、多くの名曲を作っている彼の存在が、歌謡界の中であまりにも評価されておらず、私はとても悔しい思いをしている。個人としてWikipediaにその項目がないのが信じられない。もっとも彼は『お笑い頭の体操』の時のようにボヤクこともなく、淡々とされているに違いないのである。

さて、『鶴岡雅義と東京ロマンチカ』は昭和40年に結成されたが、最初はヴォーカルを持たず、その度にゲストヴォーカルを迎えて演奏していた。150万枚を売り、NHK紅白歌合戦への初出場を果たしたこの『小樽のひとよ』から三條正人がメインヴォーカルとなった。

この曲は、ロマンチカのメンバーの一人が、実際に釧路で地元女性と知り合い恋仲になった話を元に、鶴岡が曲を書き、以前コンビを組んだ池田に作詞を依頼したものだという。

池田は、舞台を釧路から、自分がより詳しく知る地の小樽に変更することを提案し、詞を書いた。その後、紆余曲折あり、小樽市側からの「もっとご当地色の強いものをお願いしたい」という念願もあって、現行の『小樽のひとよ』に行き着いたらしい。

確かに、全体の歌詞としては、言葉を変えつつも、切々と相手の女性に対する思いが歌われているのに、2番の前半の部分だけ、文学的にアイヌ文字について触れ、歴史を偲ぶ様子が描かれていて、少し唐突な気がする。これはこれで面白く、私は気に入っているが、小樽市側からの要求を反映したものかも分からない。

そのメインヴォーカルの三條正人は、昭和49年にソロ歌手に転向し、その後を浜名ヒロシが務めた。三條は脱退、復帰を2回行なっているが、鶴岡は、その度に黙ってそれを受け入れている。浜名は平成21年、そして三條は平成29年にこの世を去ってしまった。

鶴岡雅義は85歳、現役でロマンチカのリーダーを務め、昨年10月のNHKテレビの番組でも元気な姿を披露していたそうである。オープニングはレキントギターを弾きながらの登場だったという。

-…つづく

 

 

第370回:流行り歌に寄せて No.175 「帰って来たヨッパライ」〜昭和42年(1967年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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