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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

第278回:流行り歌に寄せて No.88 「下町の太陽」~昭和37年(1962年)

更新日2015/03/26


弊店の近くには、とある居酒屋があり、そこを営んでいるご夫妻は私が大変お世話になっている大先輩である。ご主人の方は歌うことがお好きで、私とカラオケをともにすることがたびたびあるが、奥様の方は人の歌を聴くことは一切厭わないものの、ご自分で歌うことがとにかく苦手で、人前で歌うことはほとんどと言ってなく、彼女の歌声を聞いた人は数少ない。

私はその数少ない人間の一人で、一度だけ彼女の声を拝聴したことがある。その時はご主人の方がかなり酔って出来上がっていて、「お母さん、倍賞千恵子の『下町の太陽』を歌いなさいよ」と、これはかなり執拗に要請したのである。

奥様はかなり躊躇したが、場を白けさせるのを嫌い、日頃のハキハキした物言いとはかけ離れた、小さな声で歌い出された。とても可憐な歌声だった。その時私は、ご主人が奥様のことを、倍賞千恵子のような女性のイメージに被らせて思っていることを知った。

美しく健気で控えめだけれど、一本のしっかりした芯が通っている、そんな女性像を、多くのご主人方は自分の妻に求めるようである。

また、私がまだ二十歳代の頃、ある酒場でこんな話をする中年の親爺さんがいた。
「俺は日本海の漁師町にぽつんと一軒建っているような居酒屋で飲んでみたいねえ。そう、八代亜紀の『舟歌』に出てくるような。潮風が強く吹く晩に、色は褪せても清潔そうに掛かっている暖簾をくぐって店に入ると、倍賞千恵子のようないい女が、一人で甲斐甲斐しく働いていて『あら、いらっしゃい』と迎えてくれるんだ。どうだ、いいだろう」と言った後、
「でも、たいがいそこに立っているのは、同じ千恵子でも、倍賞ではなくて三崎千恵子のようなおばちゃんだけどね」と言って笑いを誘うのだった。

私は以前から三崎千恵子さんの暖かい人となりが大好きだったので、三崎さんでどこがいけないかと思ったりもしたが、その親爺さんは、『男はつらいよ』のさくらとおばちゃんを上手く対比したつもりだったのだろう。その後も、私はそのような感じの、根強い倍賞千恵子ファンに何人にも会っている。

昭和30年代後半の男性ファンには、マジョリティーの吉永派と、マイノリティーではあるが熱心な倍賞派がいたのだという話も、何回か耳にしているのである。

「下町の太陽」 横井弘:作詞 江口浩司:作曲 倍賞千恵子:歌 

1.
下町の空に かがやく太陽は

よろこびと 悲しみ写す ガラス窓

心のいたむ その朝は

足音しみる 橋の上

あゝ太陽に 呼びかける

2.
下町の恋を 育てた太陽は

縁日に 二人で分けた 丸い飴

口さえきけず 別れては

祭りの午後の なつかしく

あゝ太陽に 涙ぐむ

3.
下町の屋根を 温める太陽は

貧しくも 笑顔を消さぬ 母の顔

悩みを夢を うちあけて

路地にも幸の くるように

あゝ太陽と 今日もまた


先ほど書いたファンの思いだけでなく、作者の横井弘、江口浩司コンビとしても、倍賞千恵子をビクターの吉永小百合の好敵手として売り出したいという思いがあったという。佐伯孝夫、吉田正への強い対抗意識もあり、キングレコードが誰かのB面として発売しようと企画していたところ、粘ってA面に持ってこさせたという話も聞く。

熱意が実り、第4回レコード大賞のこの年から始まった、最優秀新人賞の女性部門(この第4回から第10回までは男女の部門に別れていた)に、倍賞のこの曲が選ばれた。いわば初代最優秀新人賞を獲得したのだ。この年のレコード大賞に橋幸夫とダブルで選ばれた吉永小百合に引けをとらない受賞だった。

さて、この曲を主題歌として翌年の昭和38年、山田洋次監督により同名の松竹映画が作られた。主役は倍賞千恵子、相手役は勝呂誉で、墨田区曳舟にあった資生堂の石鹸工場とその周囲が舞台になっている。まだ、あのお化け煙突が現存する時代だった。当時の映画は、荒川の放水路辺りを舞台にするものが実に多かった。

山田監督にとっては第二作。この作品による出会いから、その後、監督山田、ヒロイン倍賞による松竹映画が数多く作られていく。前述の『男はつらいよ』を始め、『霧の旗』『運が良けりゃ』『愛の賛歌』『家族』『故郷』『同胞』『幸福の黄色いハンカチ』『遙かなる山の叫び声』などなど、まさに枚挙にいとまがない。

けれども、彼女の持ち歌がタイトルとなり、劇中でも歌うような内容の映画は、最初の『下町の太陽』だけのようである。

また、この曲が出された後、干支一回り経った昭和49年に発表された、森昌子の『下町の青い空』は、作詞が同じ横井弘、作曲は遠藤実だが、詞の内容が本当によく似ており、まさにリメイク版と呼ばれる作品になっている。

-…つづく

 

 

第279回:流行り歌に寄せて No.89「赤いハンカチ」~昭和37年(1962年)

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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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