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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第653回:スキーの悲劇~エリーズさんの死

更新日2020/04/09


私たちが2ヵ月、スキー三昧で過ごすと言うと、ワーッ羨ましいという人が半分、後の半分は骨折らないで、怪我しないで、と私たちの老齢を思い起こさせるような注意をしてくれます。スキーでの事故、怪我率は、他のスポーツ、幾つになってもできる運動、ゲーム、ゴルフやテニス、ハイキング、ゲートボールに比べ高いのは事実です。旅行保険をかける時に、危険なスポーツはしないという条項があり、スキーはロッククライミングなどと同様に危険スポーツに分類されています。

私たちがべースにしていたスキー場『モナーク』を去ったのは3月1日です。その3日後の3月4日に、我々モナーク老体スキーグループ“雪ヤギ会”を揺るがす事件が起こりました。大ベテランのエリーズさんが木に激突して亡くなったのです。

“雪ヤギ会”といっても正式のメンバー登録があるわけでなし、朝ロッジでスノーブーツを脱いで、重くて硬いスキー靴に履き替えるため(これが結構な一仕事なのです)、ピクニックルームで顔を合わせる面々のことで、総勢20人ほどです。大半が70代、80代が数人、60代の私はほとんど若輩者というグループです。そして皆さん大変なスキーヤーで、元スキーのレーサーもいれば、スキー教師協会を組織したり、デモンストレーターとして伝説的なスキーヤーもいて、スキーの技術レベルが高い人ばかりです。その中では、私とウチのダンナさんは初心者です。

彼らは、スキー場のスロープやゲレンデなどを滑りません。もっぱら急斜面のモーグル(大小のバンプがある整備されていないところ)や木の間を縫うように降りてきます。日本のようにゲレンデ以外は立ち入り禁止、赤いテープ、ロープを張り巡らせている…なんてことはありません。一度スキー場の山に入ったら、自分の技量に合わせて、どこでも自由に滑って下さいというスタンスです。

彼らがスピードに乗り、しかし十分にコントロールを効かせ深い雪を掻き分けるように滑っている様は、本当に気持ち良さそうで、ついつい見とれてしまいます。

スキー場ですが、峰が5つ、6つあり、なにせ広いので、山スキー、バックカントリースキー(リフトに乗らず、幅の広い深雪用のスキーに、昔ですとアザラシの皮を張り、逆滑りをしないようして、エッチラ、オッチラ歩いて深い雪を漕いで登る人、スキーを担ぎスノーシュー=カンジキで登る人たち)の人も相当数います。

エリーズさんは、リフトに乗ってただ滑り降りるスキーもしますが、どちらかといえばバックカントリースキー派かもしれません。旦那さんと二人で登ってくるのに何度か出くわしています。その都度、やさしく、明るく、ただ「ハーイ、今日の雪は最高ね…」とか、「チョット、視界が悪いから、もう降りるわ…」とか、簡単な挨拶を交わす程度の知り合いでした。

それが1月にサライダの町の小さな公会堂で、モナークスキー場80周年記念の公演とスライド、映画があった時、モナークスキー場のオーナーのランディさんが、簡単にスキー場の歴史を披露しました。その中で、エリーズさんと旦那さんのことに触れ、彼らが引退と同時にニューメキシコ州からこのスキー場の麓の町、ポンチャ・スプリングに越してきてから12年になること、旦那さん共々、大変なアウトドア派であること、この山系で旦那さんが一度雪崩に遭って遭難し、厳寒の下で50時間後に救助されたことなどを知りました。彼らはほとんどモナークスキー場の名誉スキーヤーのようでした。 

エリーズさんは、中肉中背、どちらかといえば丸顔で、白髪が勝ってしまったオカッパ頭の表情のとても豊かなお婆さん?(75歳ですから、お婆さんと呼んでいいと思いますが…)です。旦那さん共々、山とスキーの大ベテランです。麓の町、ポンチャ・スプリングにどこか他の州から越してきたということ自体、このスキー場モナーク連山が目当てで、我らが“雪ヤギ”グループのメンバーの半数はそこに居を移しています。

彼女が木に衝突したのは、ブリーズウェイ・リフトの終点からさらに200メートルほど登った、峰から降りるシャグナスティーというコースで、森林限界の上で始まり、大きな松が覆う森に入るブラック・ダイヤモンド(上級者用)のスロープでした。2個のブラック・ダイヤモンドがついたスロープもありますから、最難関というわけではありません。

森林限界の上は広々とした急な斜面のどこを滑ってもよく、他のスキーヤーを見かけることもまずないので、山を独り占めした気分になります。と書くと、私が気持ちよくスイスイと滑り降りたように聞こえますが、実際は深い雪の中、大斜滑降でハスに滑り、そこでほとんどUターンをするように方向転換し、また斜めに滑るという必死の下降で、しかも何度か転んで降りてきました。それでも二度挑戦しましたが…。

森林限界の上はすり鉢状になっていて、そこを過ぎると森に入ります。なんとなく皆が滑る広めのところもありますが、ベテランたちはそんなところを滑らず、雪を漕ぐようにして大木の間を降りてきます。

エリーズさんはこのコースを何度も、おそらく何十回となく降りたことがあるでしょう。ですから、彼女が無謀でバックカントリースキーの経験が浅いという非難は全く当を得ていません。装備もヘルメットは当然ですが、雪崩用のフローティングバッグ(車のエアーバッグのように衝撃で膨らみ、雪崩に遭っても、雪の下に埋もれることなく、常に雪の表面に浮いていられます)を背負っていました。

3月4日は曇っていましたが視界も良く、事故が起こる要素がありませんでした。

私の技術レベルでエリーズさんの事故を判断できないのは承知の上ですが、少し荒れた雪の時、吹き溜まりで急に深い雪に突っ込むなど、予想していなかった事態に出会うことがママあります。それでなくても、予定通り次のコブでターンできず、腰を取られることはよくあります。もっと怖いのは、自分がコントロールできるスピードを大幅に上回ってしまうことです。

コロラドで伝説的なスキー、スノーボードの開祖とでも言うべき、アートとリンダが、私に最初に教えてくれたことは、常にスピードを自分でコントロールできる範囲に抑えることでした。それでいても、オオオッ、アレッ、ということが再三あります。偉大なスキーヤーのアートでさえ、「今日、二度も自分が曲がろうとしたところで、曲がれなかった…」と嘆いていたことがあります。

エリーズさんの事故も、大ベテランならではの1秒の何分の一かの判断と対応が遅れ、バランスを崩したのでしょう。すぐにスキーパトロールがスノーモービルで駆け付け、山から降ろし、近くの町サライダのクリニックに運ばれ、そこで対処できず、大きな町コロラドスプリングに運ばれましたが、あらゆる応急処置に対応できる軍の病院に着いた時には、そこで死亡確認がされただけでした。

モナークスキー場で働く人たち、彼女を知る私たちのようなスキーヤーの誰もが、エリーズさんの冥福を祈っています。

-…つづく

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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