第563回:プライバシー問題と日本の表札
ウチのダンナさんのメールアドレスにナイジェリアからアクセスしている人がいるが、彼は現在、ナイジェリアにいるのか、とセキュリティー会社から確認の連絡がありました。誰かが彼の個人情報を盗もうとしていたことのようです。
一旦メールにアクセスしたとなると、今まで旅行の手配や書籍の購入で使っていたクレジットカードを乱用することができ、彼の名前を使って、色々な悪いことができると言うのです。彼は、「オレの個人情報を盗んだところで、たいしたご利益はないけどな~」とは言っていましたが、そのメールアドレスは閉鎖することにしました。
私の弟のクレジットカードの番号と秘密コードが盗まれたことがあります。彼はコンピュータ会社の相当エライさんでしたから、これは盗み甲斐のある個人情報だったでしょう。最先端のコンピュータ、テレビ、高価な電子機器、それに盛大にポルノDVDを彼のクレジットカードから購入していました。
インターネットショッピングが一般的になり、買い物だけでなく、旅行の時の航空券、ホテルなどなど、パソコン、インターネットを使わずに用を足すことが難しくさえなってきました。私も、仕事上、大学のネットワークを使い、採点、評価、レポートなどすべてパソコン、インターネットで行いますし、今担当している言語学の授業はインターネットで行っています。
アメリカの郵便箱は映画でおなじみのように庭先の道路脇に柱を立て、その上に板カマボコ型の郵便受けを据付けるやり方です。その郵便箱というのかブリキのカマボコの前面の開け閉め扉に番号が書いてあるだけで、苗字などは書き入れていません。この頃、気取ってその地所の名前を荘園のように付けることが流行り出し、苗字、名前の変わりに自分で命名した家や地所の名前を大きく書き出したりしています。
私たちのところは“LONESOME PINE” (孤独な松)と名付けていますが、これは前のオーナーが付けた名前で、そのまま使っています。日本のナニナニ荘、何とかマンションのようにアメリカでも個人の家で少し大きくなると、なんとか山荘、ヴィラなんとかと付けていますが、個人の姓名は全くと言っていいほど外に表示しません。番号だけです。
日本で見知らぬ家を探す時、道路に名前がなく、家々に番号を付けていないので苦労させられます。アメリカ、ヨーロッパなら、通りの名前と番号で、奇数は右側、偶数は左側とかまで整然とイデオット・プルーフ(idiot-proof;どんなバカでも分かる)を前提にしています。
通りの名前と家の番号さえ知っていれば辿り着けるのですが、その家に誰が住んでいるかは個人情報になるので“秘密”にします。例えば、郵送されてくる定期購読雑誌は封筒に入れず、その雑誌の表紙に住所、氏名が印刷され来ます。それを捨てる時とか、どこかの施設に寄贈する時、自分の住所氏名が印刷されている箇所を切り取るのが常識になっています。自分の住所を悪用されないためです。
私の父のように20種類くらいの雑誌を、全く読まない、開かないのに購読していると、山のように溜まったそれらの雑誌を捨てる前に、住所の部分を切り取るだけでも大変な作業になります。
日本の表札を見て、個人主義、秘密主義、過剰なプライバシー感覚に犯されている私は驚いてしまいました。最近は表札に姓、苗字だけを出す家が増えましたが、家族全員の名前をきちんと書き並べている家もまだたくさんあります。西欧では一般に、名前、住所は個人情報の一部とみなされますから、それらを公示している日本のやり方にショックさえ受けました。簡単にどこに誰が住んでいるかが分かってしまえば、それを利用していくらでも“ワルイコト”ができる…と考えてしまうのです。
さらに驚くことは、その地区ごとに小さな立て看板の地図があり、町内のどこに誰が住んでいるか一目で知れることです。この町内地図の存在は、その地区で初めて家を探す時にはとても便利ですが……。
必要以上に個人情報を秘密にしたがるアメリカに住んでいると、個人情報を悪用することが少ない日本が性善説に根ざした、穏やかな社会を作り上げているようにさえ思えます。
そんな、人をすぐに信用する性向を利用して、オレオレ詐欺が未だに横行してしているのかもしれませんが…。
-…つづく
第564回:再犯防止のための『性犯罪者地図』
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