第613回:ルーサー叔父さんとアトランタでのこと
私の叔母さんは黒人と結婚し、ジョージア州のアトランタに住んでいます。叔母さんのダンナさん、ルーサーは、私の親類一同が皆知恵遅れに見えるほどのインテリで、高名な大学の教授職を最近引退したばかりの博士です。何冊もの本を書き、引退後も世界中から御呼びがかかり、忙しく飛び回って公演、レクチャーをしています。引退してから、ジャズピアノを弾く時間が持てるようになったと喜んでいました。
どんな人とでも会話を成り立たせる才能というのかセンスを持っているウチのダンナさんは、ルーサー叔父さんと話すのをとても楽しんでいる様子なのです。その後で、「ルーサーはたいしたもんだ。俺の浅く、薄っぺらな文庫本的な知識とは深さが違うぞ」と、当たり前過ぎることを言っていました。
昨年の夏、アトランタを訪れ、彼らの家に滞在した時、ルーサー叔父さんがアトランタで有名なコカコーラ博物館よりは、少しばかりマシだぞ、とイタズラっぽく笑いながら、市民権、公民権運動の博物館(The National Center for Civil and Human Rights)に連れて行ってくれました。
そこに、白人専用のカフェテリアが再現されており、カウンター前のスツールに座ることができます。黒人が座り込みをして有名になったところです。そこのスツールに腰掛け、ヘッドフォンを付けると、当時、町のシェリフや白人至上主義の男たちが無抵抗な黒人に、どのように暴言を吐き、暴力を奮ったかを体験できるようになっています。棍棒で叩かれ、椅子から引きずり降ろされる音、黒人女性の悲鳴が臨場感に溢れて聞こえてくるのです。
私は知識として、ニュースや雑誌で数多くのそんな事件を知ってはいましたが、1960年代になっても、まだそんな暴力が公然と行われていたことに鳥肌が立つほどの恐怖と怒りを覚えました。と同時に、無抵抗主義というのは、ノホホンと座り込んでいればよいというアマッチョロイものではなく、唾を吐きかけられ、棍棒で叩かれ、髪の毛を掴まれ振り回され、猛犬をけしかけられ、噛まれても決して抵抗しない、そこから逃げないことは、そう簡単にできることではありません。本当の信念を持っていなければできないことです。
ルーサー叔父さんは、東セントルイスの黒人ゲットーのようなところで育ちました。彼の両親が教育熱心であったことも要因でしょうけど、彼自身、抜きん出た頭脳を持っていたのでしょう、グングンとレベルの高い学校、大学へとほとんど無償で進み、博士号を取り、アトランタのエリート大学、エモリー大学に教授として迎えられています。ですから、ルーサー叔父さんは公民権運動が起こった60年代に、南部で黒人運動を直接体験していたのです。
アトランタにストーンマウンテン、石の山をいう味も素っ気もない、文字通り石の山があり、見晴らしが利くのでチョットした観光地になっています。石の山といっても、ロッククライミングをするような急な崖山ではなく、誰でも登れる低い丘のようなところです。その麓に大きな公園があります。手入れの行き届いた芝生、樹齢何百年という大木があり、木陰でお弁当を広げるにはもってこいの場所です。そこに南部の将軍、南北戦争の時、散々北軍を打ちのめし、リンカーンの北軍をあわやというところまで追い込んだリー将軍(Robert Edward Lee)の大きな銅像が立っています。
南北戦争の時、南側、奴隷保持州の町々に建てられた数多くのリー将軍の銅像がいまだに残っています。ここ近年、南軍のシンボルとしてのリー将軍の銅像を取り払う運動が起こり、多くの町ではリー将軍が消えてしまいました。リー将軍はとても優れた軍人ですが、彼自身がとりわけ奴隷制に賛成していたわけではありません。一時期、合衆国政府の軍人だったこともあるくらいです。早く言えば、自分の能力を買ってくれる方に組しただけでしょう。
ですから、プロの軍人として引き際も良く、敗戦の調印をし、いたずらに戦闘、ゲリラ戦、テロを長引かせるようなことはしていません。彼を慕い、彼をもう一度担ぎ出そう…と期待する勢力もあったのですが、耳を貸そうともしませんでした。それはそれで敵将として立派なことです。
ですがその後、リー将軍のイメージは一人歩きし始め、南軍、南部のシンボルになってしまったのです。そんな銅像ですから、取り払うと決めた町や州のお役所に、取り払い賛成派と反対派が詰めかけ、南部白人右翼がトラックでリー将軍像取り払い賛成派の集会に突っ込み死人が出る騒ぎになったのです。
そんな事件の後に、ルーサー叔父さんとリー将軍の銅像を見下ろすストーンマウンテンに登ったのです。
私が、「アッ、リー将軍の銅像がまだ立っている…」と言ったことに、ルーサー叔父さんが敏感に反応し、「ああいうものは、爆破して壊してしまわなければならない」と、いつもの柔らかい口調で言ったのにはびっくりしてしまいました。声を荒げることをしない、いつも静かな話し方をする叔父さんが、低い声でしたが、そのような強いこと、モノを破壊することを口にしたのです。
きっと、ルーサー叔父さんは、ミズーリーの田舎の白人ばかりの間で育った私には想像もできない、辛酸を舐め、偏見を受けてきたのでしょう。ルーサー叔父さんの静かな物腰の中に、ある黒人差別に対する燃えるような意識を垣間見たような気がしました。
-…つづく
第614回:“恥の文化” は死滅した?
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