第225回:逃げた人も…逃げなかった人も…
6月の下旬に東京で10日間ほど過ごしました。東日本大震災と福島原発の影響で、街は節電のためいつもよりかなり暗い……と事前に聞かされていましたが、ロッキー山麓の田舎町から世界の大都会に出てくると、それはそれはまばゆいばかりにネオンサインが光り輝き、どこで節電をしているのか不思議なくらいでした。
確かに地下鉄のホームは蛍光灯を半分くらい消して、多少暗い感じがしましたが、それで充分な明るさだと感じました。果たしてそんな節電が、ギンギンギラギラに輝く新宿、渋谷、秋葉原のネオンや大きなオフィスビルのエアコンに比べ、どれくらい効果があるかは全く別の問題なのでしょうね。
東京は素晴らしい街です。世界中から優れたアーティスト、ミュージシャンが集まってきて、わざわざ外国に行かなくても東京にいながら、世界中の文化を楽しむことができる……と言っても言い過ぎではないでしょう。
私も、今回の東京滞在をとても楽しみにしていました。アメリカの田舎町ではとても聴くことができないコンサートが目白押しにあり、問題はどれを切り捨て、どれを聴きに行くかという贅沢な悩みを持つことでした。それにしても、入場料の高さも世界一ですね。
半年も前からインターネットや日本にいるダンナさんの友人をわずらわせてコンサートの切符を手に入れたまでは良かったのですが、そこへ東日本大震災が起こり、福島の原発の放射能漏れが起こり、歯が抜けるように、外国人演奏家のキャンセルが相次いだのです。
和洋折中の造語ですっかり日本語になってしまった"外タレ"たちが、放射能を恐れて日本行きをキャンセルしたのには驚きました。なにも原発の中心地"原発の中のステージでコンサート"を開くわけではないのですし、何千万人も現に生活している東京や大阪でのことなのです。
私は無意識のうちに、それらの"外タレ"が収益、自分の出演料を当然のように被災地に寄付してあたり前……だと思っていたのです。ところが、逆にあるかなきかの放射能を理由にキャンセルしたのです。チェコ・フィル・ハーモニー、モーツアルト弾きで私の大好きなマリア・ジョアン・ピリスも日本に来ませんでした。ニューヨーク・メトロポリタン歌劇は何人かのプリマが抜けましたが、すぐに代役を立て、東京公演を敢行しました。
後で調べたところ、どうも私の好きなクラシック音楽の演奏家はガッツがなく、ロック、ポップのタレントの方がはるかに積極的に被災地援助に乗り出し、チャリティー・コンサートを手弁当で行っているのです。
それどころか、原発事故直後にやってきてチャリティー・コンサートを開いた、往年??のロック・ポップ、シンディー・ローパーのような人もいますし、ポンと一億円を寄付した女優のサンドラ・ブルックのような人もいます。レディー・ガガも6月に日本にやってきて大きなチャリティー・コンサートを開きました。
日本に住んでいた外国人でも逃げた人が多く、私の大学から日本に留学していた学生さんたちのほとんどがアメリカに帰ってきてしまいました。アメリカ大使館では日本脱出のための特別の指示は出していません。無料でヨウ素錠剤を配っただけで、後は日本政府の指示に従い、個々が判断するようにというだけでした。
日本に残って積極的に被災地援助活動をしている外国人も沢山います。日本を本当に好きな人たちでしょうね。原発事故の後、すぐに自分の国に逃げた人を非難することはできませんが、はっきりと日本を愛している人との差が出てしまったように思います。嫌な言い方ですが、原発は日本に対する外国人の踏み絵になったようです。
東日本大震災、福島の原発事故からどのように立ち直るか、世界中の人々が見つめています。そして、まだ世界中から様々な形で援助があることでしょう。逃げた人の幾人かはまた日本に戻ってきて、復興に手を貸すことでしょう。それらをすべて受け入れて、これから続く長い長い戦いを勝ち抜いて欲しいと思っています。
第226回:ド忘れの年頃
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